家庭教育局長、阿部美樹先生のコラム、
『誰もが通過する「三つの試練」と、
その乗り越え方』を紹介します。
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恩賜を前後に必ず試練
恩賜を前後に必ず試練
「試練」について『原理講論』では、
「神が人間に恩賜を賜ろうとするときには、
その恩賜と前後して、サタンの訴えを防ぐための試練が必ず行われるのである」(402ページ)
と説明されています。
「試練が必ず行われる」のであれば、
試練を避けるのではなく、受け入れ乗り越えるための心構えが必要です。
試練は、乗り越えれば、神様の恵みを受けることになり、
乗り越えられなければ人生の挫折となる分かれ道です。
誰もが試練に直面すると、「愛の減少感」を感じる境地に追い込まれます。
その時に「自己中心」の心になり、
「過分なる欲望」を持ちやすい傾向があります。
しかし、常に「神中心」の心を持ち、
どんな状況に対しても「神様のみ意(こころ)を尋ね求める」姿勢が必要です。
人生の中で直面する試練を大別すると次の三つになります。
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三つの試練に持つべき心掛け
三つの試練に持つべき心掛け
第一の試練は、「困難・苦難」に直面した時です。
その時は、悲観したり、落胆したり、諦めたりしやすくなります。
また、不平不満の思いになり、
誰かのせい、何かのせいにしたくなるものです。
しかし、このような時ほど
「甘受する心・感謝する心」を持って受け入れましょう。
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第二の試練は、「成功・恩恵」に直面した時です。
成功と恩恵は幸せを実感する瞬間ですが、
気を付けなければならない瞬間でもあります。
なぜかというと、その時ほど傲慢になり、自慢ばかりして、
周りの人を見下す可能性があります。
また、有頂天になり、油断して怠惰な生活になることもあります。
このような時ほど、「謙虚な心・向上心」を持って
さらに努力する姿勢が必要です。
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第三の試練は、「精誠・努力が実らなかった」時です。
人は誰もが努力すればするほど、それが実ることを期待するものです。
神様に精誠の条件をささげれば、願いが成就することを期待し、
人に尽くせば相手から感謝やお礼の言葉が
返ってくることを期待するものです。
無意識に見返りを要求する心が湧いてくるのです。
しかし、何も変わらない、反対に悪い結果が起こった場合、
寂しくなり、怒りの思い、裁きの思いが湧いてくることでしょう。
このような時ほど、
「無私の心・不変の心」を持ってさらに精誠を尽くす姿勢が必要です。
これらの三つの試練を乗り越えてこそ、
神様の恩賜を賜ることができます。
家族の絆づくり 83
誰もが通過する「三つの試練」と、その乗り越え方
ナビゲーター:阿部美樹
誰もが通過する「三つの試練」と、その乗り越え方
ナビゲーター:阿部美樹
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今日のメッセージは、まさに黄金律というか、
私たちにとって、とても重要な内容ではないでしょうか。
この「三つの試練」の時は、
神様もサタンも注目しています。
実際には、二番目の試練は、
「恩恵」を受けた時のことなのですが、
そういう時にも気を付けなければいけないわけです。
正しく乗り越えるか、乗り越えないか、
それは、神様もサタンも干渉できません。
お父様ご自身も正しく乗り越えていかれました。
そして、お母様もまさにそのような歩みをされています。
どんな困難なことがあっても、
神様とお父様に贈り物を捧げる一心で越えていかれ、
サントメプリンシペの奇跡的な勝利のあとも、
中断なき前進で歩み続けておられるお母様。
私たちもこのアドバイスを心に刻み付けて、
歩んでいかなければならないと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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