真のお父様から命を受けて
UTSに赴任した神明(しんみょう)先生は、
多くの伝説を生んでいきました。
いつも、真の父母様を身近に感じておられたということですが、
そのような境地に達するのは
簡単ではなかったようです。
『UTS時代の神体験』より、
「恵みを受けた弟たちに対して
嫉妬心を抱かなかったとき」です。
☆
私は1985年の1月からUTSで教え始めました。
そのとき、「家族をUTS内に連れてこないように」
と初めに言われていたので、
いつもタリータウンの自宅から片道1時間半、
車を運転をして通勤していました。
そのうち、私のポンコツ車は使用不能寸前になってきたので、
通勤を継続するため、どんな車でもいいから
それを買うための費用の一部でもUTSで払ってほしいと願い出ました。
子供4人を抱えた私は、UTSでの安い給料では余裕がなかったのです。
しかし、UTSにも経済事情があったせいか、
私の願いは一蹴されてしまいました。
このくらいの願いだったら受け入れてもらえるのではないかと
期待していたのですが、だめでした。
しかたなく、週末は家庭教師のアルバイトなど他の仕事をして、
自分の責任で自動車を調達しました。
☆
さて、私が教鞭を執り始めてから3年ぐらいたって、
米国人の後輩2人 (UTS卒業生) が、私と同じように
他の大学で博士号を取得し、UTSに戻ってきて教えるようになりました。
私の専門はキリスト教神学でしたが、
彼らの専門はそれぞれキリスト教会史と世界諸宗教でした。
幸いにも彼らは自分の妻子全員を
UTS内に連れてきて住まわせてもよいということになりました。
さらに、その2人の後輩は総長に、
彼ら2家庭が共同使用する新車のワゴンを
1台買ってほしいという願いを提出しました。
私のときと違って、総長はそれを承認しました。
いよいよ、スタッフと食口の教授陣を交えた
ある日の朝食会の会合で、
その承認の発表がなされることになりました。
そして、総長は自らがそれを発表した瞬間、
私のことが気になったせいか、私の顔をちらっと見たのです。
私も人間ですから、遠い自宅から通勤のために自動車は
喉から手が出るほど欲しかったのに、私の願いは蹴られ、
2人の後輩は学内に住んでいて自動車の必要性はあまりないのに
新車を買ってもらうという現実を、
正直言って受け入れ難かったのは確かです。
なので、そのときに私は文句を言うこともできたのです。
しかし、そこは我慢して、何もなかったかのごとくふるまい、
恵みを受けた後輩である弟たちを嫉妬せずに、
彼らをかえって祝福してあげられるような心情を
どうか持たせてください、と天に祈りました。
総長は、私の顔が乱れた様子もなく平安なようだと感じて
安心したらしく、会合の議題は次に移りました。
☆
その後のことです、
私が真のお父様により近くなったように感じたのは。
内的にお父様がそばにいらっしゃるように感じ、
人を見ては涙ぐみ、
山や木、建物を見ては涙ぐむようになりました。
この愛の力の恵みは、
自動車などの万物には代えられないものでした。
「UTS時代の神体験:ドクター神明の信仰エッセー」
現在、『世界家庭』に連載中
現在、『世界家庭』に連載中
☆
神明先生の証しはとても具体的でわかりやすいですよね。
愛の減少感の局地を乗り越えていかれました。
人によって次元は異なるでしょうが、
誰もが通過する愛の減少感。
嫉妬にかられないためには、
神明先生のように切実に祈っていくと、
平常心を保て、越えていけることでしょう。
先生のような父母様との心情的出会いはなかったとしても、
愛の減少感を越えることを通して、
真の父母様が乗り越えていかれた境地に
一段階近づくのかもしれません。
また、苦しい立場に置かれたとき、
感謝して乗り越えることを通して、
神様、真の父母様が、ともにおられることを
改めて感じることができると思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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