2019年11月24日

カンボジア首相も歓迎、共同開催のカンボジア・サミット 《真のお母様のみ言11.19》



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真のお母様は世界巡回路程を勝利的に歩まれておられます。
先日開催されたカンボジア大会も大勝利でした。
「アジア太平洋頂上会議」の前に急遽、
カンボジアのフン・セン首相が歓迎会談を提案しました。
そこにおいてのお母様のみ言です。


小さな国であれ大きな国であれ、一つになるためには、
失った父母を探さなければならないので、
この度のサミットは、失った創造主・神様が
私たちの父母であることを知らせるのが目的です。

多くの義人たちが各時代ごとに平和に対する論議を
してきましたが、宇宙の根本であられる父母を
知ることはできませんでした。

『善』を教える宗教も、やはり(第一)原因が
分からなかったために、分派ができました。
 
天は永遠であられ、始まりと終わりが同じです。
ご自身が立てられた創造原則において、
必ず勝利されます。

人類歴史6000年を経ながら、
今が摂理歴史の完成を見る時です。
私たち人間が『天』を
父母として侍ることのできる時が到来しました。

天を分からない無知な人間たちによって、
連続的に多くの被害を受けました。

今日の情勢を見ても、大きな国々が自国の利益を
優先にするため、一つになることができません。
天は待って下さいません。

私はカンボジアのフン・セン首相が賢明な決断を
下したことに、感謝しています。

アフリカなどの世界平和頂上連合の始まりとは
同じ環境であるとは言えませんが、この度の
UPFを通してアジア太平洋の頂上会議(の開催)は
天に侍る立場なので、未来は希望的です。
 
特に韓国は6.25動乱を通して
民主と共産に分かれました。
問題は天に侍ることのできない共産主義思想や
民主主義思想は、永遠ではあり得ません。

私たちは宇宙の主人であられる神様の創造物です。
どのようにして過って神様と共に生きられない環境と
なったのか、私は話しをしています。

天の摂理の真実、歴史の真実を話しているので、私と
一つになる道を行こうと首脳たちが立ち上がっています。
その道だけが人類の未来です。

同時に、私は愛らしい私たちの子女たちが住んでいる
地球が疲弊し、病んでいるので、本来神様が私たちの
ための環境をつくろうとしたそのみ意をなすために、
このことを私の使命として引き受けています。

このような希望的な聖業に同参する皆さんを歓迎します。



このみ言を受けて、カンボジアのフン・セン首相は、
次のような言葉を述べました。

「私はアジア太平洋ユニオンを支持しようと思います。
韓鶴子総裁がアジア太平洋ユニオンに対して語られ、私たちも同参したいです。
それで今回のサミットを通して支持しようと思います。
結果がとてもよいと思われる頂上会議を、いまから始めましょう」


このサミットには、54ヵ国のVIPが集まったそうです。
カンボジア政府の歴史上、民間機構と初めて共同主催する行事であるため、
多くの憂慮と内部からの反対があったようですが、
このフン・セン首相と真のお母様の歴史的な出会いによって、
すべての緊張と憂慮が一遍に解消された、と言います。

さらには、、、
フン・セン首相がこれほどまで外部のVIPに対する配慮と
格別な精誠を尽くしたことはなかったということでした。
まさに真のお母様の「真の母の愛」に包まれ、
それを素直に受け入れられた、ということなのではないでしょうか。

「天一国安着のための天宙的カナン40日路程」の勝利と、
真のお母様の聖壽無疆(ソンスムガン、ご健康と安全)を
心からお祈り申し上げます。





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posted by ten1ko2 at 13:13 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月23日

心の中の捨てるべきゴミと、残すべきもの?! 《大知先生の「氏族伝道の心理学」》



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大知(おおとも)先生の「氏族伝道の心理学」
今回は、『創造本性と堕落性』です。


私たちは、「○○さんの性格」という言い方をします。
私の性格、夫の性格、子供の性格、教会長様の性格、などです。

例えば、「うちの夫は性格が明るくて、子供とよく遊んでくれるけど、
ちょっと短気なのよねぇ」というような言い方です。

私たちが誰かの性格について話すときは、
通常、「創造本性」と「堕落性」を混ぜこぜにしています。

先ほどの例で言えば、「明るくて、子供とよく遊んでくれる」
というのは創造本性かもしれません。
一方、「ちょっと短気」というのは堕落性でしょう。

このように、私たちが人の性格について考えるときには、
ほとんどの場合、創造本性と堕落性を区別して考えることをしていません。
ここに問題があるように感じます。


私たちが日々実践しようとしている信仰の道は、
(まこと)の愛の人格の完成を目指す道です。
完成人間になるために、信仰生活をしているのです。

信仰生活の目標は、完成人間、「神の宮」になることです。
そして、完成人間になったとき、信仰は必要なくなります。

では、完成した人間とは、どのような人なのでしょうか。
それは、堕落性が全くない、創造本性だけの存在です。
つまり、堕落性を脱いでいくための生活が信仰生活なのです。

散らかって汚れている部屋をきれいにしようとしたら、
まず何をしなくてはならないでしょうか。

それは、捨てるべきごみと、残しておくべきものを区別することです。
捨てるものと残しておくものをきちんと区別できなければ、
物を捨てることができません。

汚いものやいらないものを捨てられなければ、
部屋をきれいにすることはできません。
つまり、分別が必要だということです。


心の中も同じです。

きれいな人間(完成人間)になるためには、
心の中の捨てるべきごみ(堕落性)と
残しておくべきもの(創造本性)をきちんと区別しなければなりません。

そうでないと、いつまでたってもごみを捨てることができず、
きれいになることはできないのです。

ですから、最初に挙げた例で言えば、
性格という言葉でひとまとめにしてしまうのではなく、
「うちの夫の創造本性は明るくて、子供とよく遊んでくれるけど、
堕落性は、ちょっと短気なことなのよね」
と考えなければならないということです。

このように考えていけば、完成した夫の姿が見えてきます。
これがつまり、創造本性と堕落性の分別ということです。


夫と闘う、妻を愛せない、そうした相談も少なくありません。
なかには、離婚したい、と言ってくる方もいます。

特に国際家庭の場合には、文化の違いもあり、
離婚したいという気持ちになるのも無理はないと思ってしまうケースもあります。

そうした相談の際には、まず次のようにお話しします。


「私たちは人間である以上、必ず天国に入らなくてはなりません。
すべての人が救われなければ、
神様と真の父母様の心情が安らぐことはないのですから、
天国に入ることは、神様と真の父母様の子女である私たち人間の義務なのです。

天国に入るためには、必ず男女のペアでなければなりません。
そうすると、あなたが天国に入るためには、
必ずあなたの主体者である男性が必要なのです。

天国に入る際には、誰もが絶対善霊になっているわけですから、
あなたの主体者である男性も絶対善霊になっています。
つまり、堕落性を全くもっていない創造本性だけの人間ということです。

現在、この地上にはたくさんの男性がいますが、
真の家庭以外に完成している人はいません。

ということは、絶対善霊になったあなたの主体者は、真の家庭を除いて、
この世にいるどんなに素敵で魅力的な男性よりも、
もっと素晴らしく魅力的な方になっています。

今のご主人様は、とても大変な方で、離婚したくなる気持ちもわかりますが、
もし今のご主人様と離婚せずに霊界に行って絶対善霊になったのならば、
あなたのご主人様はこの世のどんなに素敵で
魅力的な人よりも、素晴らしい人になっているでしょう。


ところで、あなたは、天国に入る時に、
絶対善霊となった今のご主人様と一緒に天国に入りたいですか、
それとも他の男性と一緒に天国に入りたいですか?」。

このように聞いていけば、九割以上の人は、
「今の夫と一緒に天国に行きたい」と答えます。
現状の嫌な夫の姿しかイメージできないので、離婚したいと思うのです。

今は嫌な夫であっても、絶対善霊になって素晴らしい男性になると思えれば、
今の悲惨な状況を乗り越えていこうという力が出てきます。


ただ、誤解しないでいただきたいのは、
「だから、頑張って今の生活を続けなさい」ということではありません。

状況によっては、一緒に生活を続けていっても、必ずしも良いとは言えません。
むしろ、一時的に離れて暮らすことが必要な場合もあります。
無理をしても長続きはしません。
長期的な視点に立って、きちんと対応を考えることは必要です。

ただ、離れて暮らすとしても、それは離婚に結びつくような離別ではなく、
将来必ず一緒に暮らして幸せになるために、
お互いの生活を立て直すための一時的な別居です。

私は、こうした別居のことを「戦略的撤退」と呼んでいます。
頑張って無理して生活を続けて、消耗しきってしまい、
敗走するより他に方法がなくなるよりは、
将来の勝利のために、一旦は戦略的に撤退し、態勢を立て直して、
再度安定した生活をつくっていこうという考え方です。


話がずれてしまいましたが、
まず私たちがしなくてはならないことは、何でしょうか。

自分自身の中の創造本性と堕落性をきちんと区別していくことです。
そして、次にすべきことは、自らの堕落性を捨てて、
創造本性を伸ばしていくことです。
そうすれば、完成人間になれます。

こう言ってしまうと簡単ですが、実際には、そう簡単にはいきません。

まず、多くの人が、「あまりにも自分自身の中で、
創造本性と堕落性がごちゃごちゃになっているので、区別がつきません」と言います。

悲しいことですが、「統一原理」を学んでも、
実際の堕落人間は、あまりにも堕落性にまみれているので、
自分自身の創造本性と堕落性の区別がつかなくなってしまっています。

大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第3章 氏族的メシヤ勝利と心の問題解決
創造本性と堕落性


ちょうど、妻とこの話をしていたところでした。

子供たちがなかなかいうことを聞いてくれない、
というか、こうあって欲しいな、という願い通りにいかないけれど、
でも、本然のこの子は、違うだろうな、
そんな話です。

環境圏の問題や、
友人の影響…さまざま原因があると思いますが、
究極的には、やはり、自分(私たち親)に返ってくるわけです。

私たちがもっと守ってあげて、
正しく教育してあげれば・・・
私たちの精誠が足りないから・・・
という思いにさせられます。

それでも、「あきらめるもんか」
と思っているところです。

自分自身もそうですし、妻も子供たちも
そしてすべての人は、
「本当の姿は違う。もっともっと
素晴らしい部分がある!」

大知先生の語られるように、
「創造本性」を見つめる者になっていきたいと思うのです。





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2019年11月22日

イエス・キリストが天国に行けなかった理由 《浅川先生霊界シリーズ》



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浅川先生の霊界シリーズ
今回は、「天国に行くための結婚」です。


天国に行くためには特別な結婚をして、
(まこと)の愛の家庭を築かなければなりませんでした。

四大聖人の中で最も高い霊界に行かれたのは、イエス・キリストです。
天国ではありませんが、天国の待合室とも言うべき、
楽園の最上層に行かれたのです。

罪のない生涯を送られ、そして最後には
自分を殺害し、憎んだ人の執り成しをしながら、
愛の生涯を遂げて昇天していったのですから、
天国に入るのは当然と思われます。

しかし、イエス・キリストは天国に入れませんでした。


その理由は妻を娶(めと)って夫になることができず、
父親になることができなかったからです。

人間の愛の最も基本となるのは、家族愛です。

結婚して夫婦となり、やがて子供ができて父母となり、
その子供が結婚して孫ができれば、祖父母となります。
この家族愛を、しっかりと霊人体に体得しない限り、天国には行けないのです。

イエス・キリストという方は愛の生涯を送りましたが、
独身でその生涯を終えたために、天国に入ることができなかったのです。


ただ、これまで多くの人、多くの宗教者が、
結婚して霊界に行きましたが、
天国に行った人を一人も見いだすことができません。

したがって、霊界の天国に行くためには、
そのための特別の結婚をして、
家族愛を体得していかなければならないという結論になるのです。

この世で幸せな家庭を築き、天国に導けるこのような結婚を、
「真」という言葉をつけて「真の結婚」ということができるでしょう。

この「真の結婚」で培われた温かい家族愛、
それが霊界の天国まで花を咲かせていくのです。

そのような結婚をしなければ、霊界の天国に行けないのですから、
どうしてもこの真の結婚は人間にとって必要だということになります。


浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第八章 天国への道筋
天国に行くための結婚


キリスト教には、三位一体という考えがあります。
すなわち、イエス様は、神様である、というのです。

独り子の立場で十字架につきましたが、
救いの根幹に十字架による贖罪があるので、
イエス様が結婚をしなかったことに対して、
何の違和感もないわけです。
その信仰を2000年間続けてきました。

しかし、真の父母様は、「イエスは、結婚しなければならなかった」
そのようなみ言をよく語られます。
これは、クリスチャンにとっては、
とてもとても衝撃的な話であるでしょう。

ところが聖職者たちが、
その内容を受け入れているときがやってきました。

カトリックでも「枢機卿」という、
ローマ法王に次ぐ立場にいる方も、
お母様を独り娘として受け入れているのです。

本当に時代が変わりました。
真の父母様がいよいよ本来の立場になられるとき、
万民が真の父母を
知らなければならないときが来たと思うのです。





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