お寺の檀家でありながら、神棚を祀る・・・
日本は、八百万、雑教の民族であると言われます。
しかしながら、世界に注目される文化をもち、
民度の高さ、強い精神性をもっています。
それは、どこから来ているのか。
Blessed Lifeのコラムより、興味深いお話を紹介します。
☆
「主は言われる、背信のイスラエルよ、(わたしに)帰れ。
…わたしはいつくしみ深い者である。
いつまでも怒ることはしないと、主は言われる」
(エレミヤ書 第3章12節から一部抜粋)
「日本は非キリスト教国家なのに、なぜ、
こんなに高い文明と高い倫理観を持っているのか」
というのが、欧米人が持つ疑問と驚きだといいます。
つまり、キリスト教を知らない国は「低級な三等国」である
という認識が、欧米人の前提にあるからです。
この欧米人の疑問に答えなければなりません。
☆
「日本には、『日本的霊性』というものがある」
と唱えたのは、鈴木大拙(1870〜1966/禅についての著作を英語で著し、
日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者)ですが、
彼によれば、日本人の基層にはある独特の精神性があり、
これを
「禅と浄土教の他力思想が核となった
超倫理的、超精神的宗教意識」
といっています。
つまり、日本人には儒教や仏教やキリスト教などの外来宗教が来て、
それなりの影響を受け、良いところは受け入れるが、
基本的なところでは決して染まらない精神性があるというのです。
☆
山本七平は、同じことを「日本教」と呼びました。
現住所は仏教であり、キリスト教であっても、
本籍は「日本教」だということでしょう。
日本的霊性の源泉を考えると、
@仏教の死生観
A武士道の儒教的規範性
B神道の世界観、
この三つにたどり着けると見られます。
そのうち、縄文・弥生時代以来の古神道の影響を
最も強く受け、これが日本的霊性の基層を成しています。
「自然を崇め、
先祖を尊び、
和と共生を重んじ、
清浄を好む」
というもので、この神道的宗教観の上に、
仏教の無常観や武士道的な忠孝の規範性が加味されて、
日本的霊性が出来上がっていると考えていいでしょう。
☆
この日本的霊性は、
エホバ(ヤハウェ)の神がいない日本において、
キリスト教倫理に匹敵する
高い倫理性の源泉になってきました。
曖昧で一貫性がない、ぬるま湯的で節操がないと
揶揄(やゆ)されることもありますが、
一方では、日本の「見えざる国教」として、
外来文化を柔軟に取り入れ、高い倫理性を持ち、
国民の見えざるアイデンティティーとして大きな力を発揮してきました。
☆
しかし、「画竜点睛
(がりょうてんせい)を欠く」という言葉があるとおり、
日本的霊性には、他の全てのものがそろっているけれども、
肝心の目が入っていないというのです。
目とは「神」という観念です。
日本的霊性には「神らしきもの」はあっても、
「真の神」が存在しないということです。
聖書的に言えば、
「唯一にして創造主たる父なる神」の欠如
ということになるでしょう。
日本的霊性に「神という目」を入れることが、
これからの日本の大きなテーマになるのです。
☆
「主は言われる、背信のイスラエルよ、(わたしに)帰れ。
…わたしはいつくしみ深い者である。
いつまでも怒ることはしない」
と言われる唯一神エホバは、いつくしみ深く、
いつまでも怒ることをしない神ですから、
日本的霊性で頑張ってきた日本民族をさらに高い使命に導くために、
また、世界平和の先導役の責任を任せるために、
日本民族の最後の仕事、
日本的霊性に神の目を入れる仕事をどうか頑張ってほしいと
願っておられるに違いありません。
それを一体誰がやるのでしょうか。
このコラムに接する皆さま一人一人であると申し上げます。
コラム・週刊Blessed Life
日本と一神教
日本と一神教
☆
「日本教」面白い発想ですね。
コラムでは、「日本的霊性」と表現しています。
日本人は信仰をもつこととか、
「宗教」という言葉に抵抗感のある人が多い
と感じてきました。
私自身も、み言に触れる前は、
「新興宗教・宗教団体」を毛嫌いしていましたが、
キリスト教から「異端」と呼ばれ、
世間からも疎んじられてきたところにいるのですから、
これも運命なのでしょうか。
神様は、世界中に散らばった人類の
地域性や個性に合わせて、
宗教や思想を準備されたといいます。
イエス・キリストがユダヤにおられた時、
日本は、まだ弥生時代でした。
しかし、現在は世界有数の経済大国になりました。
高度な文明を発展させてきたのは、
日本人の民族性だけではないと思います。
生きて働いておられる神様が
日本に天運を与えたからにほかなりません。
なので、「神様の目」を日本的霊性に入れる、
その使命を果たさなければ・・・
と、あらためて思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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