1992年に一年間かけて、
世界130ヵ所で講演を行いました。
韓国を発つとき、それぞれの国や気候にふさわしい服を
何着も準備して行ったのですが、
帰って来た時には、一着も残っていませんでした。
ほぼ一年ぶりに家に帰ると、
文総裁が『御苦労様」と言いながら、ふと尋ねました。
「ところで結婚指輪はどこに行ったの?」
『自叙伝 人類の涙をぬぐう 平和の母』より
p185
p185
小山田先生の自叙伝から、
「心を見抜かれる真の父母様」を紹介します。
☆
真の父母様が、「希望の日」晩餐会の会場である
帝国ホテルに入られたときのことです。
会場に向かって久保木修己・初代会長を先頭に、
真のお父様、真のお母様が続いて廊下を歩いて来られました。
そのときお母様は、素敵な洋服を身に着けておられたのです。
それを拝見した私は、ふと「あの洋服を、
私の家内(妻・儀子)に着せられたら…」と思ってしまいました。
次の瞬間、「とんでもない、無礼なことを…」
と、心の中で否定したのです。
ところが真の父母様が帰国されるときに、お母様が
「この服を儀子にあげなさい」とおっしゃったのです。
私は「これはまずい。
こういう考えをしてはならない…」と思いました。
しかし、後の祭りです。
☆
このように真の父母様は、私たちが何を考えているかを
瞬時に見抜いておられるのです。
父母だから“子供”の心がお分かりになるのだと思います。
お父様もそうですが、お母様もそうです。
お父様がお母様のために、宝石で指輪を作り、
贈られたことがあります。
お母様は無欲のお方です。
あとになってお父様が、「オンマー、
あの指輪、どうしたのか?」とお尋ねになると、
「私よりも必要な人がいたので、あげました」
とお答えになるのです。
☆
真のお父様もそうです。
かわいそうな人がいると、その人に
持っていた財布をそのままあげてしまわれるのです。
それは父母だからです。
次のようなことがありました。
お父様が鞄を持ってアメリカから来られたことがあります。
ところが、その鞄が壊れていたので、
私は渋谷の百貨店で鞄を買い求めて差し上げたのです。
お父様は、その鞄を長く使っておられました。
革靴についても、一足の革靴をずっと履き続けられます。
そのようなお父様です。
個人を見ると“大変な節約家”であり、
公のためには“大盤振る舞い”をなさる方なのです。
それは、神様がそのようなお方であるからだと思います。
小山田秀生先生の自叙伝
「真の父母様の御跡を慕って」
日本の著名人に対する初の講演
〜父母として“子供”の心を瞬時に見抜かれる〜
『祝福家庭』93号(2019年 夏季号)
「真の父母様の御跡を慕って」
日本の著名人に対する初の講演
〜父母として“子供”の心を瞬時に見抜かれる〜
『祝福家庭』93号(2019年 夏季号)
☆
お母様は霊的に本当に敏感なのですね。
小山田先生が、「妻に服を着せられたらいいな」
その思いを持っていることを、
先生のほんの一瞬の表情の変化で、
何かしら見抜かれていたのだと思います。
また、大事な結婚指輪をあげてしまう、という証し。
お母様の自叙伝にも掲載されていましたので、
最初の文章にあげさせていただきました。
それにしても、あげてしまうことも凄いことですが、
誰にあげたことも覚えていない、というのは、
ちょっと私たちには考えられないことですね。
さらにすごいのは、その結婚指輪をプレゼントした、
真のお父様です。
お父様ご自身も、「どこに行ったの?」とは聞かれても、
それ以上は詰問しない、というか、
お父様もお母様の行ったことに対して、
感服しておられる、というのです。
まさに、ご夫婦そろって、
「愛は与えて忘れなさい」
というみ言を実践されておられるのです。
本当にために生きる、利他の心情が、
体に染みついておられるのだな、と感じます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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