2019年09月20日

母の信仰の出発、「保険金で入院費を払ったらイケナイ」またも神の声 《北谷先生》



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北谷先生の著書
「死んだらわかるけど、それでは遅い」
続編、『父の事故をきっかけに母が霊通』です。


  母が信仰の道へ

母は、父が事故に遭った直後から、
母の姉の家の近くにあった神道の教会に、
「何とか父が助かるように」と祈願して熱心に通うようになりました。

それまでは特に信仰はしていませんでしたから、
まさに「苦しい時の神頼み」でした。

父の意識が回復した後も、母はその教会に熱心に通いました。
毎日欠かさず、朝七時からの修行を続けていったのです。

当時、私には中学生の兄(七つ上)と、
小学生の姉(二つ上)がいました。

学校に行っていないのが私だけだったことから、
父の看病という役目が五歳の私に回ってきました。

私は幼稚園を休んで、毎日朝六時発のバスに乗って病院に行きました。
そして、朝まで父に付き添っていた母と交替するのです。

五歳の子供が病院でできることといえば、
父に何か異変があったらブザーを押して、看護師を呼ぶことでした。
そのようにして、私は一日中病院にいたのです。

そのとき、いつも周りから言われていたのは、
「じっとおれ(じっとしていなさい)」でした。

五歳の子供ですから、そこら中を走り回りたいのです。
でも、病院ですから我慢しなければなりませんでした。
それがとてもつらかったことを、よく覚えています。


母は病院に泊まり込みで父に付き添いました。
朝になると私と交替して、神道の教会に行って修行をしました。

昼頃に病院に戻ってくると、神様≠ェ入ったままの状態で
父の体をマッサージするのです。

その結果、なんと、医者が切断するしかないと言っていた左腕が、
一部の指に不自由は残ったものの、治ったのです!

それは本当に奇跡が起こったとしか言いようがありませんでした。
体の中にめり込んでいた右足は引き出されました。


  すべての結果には原因がある 

このように、生きるか死ぬかの重傷でしたから、
病院では大部屋に入ることはできず、
個室に入らざるを得ませんでした。

入院した当初は、とにかく助かってほしい一心だったので、
手術代や入院費までは気が回らなかったのですが、
一カ月経(た)って支払いの時がやってくると、現実に引き戻されました。

公立の病院(市民病院)でしたが、個室ですから当然、費用は莫大(ばくだい)で、
とても払える金額ではありませんでした。
当時、わが家は大阪で小さな商売をしていましたが、裕福ではなかったのです。

父の乗っていたオートバイとぶつかったのはダンプカーで、
自動車保険に入っていました。
ですから、その保険金が下りたら、それで入院費を払うことができます。

ところが、そうしようとすると、また母に神様≠ェ入りました。
そして「保険金で入院費を払ってはいけない。
それでは、整理できない」と言うのです。

それだけ言うと、神様≠ヘ母から出て行きました。

我に返った母は、「神様、今、何て言うてた?」と家族に聞いてきました。
自分の口で言いながら、本人は全く意識がなかったのです。
「保険金を使ったらあかんて言うてるで」と教えると、
母は「そんなこと言うてもなあ……」と途方に暮れていました。


後に家庭連合に導かれてから、
この神様≠ェ言っていた意味がよく分かるようになりました。

「すべての結果には原因がある」のですが、
父の事故にも原因があったのです。
たまたま偶然に起こったのではないのです。
その原因とは、先祖の犯した罪でした。

私たちの先祖によって被害を受けた人は、
霊界にいてもその恨みを忘れることができません。
その恨みは加害者の子孫である私たちに向けられ、様々な災いを引き起こすのです。
 
そのような恨みを持つ霊を、恨(ハン)霊とか、悪霊と言います。  

では、父に事故を起こさせた恨霊は、
わが家の先祖からどんな被害を被ったのでしょうか。
神様≠ェはっきりと教えてくれたわけではありませんが、
恐らく、お金の問題があったのではないかと思われます。

だから神様≠ヘ、「保険金で払ったら整理できない」と言ったのです。
つまり、苦労して汗水流して働いたお金で払わない限り、
その恨霊の恨みを解放することはできないと言ったのだと思うのです。

北谷 真雄・著
(光言社刊『死んだらわかるけど、それでは遅い』より)



北谷先生のお母さんは、もともと信仰をもっていたのではなく、
お父さんの事故をきっかけに、突然、「霊通」し、
そして、神道の教会に熱心に通いました。

事故の保険金をもらわない、というのは、
確かに非常識なことですよね。

原理的には、蕩減復帰の原則なのですが、
しかし、そのことの深い意味も知らずに、
ただ「神様」から言われたから、
その通りに従っていったお母さん。

親族に反対されながらも「神様」を求めていく信仰は、
本当に素晴らしいと思いました。

そして、み旨を知っている私たちは、
伝道、献金と歩んでいるわけですけれど、
これも過去の蕩減復帰、先祖の罪の清算をしているのですし、
氏族メシヤの大きな条件を立てさせて頂いているのだと思います。

神様、真の父母様にあらためて
感謝しなければならない、
そのように思わされます。

続きます。




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posted by ten1ko2 at 10:04 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする