ひさびさに神明(しんみょう)先生の信仰エッセー、
『UTS時代の神体験』より、
「イエス様も絶対にメシアだ!」を紹介します。
☆
私は統一運動のメンバーとして、
メシアであられる真のお父様と真のお母様の路程を思うと、
大きな愛と勇気の力が与えられ、
試練のときにも
人を心から愛し忍耐することができたと思います。
と同時に、2000年前に来られたイエス様も、
たとえ十字架上の死の路程を行かれたとしても、
いや、十字架の路程を行かれたがゆえに、
メシヤとしてのすごい愛の力を持たれる、
ということを言いたいと思います。
実際、そのようなイエス様を私は肌で感じました。
☆
UTS で教え始めてから3年経った1988年頃のことです。
UTSスタッフの中に問題児の女性(白人の米国人)がいました。
彼女は協調性がゼロで、しょっちゅう人とぶつかっていました。
また、他人から忠告されたり指図されたりすると、
直ぐに怒り出すのでした。
後で分かったことですが、彼女は幼いときに実父から虐待を受け、
それがトラウマとなっていた、かわいそうな食口だったのです。
彼女の問題を聞いた総長は、彼女を解雇することにしました。
しかし、総長の独断ではなく、その前に一応皆の意見を聞いて、
皆のサポートのもとに公式発表をしようということになり、
UTSのトップ7、8人を集めた会合が開かれました。
彼らは皆、すでに総長の願いを知っているものですから、
「はい、解雇すべきです」と答えました。
☆
ところが私の心の中には、それとは全く異なる思いが
フツフツと湧いてきたのです。
その思いがあまりに強くなるので偽ることもできず、
「解雇すべきではないと思います。
今まで私たちは彼女のために、
一体どのくらいの時間を割いて、
面倒見ようとしたでしょうか」
と失礼にも言ってしまいました。
総長も皆もびっくりしましたが、総長は 、
「それでは、彼女をドクター・シンミョウが責任を持って、
面倒を見てくれたまえ」 と宣告して、会合が終りました。
☆
それからというもの、授業の合い間を縫っては、
食堂の片隅のテーブルで必死に彼女を和動し、
カウンセリングをしました。
だいぶ良くなったので、これなら大丈夫だろうと、
彼女を仕事場に送りました。しかし、しばらくすると
また人とぶつかってキックアウトされ、
私のところに連れ戻されてくるのです。
そんなことを4、5回繰り返すうちに、
“やはり無理なのかな” という悲しい思いがあふれてきました。
しかし、絶対に彼女を助けたいという決意で、
今度は彼女を私個人のオフィスに迎えて
カウンセリングをすることにしました。
“これが最後になるかも知れない” と思うと、必死でした。
☆
あまりにも必死だったせいか、
見よ、私の頭上1メートルぐらいの少し右側に、
突然イエス様の顔がはっきりと現れたのです。
その瞬間、驚くべきことに、
そのイエス様の顔が私の体に入り込み、
私の口を通して彼女に語り始められました、
大粒の涙を流しながら。
「この私があなたをどんなに愛しているか、知っているのか。
その愛ゆえに十字架に行ったのを知っているのか」
次にイエス様は、私の体を通して両手を広げて
彼女に歩み寄り、ハグし、泣かれました。
その時の私自身の意識は、そのような超自然的現象を
止めようと思えば止めることもできるというものでした。
☆
さすがの彼女も非常にびっくりして、
涙ぐみながら「すみません」と言い、心から悔い改めました。
彼女はそれからは二度と問題を起こさず、
UTSのスタッフとして働き続けることが許されました。
実に驚くべき奇跡が起きたのです。
この証しで、私は自分の体験を誇るつもりは毛頭ありません。
ただ「皆に仕えるために歩みたい」と言いたいだけです。
そして、「イエス様も絶対にメシアだ!」と
声を大にして言いたいのです。
UTS時代の神体験:ドクター神明の信仰エッセー
☆
素晴らしい証しですね。。。
私のように、キリスト教を知らない者からすると、
イエス様は、メシヤであることは知っていますが、
使命を果たせなかった方、
その思いがあって、申し訳ない限りです。
誰のゆえに果たせなかったかといえば、
私のような無理解な人類ゆえだったわけです。
2000年間の歴史を、イエス様は
クリスチャンたちを霊的に導いてこられました。
どれだけ愛したかったか、どれほど
天国を作ることを熱望してこられたのか。。。
クリスチャンたちは、神明先生に現れたように、
霊的な体験、恩恵を受けてきたのですね。
神明先生の、あまりに切実に愛したい、という
心情ゆえに、先生を通過体として
イエス様も現れることができたのだと思います。
問題児だった女性の
親に正しく愛されなかったトラウマも、
イエス様の、あまりに溢れる愛に触れて、
きっと解かされてしまったのでしょう。
勝利された、真の父母様に侍る者として、
イエス様を通して受ける恩恵以上の
霊的体験、恩恵を受けなければ、
そんな思いにもさせられます。
そのためにも、私が勝利したい、というよりは、
この人を愛したい、仕えたい
そのような心情が必要だと、気づかせて頂きました。
神明先生のエッセイ、不定期に紹介します。
お楽しみに。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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