大知(おおとも)先生の「氏族伝道の心理学」
今回は、『創造本性と堕落性』です。
☆
私たちは、「○○さんの性格」という言い方をします。
私の性格、夫の性格、子供の性格、教会長様の性格、などです。
例えば、「うちの夫は性格が明るくて、子供とよく遊んでくれるけど、
ちょっと短気なのよねぇ」というような言い方です。
私たちが誰かの性格について話すときは、
通常、「創造本性」と「堕落性」を混ぜこぜにしています。
先ほどの例で言えば、「明るくて、子供とよく遊んでくれる」
というのは創造本性かもしれません。
一方、「ちょっと短気」というのは堕落性でしょう。
このように、私たちが人の性格について考えるときには、
ほとんどの場合、創造本性と堕落性を区別して考えることをしていません。
ここに問題があるように感じます。
☆
私たちが日々実践しようとしている信仰の道は、
真(まこと)の愛の人格の完成を目指す道です。
完成人間になるために、信仰生活をしているのです。
信仰生活の目標は、完成人間、「神の宮」になることです。
そして、完成人間になったとき、信仰は必要なくなります。
では、完成した人間とは、どのような人なのでしょうか。
それは、堕落性が全くない、創造本性だけの存在です。
つまり、堕落性を脱いでいくための生活が信仰生活なのです。
散らかって汚れている部屋をきれいにしようとしたら、
まず何をしなくてはならないでしょうか。
それは、捨てるべきごみと、残しておくべきものを区別することです。
捨てるものと残しておくものをきちんと区別できなければ、
物を捨てることができません。
汚いものやいらないものを捨てられなければ、
部屋をきれいにすることはできません。
つまり、分別が必要だということです。
☆
心の中も同じです。
きれいな人間(完成人間)になるためには、
心の中の捨てるべきごみ(堕落性)と
残しておくべきもの(創造本性)をきちんと区別しなければなりません。
そうでないと、いつまでたってもごみを捨てることができず、
きれいになることはできないのです。
ですから、最初に挙げた例で言えば、
性格という言葉でひとまとめにしてしまうのではなく、
「うちの夫の創造本性は明るくて、子供とよく遊んでくれるけど、
堕落性は、ちょっと短気なことなのよね」
と考えなければならないということです。
このように考えていけば、完成した夫の姿が見えてきます。
これがつまり、創造本性と堕落性の分別ということです。
☆
夫と闘う、妻を愛せない、そうした相談も少なくありません。
なかには、離婚したい、と言ってくる方もいます。
特に国際家庭の場合には、文化の違いもあり、
離婚したいという気持ちになるのも無理はないと思ってしまうケースもあります。
そうした相談の際には、まず次のようにお話しします。
☆
「私たちは人間である以上、必ず天国に入らなくてはなりません。
すべての人が救われなければ、
神様と真の父母様の心情が安らぐことはないのですから、
天国に入ることは、神様と真の父母様の子女である私たち人間の義務なのです。
天国に入るためには、必ず男女のペアでなければなりません。
そうすると、あなたが天国に入るためには、
必ずあなたの主体者である男性が必要なのです。
天国に入る際には、誰もが絶対善霊になっているわけですから、
あなたの主体者である男性も絶対善霊になっています。
つまり、堕落性を全くもっていない創造本性だけの人間ということです。
現在、この地上にはたくさんの男性がいますが、
真の家庭以外に完成している人はいません。
ということは、絶対善霊になったあなたの主体者は、真の家庭を除いて、
この世にいるどんなに素敵で魅力的な男性よりも、
もっと素晴らしく魅力的な方になっています。
今のご主人様は、とても大変な方で、離婚したくなる気持ちもわかりますが、
もし今のご主人様と離婚せずに霊界に行って絶対善霊になったのならば、
あなたのご主人様はこの世のどんなに素敵で
魅力的な人よりも、素晴らしい人になっているでしょう。
☆
ところで、あなたは、天国に入る時に、
絶対善霊となった今のご主人様と一緒に天国に入りたいですか、
それとも他の男性と一緒に天国に入りたいですか?」。
このように聞いていけば、九割以上の人は、
「今の夫と一緒に天国に行きたい」と答えます。
現状の嫌な夫の姿しかイメージできないので、離婚したいと思うのです。
今は嫌な夫であっても、絶対善霊になって素晴らしい男性になると思えれば、
今の悲惨な状況を乗り越えていこうという力が出てきます。
☆
ただ、誤解しないでいただきたいのは、
「だから、頑張って今の生活を続けなさい」ということではありません。
状況によっては、一緒に生活を続けていっても、必ずしも良いとは言えません。
むしろ、一時的に離れて暮らすことが必要な場合もあります。
無理をしても長続きはしません。
長期的な視点に立って、きちんと対応を考えることは必要です。
ただ、離れて暮らすとしても、それは離婚に結びつくような離別ではなく、
将来必ず一緒に暮らして幸せになるために、
お互いの生活を立て直すための一時的な別居です。
私は、こうした別居のことを「戦略的撤退」と呼んでいます。
頑張って無理して生活を続けて、消耗しきってしまい、
敗走するより他に方法がなくなるよりは、
将来の勝利のために、一旦は戦略的に撤退し、態勢を立て直して、
再度安定した生活をつくっていこうという考え方です。
☆
話がずれてしまいましたが、
まず私たちがしなくてはならないことは、何でしょうか。
自分自身の中の創造本性と堕落性をきちんと区別していくことです。
そして、次にすべきことは、自らの堕落性を捨てて、
創造本性を伸ばしていくことです。
そうすれば、完成人間になれます。
こう言ってしまうと簡単ですが、実際には、そう簡単にはいきません。
まず、多くの人が、「あまりにも自分自身の中で、
創造本性と堕落性がごちゃごちゃになっているので、区別がつきません」と言います。
悲しいことですが、「統一原理」を学んでも、
実際の堕落人間は、あまりにも堕落性にまみれているので、
自分自身の創造本性と堕落性の区別がつかなくなってしまっています。
大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第3章 氏族的メシヤ勝利と心の問題解決
創造本性と堕落性
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第3章 氏族的メシヤ勝利と心の問題解決
創造本性と堕落性
☆
ちょうど、妻とこの話をしていたところでした。
子供たちがなかなかいうことを聞いてくれない、
というか、こうあって欲しいな、という願い通りにいかないけれど、
でも、本然のこの子は、違うだろうな、
そんな話です。
環境圏の問題や、
友人の影響…さまざま原因があると思いますが、
究極的には、やはり、自分(私たち親)に返ってくるわけです。
私たちがもっと守ってあげて、
正しく教育してあげれば・・・
私たちの精誠が足りないから・・・
という思いにさせられます。
それでも、「あきらめるもんか」
と思っているところです。
自分自身もそうですし、妻も子供たちも
そしてすべての人は、
「本当の姿は違う。もっともっと
素晴らしい部分がある!」
大知先生の語られるように、
「創造本性」を見つめる者になっていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)