2020年03月22日

(証し)どん底に落ちた時、夢でお父様に励まされた! 〈史吉子先生〉



10407835_411509805666090_6511305102461897421_n.jpg


昨年聖和された史吉子先生の
『原理に関するみ言の証』
からのピックアップです。

史先生は、いわゆる梨花女子大事件で
統一教会の信仰を続けたために、
退学させられました。

肩書きもない立場で、
『落伍者』となってしまったと思い
そうとう悩み落ち込んでいたそうです。

そのときにお父様の夢を見たといいます。


私がそのように悩んでいたら、
お父様が夢に現れました。

退学させられた14人が
山でお父様を囲んで座っていたのですが、
私が悩んでいることをお父様が知って、
おっしゃるには

「私があなたたちにお金や学識を願わない。
あなたたちにはこの世の中で
一番純潔な純粋さと愛がある。

あなたたちは先生がすることに対して、
批判することを知らない。
あなたたちには全然批判する影さえもない。

私のすることは何でも信じてくれて、
何でも当然だと思って、
何でもついていこうとする従順な心がある。

その従順な心が、
この世の中の何よりも貴いものであることを知りなさい」

と言われました。

その夢を見てからは、
「やっぱりそうだ。
私たちが教授や大臣ではないといっても、
私たちにはお父様に対して
無条件に従う信仰がある」
ということを考えるようになりました。

(第8章 アダムの家庭、ノアの家庭 より)


史吉子先生の夢。
実際のお父様が話されているような、
リアルな夢ですね。

私達食口の、「誇り」というか、
「貴い」なと感じるところは、
素直さ、純粋さ、そして従順な姿、
なのではないかと思います。

史吉子先生など、
梨花女子大に通っていた大先輩たちは、
学校側の迫害により、
退学させられてしまいました。

また、昔の先輩たちは、み言に出会って、
大学を卒業する前に献身するため、
中退する人が多かったそうです。

まさに純粋さ、従順な心を
先立たせた結果だと思います。
どんなに実力があっても、
素直さを超えるものは何もないと思います。

天一国時代になって、
「天一国主人」より主体性を求められる時を迎えました。
しかし、あくまでも
お父様ご自身が認めてくださっているように
縦的信仰と、従順な心が土台であると思うのです。





にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の家庭連合のバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


史吉子(サ キルジャ)先生:
  韓国本部教区天福宮教会所属、36家庭(3双)。
  天一国7年天暦7月20日(1919陽.8.20)午前7時50分に聖和。
  享年87歳。
  1954年入教、1955年5月11日いわゆる梨花女子大事件で強制退学。
  1960年4月16日、劉孝元先生と3双の祝福を受ける。



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


2020年03月21日

孫が独生女に呼びかけ「お母様、私たちがいます!」 文信出様・御聖誕記念の書信



200321-20200130.jpg
真の父母様聖誕記念 特別午餐会 2020.1.30☆


真の父母様の御聖誕記念日、特別午餐会で、
文信出様が、書信を読まれました。
以前、一部紹介したことがありましたが、
今回は、全文紹介させていただきます。


お父様御聖誕100周年
お母様御聖誕77周年
お祝い申し上げます。

お母様、お父様聖和後、2020年だけを見つめながら、
この摂理だけを見つめられ、私たちを導かれるために、
ご苦労が多かったと思います。

摂理だけを見つめ、走ってこられ、
お母様、すでに77歳になられましたね。

お母様は、お父様聖和後、
一人でどれほどまでに苦労の道を
歩いて行かれたのか、想像もできませんが、
摂理のために今まで歩んでこられたことに、
心より感謝申し上げます。

皆さんもご存知の通り、お父様聖和後は、
私たちの教会は、内的にとても辛かったです。

お父様聖和以降2013年基元節を迎えるまでの
短い期間は、私たちの教会は大きく揺れ動きました。

しかし私はその当時、基元節を迎えながら、
不安や心配という気持ちは、全くありませんでした。
なぜならば、お母様は苦しそうなご様子を、
お見せにならなかったからです。

私はその当時においては、私たちの教会が
危険な状況下であることを、全く知らずにいました。

特に私がお母様に基元節に、
聖杖を奉呈させていただいた時、
聖杖を奉呈しながら見えたお母様の表情や、
堂々とされたお姿を拝見し、
なお、いっそう安心していました。

しかし、真のお母様から真のお父様に
捧げられた書信を聞いたあとには、
お母様のあの時のお姿は、
私たち食口や統一家を安心させるためであった、
という事実を知りました。

お母様の実の息子たちが、お母様に背を向け、
信じて従うべき公職者たちも不信し、
世論も「統一教会はもう終わりだ」と言った時、
お母様の心情はどうだったでしょうか。
私はこのような疑問が出てきました。

到底、想像もできません。
涙も流すことができないほどに、
申し訳ない気持ちになりましたし、
自身を恥じる思いしか、出てきませんでした。

その時から、私は初めて、心から
願う夢を持つようになりました。

その夢はまさに「お母様がご在世時に
この摂理を完結し、お母様が安息できる
環境を造成すること」です。

今までご苦労されたお母様が心置きなく、
休んでほしいという願いが強いからです。

たとえ今までお母様がしてこられた苦難を
私たちが無くすことはできませんが、
これからお母様が行かれる道を
少しでももっと楽にして差し上げたいのです。

お母様、心配なさらないでください。
私たちがいます。

お母様のご苦労を知っている一世、二世、三世、
そして四世、統一家の食口が全世界にいます。
お母様が引っ張ってくださるのを受けるだけではなく、
お母様とともにこのみ旨の道を歩みたい私たちがいます。

私には夢があります。
お母様が90歳になられる前に、
この摂理が終わりを迎え、
お母様が安心して休むことができたら幸せです。

現実的にこの夢を成し遂げることは難しい
という事実を知っていますが、
この夢を私は目指し、一日一日を
生きていくことを決意いたしました。

まだ私は不足でお母様の直接的な
助けにはならないかもしれませんが、
いつもお母様に絶対服従しながら、
お母様を中心とした家庭を成し遂げ、
お母様の助けになる孝行息子として
成長することができるように、
私の最善を尽くしていきます。

最後にもう一度、この日を心から
お祝い申し上げながら、終わります。
お母様、愛しています。



お母様は、お孫様たちに、天正宮博物館で、
直接ご指導されていると言います。

しかし、お父様が聖和されたあとの
深い心情の世界は、お母様の書信を通じて、
初めて知ったと信出様は語られていますから、
ご自身が通過されたご心情は、
誰にも話されなかった、ということだと思います。

たったお一人で、全ての重荷を背負い、
乗り越えてこられたお母様だったのだ、
改めて感じさせていただきました。

信出様の決意は、お母様の心に届いたと思います。
また、口先だけの決意ではなく、
本心からのものだと思います。

そして、私たちも同じような心情を
心から、自発的に、本心の叫びを
先立てていきたいと思うのです。






にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の家庭連合のバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)



posted by ten1ko2 at 08:35 | Comment(0) | ご子女様・真のご家庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月20日

儒教に学ぶ5つの関係 西洋にはない家庭のあり方と「孝」 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



200320-20200130.jpg
第53回天の父母様の日および天地人真の父母聖誕記念
特別午餐会(2020.1.30)HJ天宙天寶修錬苑☆


李ヨハネ先生(イ ヨハン)先生のみ言。
「孝」の続編です。


ユン・ソンボム神学博士が、「孝」という本を出しました。
西洋神学を学んだ韓国のキリスト教の牧師たちは、
その本を見ても分からないでしょう。

私たちの原理をもって照らしてみれば、
ユン博士は「孝誠」を知りながらも、
家庭関係の倫理を知らないようです。
イエス様が家庭を持たなければならなかったことが
分からないからあいまいになるのです。

その孝という名詞を探し出し、
エデンの園のアダムとエバが、
神に孝行しなければならなかったということは発見しました。

しかし、イエス様がこの地上に来られて、
一男一女として家庭を築き、
神に孝行しなければならなかった
ということは発見できませんでした。

夫婦の愛は神に孝行しようとするものです。
自分たちが喜ぼうとするのではなく、
神を喜ばせてあげようとするのです。
自分が喜ぼうとするのではありません。


東洋倫理にはよい言葉が多いのです。
子女が天に向かう心を「孝道」という言葉で表したり、
また侍り奉るとか、
恭敬(敬い尊ぶこと)のような言葉でも表現したりします。

西洋倫理は、ただ愛という言葉一つだけです。

神に対することも愛、夫婦どうしも愛、
兄弟間も愛という言葉一つで表現します。

アガペーという言葉は、犠牲的で献身的な意味を表しますが、
それが具体的にどのように使われなければならないか
ということは分からないのです。

またピリアやエロスということもそうです。
すべて、愛という文字が入ってこそ、
意味が通じるのではありませんか。


東洋倫理の三綱五倫* で、友達の間では
「朋友有信」という言葉を使いました。
友達の間では「信」という言葉を使ったのです。

愛という言葉は使いませんでした。
「信」は信頼です。
これは本当にいい言葉なのです。

五倫では、お互いに信頼し合わなければならないといっています。


その次には、「長幼有序」、これは
先輩と後輩の間で秩序を守らなければならないという意味です。

愛という言葉を使わないで核心をついています。


「君臣有義」は、王の前に犠牲になり、
奉仕する義がなければならないということです。
これは、今日私たちの蕩減復帰路程で、
義を立てなければならないという言葉にも当てはまります。

神は私たちの中の義を見て贖罪されるのです。
義とされてこそ贖罪されるという意味です。
それは難しいことです。


次には「父子有親」しなければなりません。

皆さんの中で一つの孝の心、すなわちみ言に対する孝の心、
み旨に対する孝の心、主体者に対する孝の心、
この孝の心を持つ人は環境に支配されません。

孝の心を持つ人は簡単に感情を表に出しません。
大笑いもできません。
なぜでしょうか。
孝の心が浪費されるからです。


孝の心は秘密にしなければなりません。
天の前に孝行する心を持つ人は、孝子です。
秘密を保たなければなりません。

宇宙の秘密とは何か。
父子の関係です。
この関係を一番秘密にしなければならないのです。

先生は宇宙の秘密は神と人間の関係であり、
それは父子の関係だとおっしゃいました。

今まで、新約の秘密が親子の関係であるのに、
分からなかったのです。

この関係が切れてしまえば、根のない木と同じです。
ですから皆さんは、この関係を
しっかりと保って育てていかなければなりません。


将来皆さんは、神に責任を持つ人にならなければなりません。
少しずつ心情的に成長しながら……。
天との関係において、さらに
親しみを持つようにならなければならないのです。

孝なしには親しくなることはできません。
なぜか。
愛は絶対的に与えられているからです。

人間は創造主の子供です。
神と人間は親子の関係なので、父母の愛を論ずる必要がありません。

愛の光を持って、「愛の魂」として生まれた私です。
生まれるときから愛の光を持った実体として生まれたので、
成長しながらその愛の光を返さなければなりません。

孝道によって返さなければなりません。
返してこそ、「父子有親」をなすことができるのです。
責任を果たさなければ、「父子有親」はなされないのです。


愛の光をいっぱい持ちながらも、
自分勝手な生活をしてはいけません。

自分を中心にしてうれしい、悲しいとしたら、
自分を肯定することです。
それは、天を裏切ることです。

それゆえ、孝の心を持った人はやたらに横的に流しません。
罪が犯せないのです。
なぜそうなのでしょうか。
私は父のものだからそうなのです。

孝の心を持つとはどういうことかといえば、
私を父のものとして考える忠誠心を持つということです。
それを指すのです。

ですから、私が努力すべきすべてのことには使命感を持って、
精誠を尽くさなければなりません。
これが孝の心の発露なのです。


その内容は秘密です。
その行動を見て感動するのです。
内容を隠して態度で感動を与えることを、
「徳化」といいます。

生活を通して、徳化力が生じなければなりません。
心情の秘密を持てば、いつも徳化力が生まれてきます。

これをもって皆さんは自分自身の立場をよく保ち、
チェックしなければなりません。

勉強しながらも、果たしてこれが孝誠の勉強か、孝誠による生活か、
すべてやることに使命感を持っている私か……。
これが徳化力の原動力になるのです。

私がすることは父の願いを引き受けたものです。
ですから父の前に孝誠を尽くして
お返ししなければなりません。

このように孝誠を通さずしては、「父子有親」がなされません。
これが東洋倫理の骨子です。

それゆえ西洋のすべての哲学と神学と文学が、
韓国を訪ねてこないではいられないのです。
真の父母によって、天運が来ざるをえないのです。

第二章 孝誠の種 「孝」
「父子有親」をなすには
1986年4月統一神学校
(この説教は、統一神学校の四年生を対象に語られたもの)


*三綱:忠孝烈
 五倫
  考:父子有親(孝行)
  義:君臣友義(忠誠)
  別:夫婦有別(男女の役割)
  序:長幼有序(上下の秩序)
  信:朋友有信(信義)
夫婦有別については、
↓ 先回紹介しました
あなたの「あばら骨」に徹する幸せ?! 《李ヨハネ先生》

三綱五倫は、儒教の基本的道義です。
韓国では儒教が根付いているので、
ヨハネ先生も説明なく話されていますね。

日本にも伝わったものではあるので、
詳しい内容は知らないまでも、
説明されれば、理解できますが、
西洋では、そのような精神や言葉自体が
ないといいます。

イエス様のみ言は、本来、西回りでなく、
東回りで伝えられるはずであった、
そのように聞いたことがあります。

イエス様が誕生する約400年前、
孔子や釈迦が儒教、仏教を開きました。
東洋思想がキリスト教と融合していれば、
素晴らしい教えが伝播されていたでしょう。

しかし、西回りになったので、
キリスト教哲学は、「家庭」を基本とした、
教えにはならなかったのだと思います。

そういったことを考えても、
韓国で生まれた統一原理は、
東洋と西洋の思想を融合させた、
素晴らしい理論であることを感じざるを得ません。






にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の家庭連合のバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)



posted by ten1ko2 at 08:26 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする