最新版のU-ONEニュースにおいて、
小山田先生がお母様の自叙伝について語られています。
小山田先生は、一日で読まれたと言われながら、
日本にとって重要な部分、
カナダに4人の日本人女性を引き連れ、行われた
「顧命性(こめいせい)宣誓宣布」について言及しています。
その部分の前後を自叙伝から引用させていただきます。
☆
モスクワに行く少し前、私たち夫婦は
統一教会の元老信徒たちに会って
時間を共にしました。
多くの信徒が、何とかして
私たちを引き止めようとしました。
「なぜ危険な共産主義の本拠地に、
あえて行こうとされるのですか?」
しかし何ものも、私たち夫婦の意志を
曲げることはできませんでした。
文(ムン)総裁は信徒の顔を一人一人眺めた後、
思いがけない言葉を発しました。
「統一教会の第二教主を決定する時が来ました」
突然出てきた「第二教主」という言葉に、
誰も、何も言えませんでした。
文総裁はもう一度信徒を見回した後、
ゆっくり口を開きました。
「私がいなくても、お母様がいればいいのです」
この瞬間、「統一教会の第二教主」としての、
私の重大な使命が明確になったのです。
人々は驚いていましたが、
私は静かにその言葉を受け止めました。
世を救う独り娘、平和の母としての使命は、
既に三十年前から与えられたものでしたが、
私は文総裁が最前線で摂理を率いていけるよう、
内助に最善を尽くしていました。
その日、第二教主を発表したのは、
モスクワで起こり得る不測の状態に備えながら、
今後のことを念頭に置いた上での措置でした。
☆
一九九〇年三月二十七日、統一教会の名節(記念日)の
一つである「真の父母の日」を迎え、
アメリカのニューヨークで行われた記念礼拝で
「女性全体解放圏」が宣布されることで、
私は統一教会の第二教主となりました。
その後、一九九四年十一月二十七日には、
ニューヨークのベルベディアで
第二教主としての私の公的使命が改めて公表され、
その意義が強調されました。
十六万人の日本人女性教育と各国での大会が終わり、
私の役割がさらに重大になっていた頃のことです。
その日、私は信徒たちの前で、
「みな一つとなり、真の父母の伝統を立てる
家庭になることを誓いましょう」と決意を促しました。
☆
また、一九九一年六月には、
カナダのクレアストーンの本館で
「顧命性宣誓宣布」が行われました。
「顧命」とは、「王の遺言」を意味する言葉です。
文総裁は御自身が聖和(ソンファ)した後も、
私が神様の使命を引き継いで果たしていけるよう、
日本の女性代表が責任を持って
真の母を支えていくべきことを、
顧命として宣布されたのです。
この宣布には、日本が真の母と一つになり、
世界を抱いていかなければならない
という使命も含まれていました。
このように文総裁は、幾度にもわたって、
御自分が不在となる万一の場合に備えられたのです。
(人類の涙をぬぐう平和の母 218ページ〜221ページ)
☆
「顧命」という言葉は初めて聞きました。
かつてカナダで日本の女性責任者を集めて、
特別な宣布をされたことは聞いたことがありましたが、
お母様が語られているように「遺言」だったのですね。
日本の女性を前にして、宣布されたことは、
やはり、日本の使命の大きさを感じます。
これに先がけて、お父様は、お母様のことを
「第二教主」と宣布されています。
これは、今から30年前のことであり、しかも
お母様がご自身で語られたのでなく、
お父様が宣布された、ということは、
肝に銘じるべき事実であると思います。
そして、今真のお母様は、
お父様の願い通りに、教主として
しっかり立ってくださっています。
遺言を受けた日本人の立場としても、
使命を全うしていきたいですね。
新型コロナウィルスの影響で、自粛する期間、
お母様は、「ピンチをチャンスに変えなさい」
このように語られています。
お母様の自叙伝を精読しつつ、
お母様の心情深くを尋ね求める期間にしていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)