2020年03月25日

教会活動停止中、当たり前のことに感謝する生活を! 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラムの証し。
今回は、「当たり前のことは何もない」です。


新型コロナウイルスの影響で、礼拝や
集会、街頭伝道などの教会活動がストップしてしまいました。

私は教会の総務をしているので、その立場上、
感染防止の注意事項、スケジュールの変更や中止などを、
所属教会員に周知徹底することに気を配る毎日です。

いつも神経を張り巡らせていて、
正直、ストレスがたまることも多くありました。

しかし、そういう業務を続ける中で、
日曜日に礼拝をささげること、
教会員が教会に来てくれること、
教会員と話をしたりお茶を飲んだりすることなど、
日常の何気ない一つ一つがどんなにありがたいことであったかが、
よく分かるようになりました。


「自己牧会プログラム」には
「人と万物に感謝する」ワークがあります。

このワークでは、
「当たり前のことは何もないのだから、
日頃から、そばにいる人や、そばにある万物に感謝しよう」
と教えているのですが、
改めてこのことを実感するようになったのです。


ある朝、電車に乗って教会に向かっていたときのことです。

満員電車はウイルスに感染しやすい空間ですから、
この期間、ピリピリしながら乗ることが多かったのですが、
この朝は「乗っているだけで目的地に運んでくれるなんて、
なんて便利なんだろう」と、
今さらながら、電車への感謝の気持ちが湧いてきました。

やがて教会に着き、エレベーターに乗った時も、
「ボタンを押して立っているだけで、
上まで連れていってくれるのか」
と新鮮な感動を覚えました。

そして、「君はなんて、すごいやつなんだ。
君を発明した人は天才だね」と、
エレベーターに向かってつぶやいていました。

 
現実を見れば心配だらけですが、視点を変えてみると、
本来、そこには何の恐れも不安もなく、
ただ神様の愛が満ちていることを発見します。

こういう時だからこそ、
「人と万物に感謝する」ワークを続けながら、
自己伝道、内部伝道に取り組み、
周りを天国にする生活をしていきたいと思います。

(男性、40代)


私もこの証しをされた方と同じように、
教会の総務部長をしています。

やはり、教会の礼拝・集会がなくなって、
当たり前のことが当たり前でなくなって、
心に穴が空いたような感覚を感じます。

教会長のみ言を録画して、
「日曜礼拝」ということで、
ネット配信をしていますが、
一方通行であるし、
実体の関係に優るものはないでしょう。

証しの方が、エレベーターに、向かって
「君はなんてすごいやつなんだ」と、
感嘆していていましたが、
感謝すると、感動がうまれ、
このような讃美の言葉が自然に出てくるんですね。

新型コロナウィルスの影響でうまれた
このような状況下で、
ストレスはありますが、
逆にいつもの当たり前のことに
感謝できるチャンスかもしれません。

すべての物事を受け入れて、
感謝の思いと、それに言葉を添えて
生活していきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 10:32 | Comment(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月24日

(証し)真のお父様に呼ばれて、霊界に行ってきました! 霊界総動員とは  



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第61回真の父母の日 おめでとうございます。

家庭礼拝の準備で霊界について検索していたら、
3年前の記事を見つけました。

前韓国会長の柳慶錫(ユ ギョンソク)会長が、
清平つつじ祭の先祖祝福式で語られた
霊的体験の証しです。


少し前、私は脚を怪我して手術を受けました。
手術後、3日ほど過ぎた時でしょうか。
真のお父様に呼ばれ、私は霊界に行きました。

霊界に行くと霊界への入り口から続く道が、
この清平の様子と同じでした。

色とりどりに、薄紅色に染まる花の道が過ぎていくのですが、
少し離れた所に天正宮博物館が見えました。
白い石で造られた道の横には白い家々があり、
その合間に満開のつつじが咲いているのです。


私をその霊界に導いた人は劉孝元(ユ ヒョウウォン)初代協会長です。
「初めてお目にかかります。真のお父様が呼ばれています」
と言われ、私を導いてくれました。

なぜ私が霊界に行ってきたと言えるかというと、
ベッドで寝ている私を、劉協会長が起こして立たせてくれたのですが、
私が起き上がると、そばに私(肉身)が寝ており、
その横に私の妻が寝ているのが見えたからです。

「(妻に)話してから行かなければならないのに」
と思っていたら、そのまますっと消えました。
霊界に向かったのです。
もし夢であるならば、それは見えなかったことでしょう。


霊界の扉を開いて入ってみると、霊人たちが雲集していました。
彼らは聖歌を讃美し、拍手をし、熱く情熱的に讃美をしていました。

その前を見ると、遠くのほうに、とても明るい光が輝いて、
そこから情熱的な声が聞こえました。

「地上の命令に従って霊界も3年総動員だ!」
それは真のお父様の声でした。

そこにいた数多くの霊人たちは、きょう、
この場に参席した皆さんを通して祝福を受けた祝福家庭です。

私は、お父様の前に出て行こうとするのですが、行くことができません。
その熱気に押しやられて行くことができないのです。
どれほどの力でしょうか。

そのようにして、身もだえしているうちに時間となり、
劉協会長が「もう行かれなければなりません」
と言われ、再び下りてきました。
そして目が覚めたのです。


真のお母様によって私たち統一家は、3年総動員を通して、
全食口がビジョン2020に向かって出征しました。
これとともに霊界でも、真のお父様を中心として3年総動員を出発しました。

皆さん、考えてみてください。
この周辺に、おそらく霊界まで、数千億の善なる祝福家庭の先祖たちが
今、皆さんと共におられるのです。

皆さんは、以前の先祖祝福式をされる時とは
全く異なる霊的気運を受けるでしょう。

そして家に帰ってから、生活の中で目を閉じている時、
ある瞬間、皆さんの善なる先祖たちが訪ねてきて
皆さんの歩みをせき立てるのです。

この3年路程を新しく出発するよう、
懇切な心情で皆さんと共にいることでしょう。

そのような霊的気運を受ければ、この3年路程に
驚くべき天の役事と恩寵が共にあるでしょう。
火のように降りてくる役事を
胸で受けるために準備しなければなりません。

このような時に、先祖祝福式に参加することは偶然ではありません。
皆さんこそ、新しい摂理の偉大で歴史的な生を生きていく人々です。


真の父母様が願われる通りに成就してさしあげ、
真の孝子、孝女として忠臣の位置に入り得る唯一の道は
ビジョン2020に向かう道です。

真の父母様に、「私はこのように来ました」
と涙ながらに歩み寄る時、父母様が、
特に真のお父様が両腕を広げて明るくお笑いになれるような、
私たちの生涯の実績がなければなりません。

祝福家庭の皆さん。
天が下さった最後の瞬間を、私たちは天の父母様(神様)と
真の父母様にお仕えしながら、この3年路程を通して、
誰よりもみ旨のために精誠を尽くし、忠の道、
孝の道を歩んだという印を受けることができるように願います。

(一部編集・文責:ten1ko2)

2017天運相続つつじ祝祭 孝情 清平特別大役事
「1-301代先祖祝福式」主礼の辞
天一国5年天暦4月12日(2017年陽暦5/7)
天宙清平修錬苑



3年前、柳慶錫前会長が、会長当時、
お父様に呼ばれて、
なんと霊界に行って来られた証しです。

ちょっと天正宮に呼ばれたみたいな
話し方ですが、
つまり幽体離脱をされて、霊界にいる
お父様の様子を見てこられたということです。。。

3年前、VISION2020勝利に向けて、
霊界では3年路程を出発したところでした。

お母様の勝利の歩みも、
お母様ご自身の決意も当然ありましたが、
それだけではなく、お父様を中心として、
解怨祝福された先祖たち、絶対善霊たちが、
昼夜もなく総動員で頑張ってくださったのでしょう。

霊界は、地上での摂理と直結しているんだなと感じます。
地上ではお母様が2020年までに向かっているのと同じく、
総動員体制で協助していたのでした。

これから、新たなる7年路程に向けて、
さらに絶対善霊の協助があると思います。

問題は地上にいる私たちです。
活動するのは、私たちなので、
霊界の協助を受けていることを確信して
歩むときであると思うのです。





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posted by ten1ko2 at 06:47 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月23日

「3世代で暮らしなさい」と言われる理由?! 《大知先生の「氏族伝道の心理学」》



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大知(おおとも)先生の氏族伝道の心理学。
「濃くて良い人間関係をつくる」の続きです。

 
私たちは、教会に来ることにより、
親子関係や兄弟関係、氏族関係が
薄くなってしまっていることが多いように思います。
 
もちろん、み言を聞くことによって
私たちの心情が変わったことにより、
親子関係が良くなったということもあるでしょうけれど、
その一方では、入教生活をし、
み旨を中心とした生活をする中で、
親・兄弟・氏族と接する機会が少なくなったために、
関係が改善したと感じていることもあるのではないでしょうか。

先に述べたように、本然の関係は、濃くて良い関係です。
私たちが目指すところは、親・兄弟・親戚と
一つ屋根の下で暮らして、それでも不安と怒りのない、
愛の関係をつくることです。

お父様が「三代で暮らしなさい」とおっしゃる理由は、
先に挙げた親に侍ることによる
四大心情圏の完成ということとともに、
堕落性を脱いで創造本性の関係をつくるためにも
必要なことだと感じています。

遠くに住んでいると優しい気持ちになれるし、
穏やかな気持ちで電話をしたり、物を送ったりできます。
しかし、一緒に暮らすと、いろいろな思いが出てくるものです。
 
 
私自身のことについてお話しします。
 
私は一人っ子で、かわいがられて育てられました。
父は大学教授で、母は専業主婦で料理の先生でした。
何不自由なく育てられましたし、
両親が感情的になって私を怒ったことは
ほとんどありませんでした。
もちろん両親が私をたたいたことも、記憶にありません。

私は、大学院に入るために親元を離れ、
長い間両親と離れて暮らしていました。

み言を知っているということもありますが、
遠く離れて暮らしていると、
両親に対する怒りが湧いてくることは全くありませんでしたし、
親孝行ができていないことも本当に申し訳なく思っていました。

それが、ある時から一緒に暮らすようになりました。
すると、父親や母親のちょっとした言動に
イライラしている自分がいることを感じるようになったのです。

ほんの些細(ささい)なこと、親にとっては何気ない言動、
場合によっては、私のことを思って言ってくれている一言が、
私の心をイライラさせるのです。

こうした自分自身を見ながら、
改めて完成への道のりが遠い自分自身であることを
感じさせられています。

今、私自身、両親との関係を
一つずつ整理しながら歩んでいるところです。

早く先に紹介したお父様の平和のメッセージの中にあるような、
無上の喜びを感じることのできる
孝行息子になりたいと思って、日々の生活をしています。
ただ、その基準ははるか彼方ですが……。

 
こうした私の体験からも、堕落性を脱いで
本然の関係を回復していくためには、
親子が一緒に暮らすことが不可欠だと言い切れます。

離れていては、心の奥底にある
歴史的な堕落性を掘り起こしていくことができないからです。

お父様が三代で暮らしなさい、という
メッセージの意味の一つには、
三代で暮らす中で親子の間に創造本然の情関係を結べたときに、
その血統の歴史的な問題が解決し、
本当の意味で完成していけるということが
あるのだろうと考えています。

創造本然の親子関係とは、どのようなものなのでしょうか。

 
お父様の平和のメッセージの中には、
真の愛の人生について、次のような一文(文章)があります。


「(真の愛とは)与えても、与えたという事実すら
記憶せず、絶えず与える愛です。

母親が子女を胸に抱いてお乳を飲ませる
喜びと愛の心情です。

子女が父母に孝行して喜びを感じる、
そのような犠牲的愛です」。



 
私は、初めてこの文章を見たとき、びっくりしました。

親に孝行をして感じる喜びとは、
母親が子供を抱いてお乳を飲ませる喜びと
同じレベルで感じられる喜びだということを
初めて知ったからです。

私は男性なので、子供を抱いてお乳を飲ませる
喜びというのを実際に体験したことはありませんが、
それが無上の喜びであろうことは、想像に難くありません。

親孝行の喜びとは、それに勝るとも劣らないものであったとは……。

私の親に対する情が、いかに本然の基準から
かけ離れているかということを実感させられた瞬間でした。

私たちは、そうした情を復帰していかなければならないのです。
そのために、親に侍り、氏族に侍り、
氏族的メシヤを完成していくのです。

そして、それが結果として、
私の心の問題の解決となり、
夫婦の問題、子供の問題の解決につながるのです。

大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第3章 氏族的メシヤ勝利と心の問題解決
「濃くて良い人間関係をつくる」より


お父様の真の愛に関するみ言は、
今まで何気なく拝読していましたが、
大知先生のご指摘で、私も衝撃をうけました。

「与えても、与えたという事実すら
記憶せず、絶えず与える愛」
そのような犠牲的な愛が、真の愛であるということです。

そこで挙げられているのが、
母親が赤ちゃんに授乳する時の愛と、
親孝行の心、すなわち「孝情」です。
おさなごのような、素直な愛のことでしょう。

つまり、無心に喜んでつくす孝情は、
母の犠牲的愛に並ぶような
「真の愛」であるということになります。

なるほど、そういった意味だったんですね。。。
今までピンときていませんでした。

今では、お母様が端的に「孝情」という言葉で
表現してくださっていることが、
どれだけ、素晴らしい概念なのか、
と、あらためて感じます。

「神様の愛は家庭に現れる、
それが四大愛(心情)である」といいますが、
三世代で暮らす、ということは、
孫の愛、祖父母の愛が加わり、
愛の次元、器がさらに広がっていきます。

それぞれが「孝情」をつくしつつ、
四位基台の中心に祖父母がくれば、
神様を迎えやすいと感じます。

具体的な侍り方、心情復帰については、
これからの記事になります。
お楽しみに。





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posted by ten1ko2 at 09:34 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする