李ヨハネ先生(イ ヨハン)先生のみ言。
「孝」の続編です。
☆
ユン・ソンボム神学博士が、「孝」という本を出しました。
西洋神学を学んだ韓国のキリスト教の牧師たちは、
その本を見ても分からないでしょう。
私たちの原理をもって照らしてみれば、
ユン博士は「孝誠」を知りながらも、
家庭関係の倫理を知らないようです。
イエス様が家庭を持たなければならなかったことが
分からないからあいまいになるのです。
その孝という名詞を探し出し、
エデンの園のアダムとエバが、
神に孝行しなければならなかったということは発見しました。
しかし、イエス様がこの地上に来られて、
一男一女として家庭を築き、
神に孝行しなければならなかった
ということは発見できませんでした。
夫婦の愛は神に孝行しようとするものです。
自分たちが喜ぼうとするのではなく、
神を喜ばせてあげようとするのです。
自分が喜ぼうとするのではありません。
☆
東洋倫理にはよい言葉が多いのです。
子女が天に向かう心を「孝道」という言葉で表したり、
また侍り奉るとか、
恭敬(敬い尊ぶこと)のような言葉でも表現したりします。
西洋倫理は、ただ愛という言葉一つだけです。
神に対することも愛、夫婦どうしも愛、
兄弟間も愛という言葉一つで表現します。
アガペーという言葉は、犠牲的で献身的な意味を表しますが、
それが具体的にどのように使われなければならないか
ということは分からないのです。
またピリアやエロスということもそうです。
すべて、愛という文字が入ってこそ、
意味が通じるのではありませんか。
☆
東洋倫理の三綱五倫* で、友達の間では
「朋友有信」という言葉を使いました。
友達の間では「信」という言葉を使ったのです。
愛という言葉は使いませんでした。
「信」は信頼です。
これは本当にいい言葉なのです。
五倫では、お互いに信頼し合わなければならないといっています。
☆
その次には、「長幼有序」、これは
先輩と後輩の間で秩序を守らなければならないという意味です。
愛という言葉を使わないで核心をついています。
☆
「君臣有義」は、王の前に犠牲になり、
奉仕する義がなければならないということです。
これは、今日私たちの蕩減復帰路程で、
義を立てなければならないという言葉にも当てはまります。
神は私たちの中の義を見て贖罪されるのです。
義とされてこそ贖罪されるという意味です。
それは難しいことです。
☆
次には「父子有親」しなければなりません。
皆さんの中で一つの孝の心、すなわちみ言に対する孝の心、
み旨に対する孝の心、主体者に対する孝の心、
この孝の心を持つ人は環境に支配されません。
孝の心を持つ人は簡単に感情を表に出しません。
大笑いもできません。
なぜでしょうか。
孝の心が浪費されるからです。
☆
孝の心は秘密にしなければなりません。
天の前に孝行する心を持つ人は、孝子です。
秘密を保たなければなりません。
宇宙の秘密とは何か。
父子の関係です。
この関係を一番秘密にしなければならないのです。
先生は宇宙の秘密は神と人間の関係であり、
それは父子の関係だとおっしゃいました。
今まで、新約の秘密が親子の関係であるのに、
分からなかったのです。
この関係が切れてしまえば、根のない木と同じです。
ですから皆さんは、この関係を
しっかりと保って育てていかなければなりません。
☆
将来皆さんは、神に責任を持つ人にならなければなりません。
少しずつ心情的に成長しながら……。
天との関係において、さらに
親しみを持つようにならなければならないのです。
孝なしには親しくなることはできません。
なぜか。
愛は絶対的に与えられているからです。
人間は創造主の子供です。
神と人間は親子の関係なので、父母の愛を論ずる必要がありません。
愛の光を持って、「愛の魂」として生まれた私です。
生まれるときから愛の光を持った実体として生まれたので、
成長しながらその愛の光を返さなければなりません。
孝道によって返さなければなりません。
返してこそ、「父子有親」をなすことができるのです。
責任を果たさなければ、「父子有親」はなされないのです。
☆
愛の光をいっぱい持ちながらも、
自分勝手な生活をしてはいけません。
自分を中心にしてうれしい、悲しいとしたら、
自分を肯定することです。
それは、天を裏切ることです。
それゆえ、孝の心を持った人はやたらに横的に流しません。
罪が犯せないのです。
なぜそうなのでしょうか。
私は父のものだからそうなのです。
孝の心を持つとはどういうことかといえば、
私を父のものとして考える忠誠心を持つということです。
それを指すのです。
ですから、私が努力すべきすべてのことには使命感を持って、
精誠を尽くさなければなりません。
これが孝の心の発露なのです。
☆
その内容は秘密です。
その行動を見て感動するのです。
内容を隠して態度で感動を与えることを、
「徳化」といいます。
生活を通して、徳化力が生じなければなりません。
心情の秘密を持てば、いつも徳化力が生まれてきます。
これをもって皆さんは自分自身の立場をよく保ち、
チェックしなければなりません。
勉強しながらも、果たしてこれが孝誠の勉強か、孝誠による生活か、
すべてやることに使命感を持っている私か……。
これが徳化力の原動力になるのです。
私がすることは父の願いを引き受けたものです。
ですから父の前に孝誠を尽くして
お返ししなければなりません。
このように孝誠を通さずしては、「父子有親」がなされません。
これが東洋倫理の骨子です。
それゆえ西洋のすべての哲学と神学と文学が、
韓国を訪ねてこないではいられないのです。
真の父母によって、天運が来ざるをえないのです。
第二章 孝誠の種 「孝」
「父子有親」をなすには
1986年4月統一神学校
(この説教は、統一神学校の四年生を対象に語られたもの)
「父子有親」をなすには
1986年4月統一神学校
(この説教は、統一神学校の四年生を対象に語られたもの)
☆
*三綱:忠孝烈
五倫
考:父子有親(孝行)
義:君臣友義(忠誠)
別:夫婦有別(男女の役割)
序:長幼有序(上下の秩序)
信:朋友有信(信義)
夫婦有別については、
↓ 先回紹介しました
あなたの「あばら骨」に徹する幸せ?! 《李ヨハネ先生》
↓ 先回紹介しました
あなたの「あばら骨」に徹する幸せ?! 《李ヨハネ先生》
三綱五倫は、儒教の基本的道義です。
韓国では儒教が根付いているので、
ヨハネ先生も説明なく話されていますね。
日本にも伝わったものではあるので、
詳しい内容は知らないまでも、
説明されれば、理解できますが、
西洋では、そのような精神や言葉自体が
ないといいます。
イエス様のみ言は、本来、西回りでなく、
東回りで伝えられるはずであった、
そのように聞いたことがあります。
イエス様が誕生する約400年前、
孔子や釈迦が儒教、仏教を開きました。
東洋思想がキリスト教と融合していれば、
素晴らしい教えが伝播されていたでしょう。
しかし、西回りになったので、
キリスト教哲学は、「家庭」を基本とした、
教えにはならなかったのだと思います。
そういったことを考えても、
韓国で生まれた統一原理は、
東洋と西洋の思想を融合させた、
素晴らしい理論であることを感じざるを得ません。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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