地獄からのメッセージ。
今回は、独裁者2人の地獄界での生活様相です。
☆
@ヒトラー(1889―1945)
ヒトラーは、第二次世界大戦を触発させたばかりでなく、
六百万人にも及ぶユダヤ人を虐殺した、
世界史上類例を見ない残虐な政治指導者です。
ではヒトラーは、霊界ではどのような目に遭っているでしょうか。
霊界で悲惨なヒトラーの姿を目撃した人の報告を要約すれば、
次のようになります。
ヒトラーは衣服を脱がされ、一本の木に縛られてつるされていました。
その周りを虐殺されたユダヤ人たちが取り囲み、
罵倒(ばとう)しながら復讐(ふくしゅう)していたのです。
「お前がナチスの王だと?
お前が王の役をしたから、今度は我々が
お前を国民の資格で誤った王を処罰しよう。
お前は生涯恥ずかしい姿のままで生きなくてはならない……。
あいつの目を抜き出せ。
あいつの毛を抜け。
髪の毛に火を付けろ。
よく燃えるだろうな。
じりじりと。
あいつの体はよく燃えるだろうな……。
あいつを挽(ひ)いて粉にして飲もう。
それでも怨みは解けないだろう」
一つの群れが叫び疲れると、また別の群れが集まり、
同じ惨状を繰り返し、
復讐の刃物を持ったユダヤ人たちの怨みが晴れるまで、
ヒトラーは耐えなければなりませんでした。
☆
Aブレジネフ(1906―1982)
次に共産主義思想の最高指導者であり、
既に崩壊した当時、ソ連邦の最大の繁栄期を築いた
ブレジネフ書記長の霊界からのメッセージを伝えます。
ところで、共産主義はどういう思想なのでしょうか。
第一の特色は、神様と霊界は実存しないことを
思想的、科学的に体系化したと自負していることです。
第二は、人間は物質の塊であり、
サルが進化したものであると主張しています。
これが共産主義の基本思想です。
人間は動物であり、神も霊界も実存しないと主張して、
殺人(粛清)を正当化した共産主義の指導者たちの中で、
ソ連を最大に拡張させたブレジネフは、
霊界から次のように惨状を伝えています。
「人間の高貴な命を獣のように扱ったがゆえに、
私は動物園で生きています。
獣の餌(えさ)を食べながら、獣のように生きています。
手で食べ物を食べずに、ひざまずいて口で食べたりもしました」
人間は動物であると主張し、国民教育をした結果、
彼自身が霊界では動物園で動物のように扱われているのです。
動物は二本の手で食事をしません。
四つん這(ば)いになって、口で物を食べます。
そして着物を着ることはありません。
それゆえ共産主義の指導者たちは、みな裸でいるのです。
そして、まともな食物を食べることができません。
このメッセージを通して、
自分が語ったことや人を教育した内容に対する責任を、
霊界で追及されるということがよく分かります。
浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第七章 霊界人からのメッセージ
地獄からのメッセージ
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第七章 霊界人からのメッセージ
地獄からのメッセージ
☆
霊界では、地上で言動の報いを受けるわけです。
しかたのないことですが、これが現実です。
自分の欲望通りを地上で生きたとしても、
その報いを受ける。。。
しかも霊界は、永遠の世界ですから、
地上でいくら満足に生きたとしても、
あとの祭りですよね。。。
それにしても、報償法から考えて、
罪を犯した分だけ報いを受けるとすると、
数十年で済むのかも知れませんが、
それはこの世の話であって、
死んでからは、罪を償うことができないといいますから、
霊界ではその報いを永遠に受け続けるしかないようです。
また、地獄も八百八丁目、それをはるかに超えるほど
無数に分かれていると言いますが、
その地獄に堕ちたなら、そこからは
逃れることができない、ということでした。
そんなことを思いながら、
自分はどうなんだろう、と思いをはせました。
かつて、イエス様の時代に迫害を受けたクリスチャン。
また、再臨主を待ち望み、迫害の道を歩んだクリスチャンたち。。。
「あなたたちは、再臨主を知って、
しかも共に生活している。
そんな恵みの中にいるのに、
何をしているんだ!」
そのような声が、聞こえてくるようです。
堂々と胸を張って、再臨主をお支えするために、
今は、お母様をお支えするために、
頑張って歩んでいます!
と言える者にならなければ、と思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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