2019年09月02日

「最大の試練は、最愛の8人を失ったこと」 自己否定のチャンピオン、お父様 《史吉子先生》



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史吉子先生の「原理に関するみ言の証」より、
『自己否定の意義と秘訣』の続編です。


お父様がアメリカで、

「天使長の自己を中心とした
利己主義が人間に移ったが、天使長から受けた
邪心と自分だけを考える利己主義を無くして、
先に相手のことを考える利他主義に変えるのに、
神様の復帰摂理が6千年もかかった」


と語られました。

自己中心と自己否定は意味が正反対です。

自己中心は何かというと、「自分がやりたいことはやれる!
自分がやりたいことはやってもいい!」
という態度のことをいいます

このように、天使長は、自分がやりたいことをやりました。

自己否定は、自己中心とは反対に
「自分がやりたくないことだがやる。
やれないことだが、必ずやって見せる!」という態度です。
ですが、自己否定は容易ではありません。


では、誰が一番多くの自己否定の訓練を受けたのかと言うと、
お父様自身だと語られました。

お父様が神様からどんなに徹底的に自己否定の訓練を受けたのか、
今までご自身のやりたいこと、できることを
神様がさせたことはなかったそうです。

ただ、常にやりたくないこと、できないことを
やらなければならない自己否定の訓練を受けられたそうです。

お父様が、例を挙げられました。


「私が自己否定の試練に遭った中で、
一番難しかったことは、私の最も愛する8人の人が
私の傍から離れたことだ」


と語られました。

お父様が大変愛していた妹が、
幼くして亡くなったそうです。

また、ある友達に出会いましたが、「この友達には、
本当に自分の心を打ち明けて話したい」
という思いを持たれたそうです。
しかし、その友達は病気で急に亡くなってしまったそうです。

このようにお父様が愛された人、8人が行方不明になったり、
関釜連絡船に乗っていく途中、水に溺れて亡くなりました。

お父様は、「ああ、私はなぜこのような試練を受けなければならないのか?
なぜ、神様はこんなにもひどく訓練されるのか?」
と思われたそうです。


後からよく考えてみると、
「そうだ!
アダムは地上で完成して、
神様と愛の一体をなすことができなかった。
しかし、神様と私が愛で完全に一つになるまで、
神様と私の間に髪の毛一本も挟んではいけないから、
そうされたのか」という悟りを得られたそうです。

このような猛訓練を受けて考えられたのが何であるかというと、
「よし、神様が私をこんなにも徹底して自己否定させることで
サタンを分立させ、この過程を経てから私を引っ張っていかれるように、
統一教会の責任者たちを訓練して、
私が神様に引っ張っていかなければならない」とのことでした。



お父様のような状況、最愛の8人を失ったなら、
普通はどうでしょうか。
「神なんているもんか」
と自暴自棄になってしまうのではないでしょうか。。。

進化論の生みの親であるダーウィンは、
もともとはクリスチャンでした。
しかし、最愛の長女が祈りの甲斐なく病死したのち、
「死は神や罪とは関係がない」と、
信仰の道から遠ざかっていきました。

自分に与えられた環境を通して、
「神はいない」
と結論付ける人が多いというのです。

しかし、お父様はどうでしょうか。

最初の発想も
「神様はこんなにもひどく訓練されるのか?」でしたが、
「神様と私が愛で完全に一つになるまで、
神様と私の間に髪の毛一本も挟んではいけないから、
そうされたのか」
そのように悟られたお父様でした。

自己否定の境地を体得されながら、
私たちを訓練してくださるお父様。
お父様のように、自身の願わない状況に対しても、
神様の訓練、として受け止める者になっていきたいです。




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posted by ten1ko2 at 10:10 | Comment(0) | 父母様の路程 生活の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする