金元弼(キム ウォンピル)先生のみ言。
今回は、「世界の人々を愛してから出会う」です。
☆
ところで今、私たちは全員が、神のために世界のために、
いろいろな仕事をやっています。
これを通して、自分のメンバーやリーダーに対し、
兄弟姉妹や自分の親に対し、
そして子供に対していかなければならないというわけです。
ですから、もし私たちが一日の生活を
本当に心を尽くして送らなかったならば、
メンバーに会うのも、兄弟姉妹に会うのも
本当に恥ずかしいという心をもたなければいけないのです。
家庭をもっている人たちは、家に入るのが恥ずかしい、
というようにならなければならないというのです。
深く悔い改めて、
「明日は一生懸命によくやって出会います」と
決意してからでなくては、そういう条件を立ててからでなくては、
自分の家に入って相対者に会うこともできなければ、
子供にも会うことができないというのです。
子供も同じです。
自分の生活において子供としてやるべきことを
やらない限りは、親にすぐ会うことが
苦しいというようにならなくてはなりません。
☆
ところが今私たちは、子供の立場にある人も、
親の立場にある人も、それらを構わないで出会っています。
それは、私たちの間違っているところです。
私たちは親にしても子供にしても、
何か誤ったことをした場合には、親に出会うのが怖い、
子供に出会うのが怖い、というようにならなくてはいけません。
それを考えなくてはなりません。
「怖い」と感じさせられるということは、
世界を愛して、世界において
自分の任された仕事を勝利して
会うようにしなさい、という警告なのです。
☆
今話したことは一つの仮定ですけれども、
私たちが神に出会うに際しても、真の父母に出会うに際しても、
世界の人々を愛する道を通してのみ
出会うことができるというのです。
逆に、神が私たち人間に対する出会いにしても、
真の父母が私たちに対する出会いにしても、
真剣に心を尽くされるというのです。
さっき私が皆様に話したごとく、
先生がカナダの教会のメンバーたちに出会うに際して、
「私は心をそこに向けて来ていないから、そこを訪問することができない」
というような先生の私たちに対する心掛けを、
私たちは身に着けなければいけないというのです。
神は人間に出会うために、全力全霊全愛を投入して人間を造り、
人間に出会われました。
ですから、それと同じく、私たち人間の神に対する出会いも、
神が人間のために全力全霊全愛を投入して出会われたごとくに、
全力全身全愛を投入して神に出会わなければならないのです。
ですからこれから私たちは、お互いに良き出会いをするために、
自分に任せられた使命を全うしていかなければなりません。
世界を愛して、天宙を愛して、神を愛する、
この道が私たちに任せられた使命であるわけです。
この使命を私たちが見事成就することによって、本当の意味で
メンバーたちに出会うことができるということを、
私たちはこれから考えていかなければいけません。
☆
もし私たちが、兄弟姉妹お互いに簡単に会えるものだと
考えるならば、それは絶対に間違った考えです。
兄弟姉妹に会うということをよく考えてみてください。
どのようにして会うことのできる兄弟であり、
どのようにして会える相対者であるか、
どのようにして会える子供であるか、
これを忘れてはいけないというのです。
これが使命です。
私たちは今まで、ただ漠然と出会っていました。
これは間違ったことでした。
出会うというのはこういうものではなく、
世界を通して出会うということです。
夫婦の愛にしても、相対者としての責任を
全うして会える者が真の相対者だというのです。
親としての責任を果たしてこそ、子供に会えるというのです。
子供としての責任を果たしてこそ、親に会えるというのです。
それを果たさずしては会うことができないのが、
親子の関係、兄弟姉妹の関係、メンバーとメンバーとの関係
だということを忘れてはいけないと思います。
これが神が歩いた道であり、先生が歩いた道であり、
ゆえに私たちも歩いていかなければならない道であるのです。
これをしないから、夫婦の間にも、親子の間にも、兄弟姉妹の間にも、
メンバーとメンバーとの間にも、全部問題が起こってくるのです。
出会うということは、それほど大事なことです。
「理想的な出会い」
世界の人々を愛してから出会う
(1981年9月27日ベルベディア)
世界の人々を愛してから出会う
(1981年9月27日ベルベディア)
☆
人との出会い、特に家族との出会いに対して、
元弼先生は、詳しく説明してくださいました。
当たり前のように思っていた出会いは、当たり前ではなく、
世界の人々を愛してから出会う。。。ということ(!)
実際は、世界中の人々を愛することは不可能ですが、
すべての人の親である、天の父母様と
真の父母様を愛していくならば
世界の人を愛することになるのでしょうか。
関心をもち、意識すれば違うと思います。
妻というのは、「全世界の女性の代表」
お父様はそのように表現されますが、
そのようなことなのかもしれません。
今、STAY HOMEと言われている時なので、
さらに家族を貴く思って接していきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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