2019年09月07日

人を救うのは、自分を救うこと 力が出ないときは、為に生きよう! 《浅川先生》



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浅川先生の自叙伝書写講話。
感動的な実話を通して、真の父母様と
私たちの関係をわかりやすく紹介しておられます。

実話は少し長いのですが、どうぞ。



ある中学教師の忘れられない思い出

神様と人類と文鮮明先生の立場を想起させる感慨深い実話があるので紹介します。

市販の雑誌に掲載された、ある中学教師の忘れられない思い出です。
女性教師は、中学生の文集に、一つの俳句を見つけて衝撃を受けます。

 「母恋し夏の夜空となりにけり」

これを作ったのは中学二年生のA子でした。
病気のために母親が亡くなったのです。
残されたのは、中一の妹と四歳の弟、父親と七十を超えた祖母でした。
家事の一切はA子の肩にかかってきました。

最初は、弟の母親代わりとして努力をしましたが、
やがて耐えられなくなりました。
中三になり受験の重荷がかかると、心も生活も乱れ始めました。
マニキュアをつけ、パーマをかけて、
理由のない欠席をするようになりました。

女性教師は、A子の担任となりました。
ある日、欠席した彼女から電話がきたのです。

あまりにも苦しそうな声だったので、
昼食のおかずを買って家に飛んでいきました。
布団を被ってA子は涙をぽろぽろ流しながら訴えました。

「こんな家、おもしろくない。みんな幸せそうなのに、
なんで私だけこんな苦労せんといかんの。
成績も下がる一方、高校は行きたいのに──
でも、この家に居おったんではあかん。
先生、わたし、家出したい……」。

教師は泣きじゃくるA子を励ましながらも、
どうすることもできない空しさに襲われました。
クラスの子たちは、自分のことで精いっぱいで、
派手な振る舞いをするA子に近づく者はほとんどいませんでした。

教師はA子のことを考えるたびに落ち込むばかりでした。
教師の顔から明るさと笑顔が消えていきました。


そんな日々が続いているときのことです。
教師が廊下を歩いていると、同じクラスの香織という子が、声をかけてきました。

「先生、私にA子さんを誘わせてください。
明日から毎日A子さんを誘って歩いてきます。
私の家より向こうだけど誘いに行きます。
先生がA子さんのこと、とても心配している気持ちよくわかるんです。
今、私にできることは、A子さんを毎朝誘いに行って、
せめて欠席のないようにすることだけです」。

教師は驚きながらも、喜んで頼みました。

それからの出来事は教師が一生忘れられない感動を
呼び起こすことになったのです。
教師は語っています。


 A子は最初の日びっくりしたという。
 しかし感激の方が大きかった。
 私のことなんか誰も……と思っていた時に香織の朝の誘い、
 そしてそれは三月の卒業までずっと続いたのだから。

 歩く仲間は増えた。
 一人増え、二人増え、三月には五人の友に囲まれて、
 嘘(うそ)のように元気な明るいA子の姿が見られるようになったのである。

(香織さんありがとう)私は何度心の中で叫んだかしれない。

 無事高校入試も終わり、A子も見事希望高校に合格。
 喜びの中で中学の卒業式を迎えた。
 この日、式場へ移る前に、私は教室へ足を運んだ。
 教室の中は喜びに沸き、ひとりひとりの満足しきった表情を見て、
 私は思わず涙をこぼしてしまった。

 そんな私の前へ、つかつかと香織が歩み出て来たのである。
 (香織さん、本当にありがとう)手を差し伸べながら私が言おうとした時、
 それよりも早く、彼女の口から、
 「先生、ありがとうございました。
 A子さんと歩かせてくれてありがとうございました」という言葉が飛び出たのである。

 私はとまどった。
 そんな私におかまいなしに香織は続けた。

 「A子さんと同じクラスになれて、A子さんと歩けたことは、
 今の私にとってこの上なく大きな幸福であったと思っています。
 歩きながら、私は本当にたくさんのことを考えさせられました。
 A子さんと歩いて、自分の心が素直に開いていくのを感じたのです。

 自分勝手でわがままだった私を変えてくれたのは、
 A子さんとの出会いなんです。
 先生、ありがとうございました。
 そして、A子さん、ありがとう」。

 教師として子供たちに接して十余年、これほど私の心を揺さぶった言葉はない。
 A子を見事に立ち直らせ、しかもそのことですばらしい心を育てた香織。

 苦しみを背負う人たちに係(かか)わって、共に歩むということは、
 自己中心的な考え方を多く持つ子供たちの中では、
 全く意味のないことと思われているに違いない。
 しかし、この香織の一言で私は大きく変えられた。

(PHPアーカイブス、私を支えた一言「PHP」ベストセレクション、
PHPスペシャル2月増刊号Vo1. 1、PHP研究所、22─25 ページ)

苦しみ喘(あえ)ぐA子が人類の立場。
A子を見つめて悲しむ教師が神様の立場。
教師の悲しみを思ってA子を救い、
教師を喜ばせた香織さんは文鮮明先生の立場。
そう考えてみたらどうでしょうか。

神様の喜びとは、苦しんでいる人を救うこと、なのです。
時として、私たちは自分が苦しみから解放されるために神様を求めます。
神様に寄りすがり、願います。

しかし、神様は目の前で苦しんでいる人を救うことを願われているのです。
もし、私たちが、自分の苦しみよりも、もっと苦しんでいる人に関心をもち、
心を向けてみたら、手を差し伸べてみたら、
きっと、神様はお喜びになるに違いありません。

だから、人類という言葉を、
夫や妻に、親や子に、嫁や姑に、そして、知人友人に置き換えてみましょう。

「苦しんでいる夫を救って、神様を喜ばせてさしあげなさい」

「苦しんでいる妻を救って、神様を喜ばせてさしあげなさい」

浅川 勇男・著
(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ〜心のあり方』より)
第一章 苦しんでいる人類を救い、神様を喜ばせてさしあげなさい


このみ言を読んで、昔お世話になった、
巡回師のお姉さんがよく話していた言葉を思い出しました。

「心霊基準が下がっている時ほど、
ために生きなさい。
そうすれば、自然と基準があがっていきます」

私も若い時、青年部のスタッフをしていて、
「自分なんて、必要ないな」と思った時がありました。

当時のアベルがそういう私の思いを察知して、
「毎日、トイレ掃除をするように」
そう言われて、実践していく中で、
自然とみ旨に投入するようになりました。

その時に、「おそらく、先輩も、
同じようなことをしたんだな」と思いました。


もちろん、為に生きることは、
どんな時にもするのですが、
基準が下がると何もしたくなくなるし、
「自分なんて、必要とされていないのでは」
そう思ってしまいがちです。

ために生きることは、
人のためにするのですが、
相手も周りも幸せになり、
さらに自分自身が一番恩恵を受けます。

また、そういう経験があれば、
基準が下がったA子さんのような人の
気持ちも分かると思うのです。
そして、思いつきで一回だけ為に生きるのではなく、
毎日続けていく。。。

元気な時はもちろんですが、
基準が下がり、力が出ないときほど、
よいことをする、具体的に実行し、それを
毎日のご飯を食べるように
継続するのがいいようです。

創造原理には、霊人体の成長(復活)は、
生霊要素と生力要素とありますが、
これは事実ですね。

私たちの生きる源は、
み言(真理)と愛の実践だなぁと思うのです。






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posted by ten1ko2 at 10:44 | Comment(1) | 浅川先生 自叙伝書写 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする