36家庭の史吉子(サ キルジャ)先生が、
8月20日に聖和されました。
享年87歳でした。
史吉子先生を偲んで、先生の著書「原理に関するみ言の証」より、
お父様とのやり取りを紹介します。
☆
皆さんは現在、原理を学び、み言を学んでいますが、
私が若かった時、草創期の中でも本当の初期、
それは50数年も前なので、どれほど昔でしょうか?
その時は、人も多くありませんでした。
ほんの2〜3人、5〜6人、多くて10数人でした。
お父様が前本部教会の奥の間で、
何人にもならない人たちを前にして、
夜も昼もずっと語ってくださいました。
そして、そのみ言がとてもおもしろく、
恩恵にあふれていました。
これはまるで私が幼かった時、
母方の祖母が生の栗をかみ砕いて、
私の口にすっと入れてくれたのと同じでした。
その時は、汚いとも思わず、
その栗を受け取って美味しくたべました。
ちょうど、そんな感じでした。
ところが、お父様は心配をされるのです。
なぜか?
原理が難しいからです。
お父様は、「この人たちが本当に原理が
わかるだろうか?」と心配されたのです。
それで生の栗をかみ砕いて食べさせるように、
よくかんで食べさせようとされたのでした。
☆
その時は、人が多くありませんでしたから、
私は疑問に思ったことは、しきりに質問しました。
お父様は、私がたびたび質問しても、
熱心に教えてくださいました。
そのお陰で、私の話を聞いた人は、
「ああ、難しいと思った原理が、
すごく易しくなるなあ」と言いました。
また、「お父様にとても近づきたかったけれど、
お父様が私のすぐ隣にいらっしゃるみたいだ。
すごくお父様に情がいきます」と言います。
私の話を聞きながら、み言を語る者が、
ただ私一人だと思わないでください。
「お父様が私とともにいらっしゃる!」
とこのように考えてください。
☆
お父様が私に下さった使命が何かといえば、
「あなたは幼いころから先生のみ言をたくさん聞いただろう。
だから、霊界に行くまで、五大洋六大州を巡回しながら、
み言を話してあげなさい」とおっしゃいました。
それで私が「はい?」と言ったら、
「あなたはそれしかやることがないじゃないか!」
と言われたのです。
私がお父様のみ言をたくさん聞きましたが、
これは言うなれば、愛の負債であり、
お父様は負債を返済しなさいとおっしゃいます。
「私が草創期のころ、あなたたちに昼夜を問わず、
どれほど多くのみ言を語ってあげたか。
今でも世界の人々を集めてたくさん語ってあげたい。
ところが、今は私が忙しいじゃないか」とおっしゃいます。
最近は世界の最高指導者に会って教育をされるので、
私たちのような者がお父様のところに行っても、
「来たか」とおっしゃることもできないほど、
お忙しくなられました。
ですから、「私の代わりに36家庭のあなたたちが、
いわゆる先輩と言われるあなたたちが、
先生がしていたことを後輩たちにしてあげなさい」
とおっしゃるのです。
原理に関するみ言の証
第一章 総序論
「お父様が探された偉大な新しい真理(原理)を、
全世界に伝えなさい」
第一章 総序論
「お父様が探された偉大な新しい真理(原理)を、
全世界に伝えなさい」
☆
写真にもありますように、
お母様が下賜された揮毫は、
『神統一韓国時代開門安着孝誠家庭』となっています。
(お父様が書かれた文字が使われています)
李耀翰先生は「開門忠誠子」
朴普熙先生は「安着忠誠子」
史吉子先生は、「開門安着孝誠家庭」
「家庭」とありますから、おそらく、
劉孝元先生を含めてのことなのかな、
そんな風にも思わされました。
お父様とのエピソード、
数名しかおられない中で、会話をされたとのこと。
本当に羨ましい限りですね。
古い先輩たちの証しは、あまりにも貴重です。
史先生の遺された、この書籍も何度か紹介しましたが、
まだ、紹介していないところもあるので、
これを機に、紹介していきたいと思います。
史吉子先生、ありがとうございました。
先生のご冥福をお祈りいたします。
史吉子(サ キルジャ)先生:
韓国本部教区天福宮教会所属、36家庭(3双)。
天一国7年天暦7月20日(1919陽.8.20)午前7時50分に聖和。
享年87歳。
1954年入教、1955年5月11日いわゆる梨花女子大事件で強制退学。
1960年4月16日、劉孝元先生と3双の祝福を受ける。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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