2020年04月24日

心の中に侵入するウィルスに打ち勝ち、元気になる3要素  《田中地区長*3要素*3》



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シリーズでお届けしてきました
田中富広地区長(副会長)の激励メッセージ、
「こんな時こそ、基本に帰ろう!」
今日が、最終回です。


お父様はどんな事象においても
神様のメッセージをそこに読み取っていかれたように、
木の葉が一枚落ちてくるその姿を見ても
神様の摂理・メッセージをそこにたずね求められました。

私たちはこの度のコロナウィルスを通じながら、
いろんなことをまた天が教えてくれていると感じます。

少なくとも一国ではどうにもならない、
自国ファーストではどうにもならない、この現象を通じながら、
世界はいまや本当に一つになって
この難局を越えていかなければならない。

こういう環境の中にも私たちは、天のメッセージを
悟っていかなければならないと、改めて感じます。


一連の私たちの基本のことを学ばせていただきました。
そしてこういう基本を学びながらも
何よりも私たちは元気で天の御前に向かっていかなければなりません。

そういうことで、元気の秘訣、3要素というのがあるのです。

IMG_2737 (1).png


一つめは何かというと、なによりも「挨拶」です。

朝、「おはようございます」、
仕事が終われば「お疲れ様でした」、
「一日ご苦労様でした」というように、
家族でも、兄弟でも、仲間同士でも
声を出して元気に挨拶をする、これは最も基本中の基本です。
大切にしていただきたいと思います。


それから、二つ目は「感謝」することですね。

もちろん、天の父母様、真の父母様への
感謝の思いを届けながらも、
何か隣人が、家族が何かお世話してくれたら
「ありがとうございます」言葉で感謝の思いを届ける。

もちろん何か物に感謝の思いをこめて渡してあげることも
プレゼントとしてこれも感謝。
いずれにしろ感謝の心を、
自分の中に必ず失わないようにするということ。


3つ目が「利他」に生きることです。

なんでもいいから一日他のために生きた、
誰かのために行為を行った、これは私たちの生きる命の源です。

今のコロナウィルスを通して私たちが知るのは、
欲心が、すべての悪の根源だということがわかります。
自国ファーストでは越えられないこの問題を、
世界が一つになって越えていかねばならないという天のメッセージです。

これを身近なところで私たちは生活の中で、何か一つ
今日を振り返って、いいことしたかなぁ、
ああ何もしていないなぁと思ったら、
夫の肩をもんであげる、足をもんであげる、
妻のお手伝いをしてあげる。

何か家族のため、また誰かのために手紙を書いたことを通して、
利他に生きることの喜びを
細胞全体が感じるように、にじませて
体全身にしみこませていく。。。

そういう意味においても一日1個は利他に生きる実践をする
ということを心に留めて、この挨拶と感謝の心と、
そして利他に生きるということを守りながら
元気で頑張っていきたいと思います。


私たち全員が健康を守りながら、
天の前に信仰生活の3要素を守り通して、
不安と恐怖心を乗り越えて、
目的を見失わないようにしていかなければと感じています。

もし、自らが不安にさいなまれていたり、
恐怖心によって目的を見失ったら、サタンが勝ちです。

サタンの目的は、私たちに目的を見失わせることです。
従って、必ず私たち一人一人が向かうゴールを明確にしながら、
生活の基本姿勢を守って、日々を生活していければと思います。

今日は、「この時だからこそ、基本に帰ろう」ということで
話させていただきました。
また会いましょう、ありがとうございました。

(*ブログ用に構成を組み変え
編集しています。
文責:ten1ko2)

第1地区 田中富広地区長 激励メッセージ
 VOL4.(3月31日)
「こんな時こそ、基本に帰ろう!」 より


挨拶と感謝と利他の生活。
今は、人との交流を削減するように言われていて、
皆さんも授受する時間が少ないと思います。
そういう意味では、家族とか、職場の人に対して、
この三つを心がけていきたいですね。

コロナの問題も、自国中心主義によって起こりました。
お母様も「神様を知らないから」このようになる、
と指摘され、万民が真の神様、
天の父母様を知るように願われています。

地区長の三度にわたるメッセージ。
とてもわかりやすかったですね。
余談ですが、書き起こしてくれた、
妻にも感謝です。

ありがとうございました。






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2020年04月23日

「子羊の婚宴」から60年! お母様が自叙伝で証された当日の様子、主の花嫁の決意 



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真の父母様の御聖婚 1960年4月11日〈天暦3/16〉☆


今年は歴史的な年であり、真のお父様の聖誕100周年と共に、
御聖婚60周年を迎えました(4/8)。
60年前の「子羊の婚宴」の様子が、
真のお母様の自叙伝にも書かれています。

教理研究院の「今日の摂理」 より紹介します。


  真の父母時代の幕開け

イエス様は人類の真の父母となるために誕生されましたが、
その使命を果たすことができず、十字架の道を行かれました。

イエス様の路程を蕩減するため、
血と汗と涙の道を歩んでこられた真のお父様は、
1960年3月27日に韓国の旧本部教会で、
再臨主を迎えるために精誠を尽くしてきた
洪順愛ハルモニ(大母様)の一人娘である、
真のお母様と約婚式を行われました。

4日後の3月31日、真の父母様の聖婚式と
3弟子の祝福式について決定がなされ、
4月11日(天暦3/16)午前10時、
旧本部教会に韓国全土から食口たちが参席する中、
真の父母様の聖婚式が挙行されました。

「小羊の婚宴」(ヨハネ黙示録19章)は、
真の父母様の聖婚式によって実現されました。
アダムとエバが堕落することで失った
人類の「真の父母」が、こうして誕生されたのです。

真の父母様の聖婚式は、蕩減復帰歴史において
長成期完成級の蕩減の峠を越える歴史的瞬間となりました。

長い復帰摂理史の基盤の上に、
完成したアダムとして来られた真のお父様は、
地上での摂理基盤を築いたのち、真のお母様を迎えられました。

天の代身であるお父様と、地の代身であるお母様が一つになり、
分かれていた天と地が初めて連結されるようになったのです。

アダムとエバが堕落して互いに怨讐となった結果、
神様との間にも障壁が生まれました。
その障壁が6000年ぶりに崩れるという、
救援摂理史の歴史的転換点を迎えたのです。


  家庭理想実現に向かう救援摂理の出発

真の父母様が、神様を中心とした
家庭的四位基台を完成なさることで、
地上天国創建のための出発の基台を立てられました。

真の父母様による祝福結婚を通して、
人類を本然の血統に転換し、
本来の家庭理想実現に向かうという、
救援摂理の出発となったのです。


  独り子と独り娘が聖婚する「小羊の婚宴」


真のお母様のみ言
〈韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』より抜粋〉

 私と文(鮮明)総裁の佳約式(約婚式)には、深い意味があります。聖書で言う人間の6000年の歴史は、真の父母を迎えるための悲痛なる路程でした。

 真の父母と出会えなかったことが、それまで全人類にとっての悲しみでしたが、この佳約式によって、その悲しみが終わったのです。まさに、祝福の日でした。

 聖婚式は、佳約式から半月後の4月11日、陰暦3月16日の午前10時から行われました。全国の教会から選ばれた約700人の信徒が青坡洞教会(旧本部教会)に集まる中、意義深い聖婚式が盛大に挙行されたのです。佳約式の時よりもさらに大勢の信徒が集まったため、教会は足の踏み場もないほどでした。周りの路地も、教会内に入れない人々で埋め尽くされました。

 式場は、教会の礼拝堂をきれいに飾りつけて準備されました。壁と床を白い布で覆い、玄関から入って左手に壇を作りました。白いチマチョゴリを着て長いベールをかぶった私は、新郎である文総裁と腕を組み、聖歌「宴のとき」に合わせて二階から下りていきました。こうして、歴史に永遠に残る聖婚式が、祝賀客の熱い歓迎の中、挙行されたのです。

 …聖婚式は、私が宇宙の母、平和の母として人類の前に新たに登極する日でした。神様の願ってこられた、独り子と独り娘が聖婚する「小羊の婚宴」は、アダムとエバが成し遂げられなかった宇宙的な真の夫婦、真の父母の理想を実現する場でした。

 式が終わり、私と文総裁は晴れて夫婦となって、初めて一つの食膳で食事をしました。普通の夫婦であれば当然のように楽しむ新婚旅行はもちろん、新婚生活における甘い夢すら、思い描くことはできませんでした。ただ、神様と教会のことだけを思ったのです。

 韓服に着替えた私たち夫婦は、信徒と共に歌を歌い、踊りを踊って、神様に栄光をお返しする喜びの時間を過ごしました。歌を歌ってほしい、という信徒たちのリクエストを受け、私は「春が来れば」を歌いました。

 「春が来れば、山に野原にツツジが咲くよ。ツツジの咲くところ、私の心も花咲いて……」

 春は新しい出発を意味します。私は、希望の季節である春が好きです。寒い冬を抜け出し、眠りから覚めた生命が躍動して、夢を描いていくことを願うからです。私は、統一家の歴史もいよいよ春を迎え、新たに出発しなければならないと考えました。

 その日、地上に真の父母の家庭が現れることで、神様の摂理は新たな扉を大きく開きました。薄氷を踏むような日々を越えて行われた聖婚式。その日は、神様が最も喜ぶ一日となりました。

 ヨハネの黙示録に、終わりの日に主が再び来られたら、「小羊の婚宴」をなさるという一節があります。その宴こそまさに、失われた独り子、独り娘を新郎新婦として結び、真の父母として立ててくださる神聖な祝福儀式です。

 私は文総裁と夫婦の契りを結びながら、神様の前に固く決意しました。

 「神様が苦労して歩んでこられた蕩減復帰摂理の歴史を、私の代で清算します。何より、神様の名のもとに起こっている宗教的な分裂は、神様が最も胸を痛められることです。それを必ずや、解決してみせます」

(117-120頁)

Blessed Lifeより


お母様の自叙伝を読むとお母様が誕生され、
ご聖婚まで成長される背景には、
大母様とハルモニ、すなわちお母様の
おかあさんとおばあさん、この二人の存在、
お二人の信仰と精誠があったことがわかります。

もっと言うならば、お二人がいなければ、
お母様は存在しなかった、独り娘として、
勝利しておられなかったのではないか、
そのようにも思います。

真の父母様の聖婚式は、
奇跡と奇跡の出会いである、
そのように言うことができるでしょう。

さらに言うならば、
お母様の御聖婚の動機が凄まじいです。

「神様が苦労して歩んでこられた
蕩減復帰摂理の歴史を、私の代で清算します」

普通の人は自分の幸せのために結婚しますが、
お母様はそうではなかったのです。
その決意が今もなお、変わらないお母様が
本当に素晴らしいし、ありがたいと思うのです。





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2020年04月22日

道端のごみ拾いで、良心発動、「吸い殻さん、ありがとう!」 《自己牧会プログラム》



200422.jpg
天正宮の桜☆


自己牧会プログラムより、
「為に生きる」50代女性のプチ証しです。


私は家に帰る道すがら、
道路のごみを拾うことを心掛けています。

「ために生きる」と心がワクワクし、楽しい帰り道になるのですが、
ただタバコの吸い殻を拾う時だけは、
どうしても嫌な気持ちになってしまいます。

「良いことをしているのに、どうして楽しくないのだろう」
と思い、良心に尋ねてみました。

すると、タバコを吸う人を、そして吸い殻を捨てる人を
いつの間にか裁いていたことに気付かされたのです。

次の瞬間、私の脳裏に、タバコを吸いながら
道を歩いている男性の姿が浮かんできました。

静かにその人に思いを馳せてみると、
何かストレスを抱えていたんだろうなあ、
そのストレス解消のために、歩きながら
タバコを吸わざるを得なかったんだろうなあと、
その人に同情する気持ちが湧いてきました。

そして、その吸い殻が、実は人のストレス解消の
役に立っていたんだ、ために生きていたんだ、と分かり、
その汚い吸い殻がいとおしくさえ思えてきたのです。

それからは、吸い殻を拾うたびに、
「吸い殻さん、きょうも人間のために生きてくれたんだね。
ありがとう。ちゃんとごみ箱に入れてあげるね」
と声を掛けるようになりました。

嫌悪の対象でしかなかった吸い殻を、
感謝の気持ちで見詰めることができるようになり、
道路の掃除がいっそう楽しくなりました。


私の心の中にいる神様 14
「吸い殻さん、ありがとう」
Blessed Lifeより


私の中の良心、というのは、万人共通なのだと思います。
証しの方の気持ちがよくわかるというか、
自分もこの方と同じ立場だったなら、
同じような思いになるんだろうと思わされます。

問題は、マイナス的な思いになった時、
自分の良心に尋ねることをするか、
また、良心の声が聞こえた時に、
それを実践するか、それが大事です。

日常生活のほんの小さなことでも、
自分の良心に尋ねる生活を心がけていきたいですね。。。






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