自分の心の中にいる神様―良心―との対話(瞑想、祈り)によって、
自己中心的な思いに囚われていたことに気付き、
本然の自分を取り戻していく
「自己牧会プログラム」の体験談です。
今日は、祝福2世の女性の証しです。
☆
私は公職者(教会の職員)の両親のもと、
一人っ子として育ちました。
私が3歳の時のことです。
「安侍日(アンシイル)」の朝、あまりの眠さに
だだをこねて、母に当たり散らしてしまったことがありました。
するとそれを見た父がキレて、私を玄関まで
引きずっていき、「出て行け」と言ったのです。
以来、そのことが恨みになり、
父に対して完全に心を閉ざしてしまいました。
遊びに連れていってもらっても楽しくなかったし、
親子らしいけんかもしたことがありませんでした。
☆
ところが、大学生になって21修に出た時、閉講式で、
「親の愛を父親からも母親からも感じられないと、
本当の意味で天の父母様の愛を感じることはできない」
という話を聞いたのです。
衝撃でした。
帰りの電車の中でも、そのことが忘れられず、
悶々(もんもん)としました。
私は必死で、「どうしたら
お父さんの愛を感じられるのだろう」と良心に尋ね求めました。
☆
心の整理がつかないまま家に着き、
母に21修の報告をしていたところ、
「(単身赴任中の)お父さんにも電話したらいいよ」
という良心の声が聞こえてきたのです。
しかも、「テレビ電話がいいね」と。
それまで自分から父に話し掛けたことはなく、
ましてや電話をするなどもってのほかでした。
うろたえる私にお構いなく、良心は
「電話したらいいよ」と言い続けるのです。
激しく葛藤しましたが、ついに
「良心の声に従ってみよう」と心を決めました。
☆
いざiPhoneの画面に父の顔が映ると、戸惑いましたが、
父の目をじっと見詰めた時に、
小さい頃の父との良い思い出がよみがえってきました。
公園で遊んでもらったこと、プールに連れていってもらったこと、
アイスを買ってもらって一緒に食べたことなどが、
走馬燈のように浮かんできたのです。
その瞬間、「ああ、私は愛されていたんだ」
という実感が心の底から湧き上がってきました。
そして自然に、
「今まで本当にありがとう。お父さん、愛しています」
という言葉が口を突いて出てきたのです。
自分でも不思議でした。
☆
その時、私は初めて父の涙を見ました。
祖父の葬式でも泣かなかった父が、画面の向こうで泣いていたのです。
また、私と父の会話を
台所でキュウリを切りながら聞いていた母も、
泣いていました。
家族が愛で一つになった瞬間でした。
私の良心は、私が一番したくないことを
提示してきたけれど、その声に聞き従うことによって、
何倍もの喜びが返ってきました。
良心は、私が幸せになるように
明確に導いてくれる第二の神様です。
(女性、20代)
私の心の中にいる神様 4
私を幸せに導いてくれる良心
私の心の中にいる神様 4
私を幸せに導いてくれる良心
☆
感動的な証しでしたね。。。
おそらく、お父さんは、娘さんに対して、
3歳の時のことを覚えていて、
ずっと負債に思っていたと思います。
お母さんもお父さんと娘の関係をどうしたらいいか、
本当に悩んでいたでしょう。
しかし、娘さんの良心が
今までの穴、すべてを埋めてくれました。
良心は、第2の神様、「私」の神様。
本当にそうだと思います。
娘さんは、21修に参加され、
自己牧会プログラムを受けるような、
とても信仰的な方でしたから、
より、良心が働きやすかったのかもしれません。
問題は、良心に従って、
実践するかどうかです。
娘さんも良心の声を聴いた時、
お父さんに電話をかけなければ、
感動的な証しは生まれなかったでしょう。
「私」に働く、良心の声を謙虚に聞いて、
実践できる強い意志を持ちたいと思います。
また、どんな人にも良心があります。
家族や周りの人たちの良心を働かせるような、
善なる授受をしていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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