2020年01月10日

九死に一生を得た証し、極寒の山で神にあった強烈な証し etc. 《久保木会長・前編》



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先日の梶栗会長の証しが好評でしたので、
今回は、世界基督教統一神霊協会の初代会長
久保木修己会長の証しを紹介したいと思います。

前編の今日は、少年時代から、
入教の頃までの証しです。


  神に守られ導かれた少年時代

「久保木は残れ!」。そう言われたのは突然だった。
中学1年生の時に第二次世界大戦中の学徒動員で徴用され、
北京の秘密兵器工場で働いていた。

完成した兵器を中ソ国境に運ぶ際に運搬隊の責任者として、
13歳になったばかりの久保木少年が、
十数人を従えて貨車に乗り込むことになった。

その役目から外されたのは、緊張しながら貨車の出発を待っている時だった。
理由は分からない。
意気消沈しながら出発する貨車を見送った。

その翌朝、兵器を積んだ貨車は爆破され、
乗り込んでいた運搬者たち十数人は全員爆死した。
久保木少年は、直前に役目を外されたことによって、命拾いをしたのである。


  祖国日本への帰国

日本への帰路は荒れに荒れた。
ようやく日本に着くかと思われた時、少年が乗った船を台風が襲ったのだ。
この船はあと一時間で沈むというアナウンスが流れ、船内は騒然となった。
日本にはすでに、船が沈んだという電報が送られていた。

しかし奇跡が起こり台風はやんだ。
そのあと急いで船を修理し、何とか山口県の港にたどり着くことができた。
こうして久保木少年は、13歳の時に祖国日本へと帰ってきたのである。


  立正佼成会時代

高校3年生の夏、ある家の門番の仕事を言い付けられた。
「尊いかたの家だ」とだけ聞き緊張して立っていたが、
車が通るたびに砂ぼこりで家が汚れる。
そのたびにバケツで水をかけ門や庭をきれいにしていた。

その様子をじっと見つめる人がいた。
立正佼成会で「生き仏」といわれた長沼妙佼先生である。

長沼妙佼先生といえば、幹部でさえ畏れ多くて会うことができないほど。
にもかかわらず、その心掛けに感心した先生から昼食をご馳走され
小遣いまでもらった久保木少年は、
その日のうちに立正佼成会中で大評判となった。


  統一教会との出会い

統一教会の聖日礼拝に初めて参加したのは30歳の時。
先に導かれた友人に熱心に勧められたのだ。

くたびれた二階建てのあばら屋の2階、六畳一間に
5、6人が座っているそこが教会だと聞いて驚いた。

しかし、まるで数万人に向かうように語る
説教者の姿に圧倒され、引き込まれていった。
やがて「いつかはこの青年たちのところに来なければならない」
という思いが心を占めていった。


  極寒の山で神と出会う

生きた神に出会うため、
1月半ばの極寒の山(神奈川県の大山)へ断食祈祷に行った。
真剣に祈るも、何もない日が続いたが、諦めなかった。 

断食5日目。極寒の中にもかかわらず、全身汗だくになって
絶叫するように祈っていた時、突然不思議な体験をした。

何か強い力が引っ張ろうとする。
「こっちへ来い、こっちへ来い」と、
それは心の奥底から聞こえるようでもあり、
宇宙の果てから響き渡るようでもある声だった。
その声に誘われ頂上へ登り、夜まで必死に祈り続けた。

しかし何事もなく、山を下りようかと思いはじめたその瞬間、
目の前の空が急に赤く焼けただれたかと思うと、
それはやがて紅蓮(ぐれん)の色に変わり、ぐるぐる輪を描いて迫ってきた。 

恐怖のあまり叫び声を上げようとするが、どうしたわけか口が開かない。
紅蓮の輪は、やがて白金色に変わり、その輪が煙のように広がり、
吸い込まれるようにして口の中に入ってきた。

思わず「わぁー!!」と叫ぶと、その声は前の岩にはねかえって、
甲高い金属音になって返ってくる。
次の瞬間大地が鳴動し、大地にたたきつけられて横倒しになった。
すると、先ほどの声が響いてきた。

「お前は、この信仰の道を最後まで全うする気持ちはあるのか?」
「はい、あります」
「それが本気なら、こんな所でぐずぐずするな。
すぐ山を下りて、早く真理の道を人々に宣べ伝えよ」

つい「一人では無理です」と言うと、
「一人で何でもやろうとするから迷いが生ずる。
私がいつも一緒にいることを忘れてはいけない」と言われた。

そうして一目散に山を駆け下りたその日は、
くしくも久保木会長の誕生日だった。
(参考:『愛天 愛国 愛人』、中和新聞、ファミリー)

【創立60周年記念企画】
日本統一運動史〜人物伝 1
救国救世に燃えた指導者
(久保木修己初代会長の歩み)
Blessed Life より


久保木会長が教会に導かれたことで、
立正佼成会から、多くの信者が導かれました。

その後も、統一教会、かつ勝共連合の会長として、
ご活躍されました。

日本の草創期において、基盤を広げた立役者であり、
久保木会長がおられなければ、今の日本家庭連合は
なかったといっても、過言ではないでしょう。

幼少期、立正佼成会での証しにあるように、
何事にも熱心に取り組まれる姿勢は、
天が準備された義人として相応しい
品格を持ち合わせておられたのだと思います。

また、大山で、『モーセが現れた』
そのようなことを聞いた記憶がありましたが、
神様との出会いのですね。
こんなに強烈な証しだったとは。。。
貴重な証し、ありがとうございます。

後編は、また近いうちに。。。






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久保木修己 会長(くぼき・おさみ、1931〜1998):
 世界基督教統一神霊協会(現・世界平和統一家庭連合)の初代会長。
 1964年から27年間にわたり、教会の発展と日本の救いのために献身的に歩みました。
 また世界日報社会長、国際ハイウェイ建設を推進する会会長、国際文化財団理事長、
 日韓トンネル研究会顧問を歴任。
 1996年には世界平和連合会長に就任し、生涯を世界平和にささげました。
 真の父母様より、「母奉士(モボンサ:母の国に侍る勇士)」の称号を贈られています。

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