自己牧会プログラムの証し。
今回は、「当たり前のことは何もない」です。
☆
新型コロナウイルスの影響で、礼拝や
集会、街頭伝道などの教会活動がストップしてしまいました。
私は教会の総務をしているので、その立場上、
感染防止の注意事項、スケジュールの変更や中止などを、
所属教会員に周知徹底することに気を配る毎日です。
いつも神経を張り巡らせていて、
正直、ストレスがたまることも多くありました。
しかし、そういう業務を続ける中で、
日曜日に礼拝をささげること、
教会員が教会に来てくれること、
教会員と話をしたりお茶を飲んだりすることなど、
日常の何気ない一つ一つがどんなにありがたいことであったかが、
よく分かるようになりました。
☆
「自己牧会プログラム」には
「人と万物に感謝する」ワークがあります。
このワークでは、
「当たり前のことは何もないのだから、
日頃から、そばにいる人や、そばにある万物に感謝しよう」
と教えているのですが、
改めてこのことを実感するようになったのです。
☆
ある朝、電車に乗って教会に向かっていたときのことです。
満員電車はウイルスに感染しやすい空間ですから、
この期間、ピリピリしながら乗ることが多かったのですが、
この朝は「乗っているだけで目的地に運んでくれるなんて、
なんて便利なんだろう」と、
今さらながら、電車への感謝の気持ちが湧いてきました。
やがて教会に着き、エレベーターに乗った時も、
「ボタンを押して立っているだけで、
上まで連れていってくれるのか」
と新鮮な感動を覚えました。
そして、「君はなんて、すごいやつなんだ。
君を発明した人は天才だね」と、
エレベーターに向かってつぶやいていました。
☆
現実を見れば心配だらけですが、視点を変えてみると、
本来、そこには何の恐れも不安もなく、
ただ神様の愛が満ちていることを発見します。
こういう時だからこそ、
「人と万物に感謝する」ワークを続けながら、
自己伝道、内部伝道に取り組み、
周りを天国にする生活をしていきたいと思います。
(男性、40代)
☆
私もこの証しをされた方と同じように、
教会の総務部長をしています。
やはり、教会の礼拝・集会がなくなって、
当たり前のことが当たり前でなくなって、
心に穴が空いたような感覚を感じます。
教会長のみ言を録画して、
「日曜礼拝」ということで、
ネット配信をしていますが、
一方通行であるし、
実体の関係に優るものはないでしょう。
証しの方が、エレベーターに、向かって
「君はなんてすごいやつなんだ」と、
感嘆していていましたが、
感謝すると、感動がうまれ、
このような讃美の言葉が自然に出てくるんですね。
新型コロナウィルスの影響でうまれた
このような状況下で、
ストレスはありますが、
逆にいつもの当たり前のことに
感謝できるチャンスかもしれません。
すべての物事を受け入れて、
感謝の思いと、それに言葉を添えて
生活していきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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