『自己牧会プログラム』
証しの続編です。
☆
街頭伝道では、道行く人に声を掛けても、
断られることがほとんどです。
そんな時は、遠ざかっていく相手に光を送りながら、
その人の幸せを祈るようにしています。
ある日、街頭伝道をしていると、ちょっとオタクっぽいような、
弱々しい感じの若い男性が前方から歩いてきました。
一瞬、苦手意識が働いて、声を掛けるのをためらってしまいました。
ですが、「いや、自分の基準で選んではいけない」と思い直し、
背後から「すみません」と声を掛けました。
ところがその途端、その男性は振り向きもせずに、
片手でバシッと私の手を払ったのです。
さすがにムッときて、何か一言、言ってやろうか
という思いになりました。
でもありがたいことに、すぐに気持ちを切り替えて、
その人の幸せを祈ることができたのです。
すると、不愉快な思いに支配されていた自分の気持ちが
徐々に静まっていきました。
自分の中のわだかまりや怒りが消えて気持ちが穏やかになると、
良心の声が聞こえてきました。
「あの人、けっこう強かったね」
外見で勝手に「弱々しい」と判断していた相手が、
思いがけない強い態度で否定してきたことに対する、
率直な驚きの言葉でした。
そこには、相手に対する批判や怒りは全く含まれていませんでした。
この言葉はあまりにも意外で、思わず吹き出しそうになりました。
もし、「怨讐を愛しなさい」といった、み言に基づいた言葉だったら、
「それは分かるけどね」と、
かえって反発していたかもしれません。
自分のことを最もよく分かってくれている良心だからこそ、
自分が最もしっくりくる言葉をかけてくれたのだと思い、
心から感謝しました。
(男性、30代)
☆
「良心は両親に勝り、
良心は先生に勝り、
良心は神様に勝る」
男性修錬会で、
真のお父様と一緒に叫んだ言葉。。。
今でも忘れることができません。
私の心の中にある良心。
厳密には、神様が働くことのできる、
「本心」ということになるのだと思いますが、
神様がいつも私とともにおられることを
改めて感じさせてくださる証しでした。
前線で歩むとき、
この証しを意識して、
歩んでいきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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