2020年02月20日

草創期の教会がなぜ反対され、またなぜ発展したのか (お弁当のみ言)



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先日の日曜礼拝で、
教会長が選んでくださった
真の父母経のみ言に、
とても胸を打たれました。

み言を紹介させていただくとともに、
教会長が語られた内容を参考にして、
み言の感想を書かせていただきます。


韓国で開拓地に行って伝道した当時は、
一日働いた稼ぎで一日暮らすのが大変でした。
一日働いた稼ぎで、一食食べて暮らすのが
大変な時だったのです。
若い人たちが道を歩きながら、
足がもつれることがいくらでもありました。

伝道師たちがある町に開拓に行ったのですが、
食べる物がないとき、その町で働こうとすれば、
町にうわさが立って迫害がひどくなりかねないので
仕方なく十里以上離れた所に行って
働いた人たちがたくさんいます。

伝道師たちが本部からお金を持っていって
伝道したのではなく、そのような事情の中で
開拓伝道をしたのです。

それでも、絶対に食口たちに
自分の事情を話しませんでした。
ですから、食口たちは分かりません。
六ケ月たち、一年たってからそれを知っては、
痛哭するのです。

そうして、指導者に弁当を持ってきて
食べさせてあげる運動が起きました。
ですから、その御飯を食べなければならない
指導者の心はどれほど悲惨でしょうか。
また、弁当をくれたその学生が、学校に行って
昼食を抜くことを考えざるを得ないのです。

このような中で、互いにそれを克服しながら、
「私たちは死んでもみ旨を成し遂げよう」と言って、
心情的な連帯感に浸っていたのです。


統一教会に入る前までは、誰よりも良い弁当を持って
通っていた学生が、統一教会に入ってからは、
弁当を持たずに来て、昼食の時間は一人で校庭に
こっそり隠れていて、また教室に戻ってくるのです。
それが友達に見つかりもしました。
自分の親に知られたら大変なことになるのです。

一度や二度ではなく、ずっとそのようなことを
しているので、友達が彼の母親のところに行って、
「息子さんは、
以前は弁当をきちんと持ってきていたのに、
最近、統一教会に入ってからは持ってきません。
なぜ、お母さんなのに、
昼食も用意してあげないのですか」
と話す出来事が起きたのです。

それで、その母親が息子に、
「お前、学校で弁当を食べていないそうじゃないか。
どうなっているんだい」と問い詰めれば、
事実を話さざるを得ません。

親たちがこの事実を知るようになると、
ますます強く反対します。
そのようなことが全国的に頻発しました。

その上、全国のキリスト教徒たちは、
「神様の羊を奪っていくおおかみの群れが入ってくる」
と言いながら反対しました。
そのような環境で、彼らを指導していたお父様の心は、
いかばかりだったでしょうか。



改めて訓読しても胸が詰まります。。。
お弁当をもらって食べた宣教師の心は、
どれだけ感謝でならなかったでしょうか。。。

また、申し訳ない思いをもちながらも、
食べなければ、み旨を歩むことができないので、
勝利することを決意したでしょう。

そして、学生たちは、喜んでお弁当を捧げたに違いありません。
しかし、傍から見れば、弁当を取り上げる統一教会は、
異様な集団だ、と思われたわけです。

真の父母様を中心とした摂理は、
本来は国家的な立場でするような内容です。
今でさえ、ワールドサミットなど、
本当に大きな大会をすることができるようになりましたが、
草創期には、このような状態で
活動するしかなかったのです。

お父様はどれほど無念だったか・・・
しかし、それを忍耐してこられたからこそ、
今の勝利圏につながっているのだと思います。
そして、背後で見ておられる神様がおられ
その神様が、統一教会を守ってくださったということを
忘れてはならないと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 08:08 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする