真のお母様は、カンボジアでのサミットを終え、
首相官邸での晩さん会があったと聞いています。
ハードな世界巡回路程のすべてが
勝利的に成されることをお祈りいたします。
浅川先生の自叙伝書写講話。
今日は、「心の門を開いて聞く」です。
☆
文鮮明先生の言われる
「心を尽くして人の話を聞いてあげる」とは、
どのような聞き方なのでしょうか。
まず第一は、自分の「心の門を開いて聞く」ということです。
☆
家には門があります。
親しい人は門を開けて家の中に入れて接待します。
ところが、見ず知らずの人には、インターホンや鎖のままで、
扉ごしに話を聞きます。
疑わしい人は、少し話を聞いただけで打ち切ってしまいます。
初めから聞く気がないのです。
☆
心も同じです。
人の話を聞く気がなければ、心の門を閉じたままです。
人の話をインターホンで聞いているようなものです。
「心を尽くして人の話を聞く」というのは、
心の門を開いて心のおうちに入れてあげることなのです。
愛する心で相手の話に耳を傾けることなのです。
心のおもてなしをすることなのです。
こう考えると、どうやら、
人は“二つの家”をもっているようです。
「形ある家屋」と「見えない心」です。
☆
家屋には、大広間のような広い部屋もあれば、
三畳ほどの狭い部屋もあります。
家屋の場合、広くしたり狭くしたりすることは簡単にはできません。
リニューアル費用がかかります。
また、家屋全体の面積は簡単には広げられません。
ところが、心の家はできるのです。
いくらでも、リニューアルできます。
☆
しかも年齢も財力も関係ありません。
心の広い子供がいますが、一方、狭い心の大人もいます。
心の間取りが狭い人は、人を玄関払いしてしまいます。
うわの空で人の話を聞き、聞く耳を持っていない人です。
心を尽くして人の話を聞く人は、
心の家の間取りが広くて、床の間で心のおもてなしをするのです。
第五章 心を尽くして人の話を聞いてあげる
心の門を開いて聞く
心の門を開いて聞く
☆
真のお父様のごとく、真のお母様のごとく
広い心の家で
おもてなしができるように
まず、人を招き入れることのできる
大きな心を持ちたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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