2019年11月15日

不和の種を作っていませんか?! 私には決定権はない 《李ヨハネ先生》



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李ヨハネ先生のみ言、
今日は夫婦のお話、
「私はだれに拠る私なのか」です。


夫婦同士でもそうではないですか?
「私はあなたのためにいます」
こう言っておいて、自分の我を張るので闘いが起こるのです。

夫婦同士不和になるのは、自分を主張するからであって、
自分の主張をしなければ不和が起こるはずがありません。

夫は妻のためにあり、妻は夫のためにいるのでしょう。
お互いのためにいるのではないでしょうか?
お互いのためにいるなら、不和が生じるはずがありません。
自分の主張をするので不和が生じるのです。

和睦するのは易しいことのようですが、
自分というものを折ることが大変なため難しいのです。

私たち各自が、私はだれに拠る私なのか?
私はみ旨に拠る私だ、
このように徹底した中心が立てられなければなりません。
ところがそうできない時が多いでしょう。

ですから和睦ということが易しいようで難しいのです。
自分の先入観を主張すれば和睦できません。
ですから相談しなければならないのです。

私には決定権がありません。
自分の生命を左右できる決定権がありますか?
ありません。
私には根本的に決定権がありません。
神に拠る生命だからです。

ですから私はだれかから決定を受けて生きるようになっています。
罪とは何かというと、自分勝手に考えて決定することです。
今日、このことをはっきりと分かって帰ってください。

家庭での夫婦関係、親子関係は、お互い相対基準を結んでいるので、
自分一人で考え、自分一人で決定することが
結果的には罪になりうる種となるのです。
罪だと断定することはできなくても、不和の種になりうるのです。

今日私たちが心に決め、考えるすべては、
喜びを生産するための種に
ならなければならないということではないでしょうか?

家庭を喜ばせ、自分の教会を喜ばせるというように、
自分の考えること、しようとすること全部は、
喜ぼうとしてすることではないですか?

職員修練会での説教 
『み旨による私』より
1977年5月23日 中央修練所



真の父母様は、完全に一つです。
神様に侍り、神様に一つとなっているがゆえに、
お互いを立てておられるのだと感じます。

お母様は、今日も最前線です。
お父様の願いに応えたい・・・
その一心があってなされているのだと思います。

お母様の勝利はお父様の勝利であり、
そして神様の勝利です。

どんなに誰が非難し、反対しようとも
出発が天とお父様にあるので、
その結果が実りつつある、というのです。
本当に素晴らしいことです。

夫婦一体。
ある意味、永遠のテーマかもしれませんが、
「私はあなたのためにいます」
「私には決定権がありません」
ヨハネ先生のみ言を携えて、
向かい合っていきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 08:43 | Comment(1) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする