李ヨハネ先生のみ言、
今日は夫婦のお話、
「私はだれに拠る私なのか」です。
☆
夫婦同士でもそうではないですか?
「私はあなたのためにいます」
こう言っておいて、自分の我を張るので闘いが起こるのです。
夫婦同士不和になるのは、自分を主張するからであって、
自分の主張をしなければ不和が起こるはずがありません。
夫は妻のためにあり、妻は夫のためにいるのでしょう。
お互いのためにいるのではないでしょうか?
お互いのためにいるなら、不和が生じるはずがありません。
自分の主張をするので不和が生じるのです。
和睦するのは易しいことのようですが、
自分というものを折ることが大変なため難しいのです。
私たち各自が、私はだれに拠る私なのか?
私はみ旨に拠る私だ、
このように徹底した中心が立てられなければなりません。
ところがそうできない時が多いでしょう。
ですから和睦ということが易しいようで難しいのです。
自分の先入観を主張すれば和睦できません。
ですから相談しなければならないのです。
私には決定権がありません。
自分の生命を左右できる決定権がありますか?
ありません。
私には根本的に決定権がありません。
神に拠る生命だからです。
ですから私はだれかから決定を受けて生きるようになっています。
罪とは何かというと、自分勝手に考えて決定することです。
今日、このことをはっきりと分かって帰ってください。
家庭での夫婦関係、親子関係は、お互い相対基準を結んでいるので、
自分一人で考え、自分一人で決定することが
結果的には罪になりうる種となるのです。
罪だと断定することはできなくても、不和の種になりうるのです。
今日私たちが心に決め、考えるすべては、
喜びを生産するための種に
ならなければならないということではないでしょうか?
家庭を喜ばせ、自分の教会を喜ばせるというように、
自分の考えること、しようとすること全部は、
喜ぼうとしてすることではないですか?
職員修練会での説教
『み旨による私』より
1977年5月23日 中央修練所
『み旨による私』より
1977年5月23日 中央修練所
☆
真の父母様は、完全に一つです。
神様に侍り、神様に一つとなっているがゆえに、
お互いを立てておられるのだと感じます。
お母様は、今日も最前線です。
お父様の願いに応えたい・・・
その一心があってなされているのだと思います。
お母様の勝利はお父様の勝利であり、
そして神様の勝利です。
どんなに誰が非難し、反対しようとも
出発が天とお父様にあるので、
その結果が実りつつある、というのです。
本当に素晴らしいことです。
夫婦一体。
ある意味、永遠のテーマかもしれませんが、
「私はあなたのためにいます」
「私には決定権がありません」
ヨハネ先生のみ言を携えて、
向かい合っていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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