田中地区長(副会長)のメッセージ
「お母様の発表した名称変更に
違和感をもつ人へ」の続きです。
☆
徳野会長がお母様のメッセージをお届けしました。
これを聞いて、また名称変更か、と反応された方も
おられるかもしれませんし、
「天の父母様」それ自体にも抵抗し
反旗を翻す分派活動もあります。
全世界の末端の食口まで、伝えなさいとご指導された背景と
ご心情圏を踏まえながら、考えてみたいと思います。
そもそも「天の父母様」という言葉に対して、
「天のお父様」を祈りの中心にすえてた者にとっては、
もちろんこの私もそうですが、「えっ!」という感を
もつことは誰もが通過したのではないでしょうか。
☆
(先回の記事で紹介したみ言を引用しながら)
正に原理で言えば、本陽性と本陰性、
これが一つとなった中和的主体、
それが神様であるということです。
このような「天の父母」概念、このことを
明確に私たちは理解しておかねばならないし、
また父母を中心として物事を考え、
父母の事情、心情、願いに立つ子女と
なっていかねばならないということであります。
☆
お父様が聖和される直前にも、父なる神だけを信じ、
母なる神を見失ったこの宗教界が、
「自分の神こそ絶対である」と自分の正当性を主張して、
宗教的エゴをまき散らす、この姿に対して
お父様が苦悩されたということがここでもよくわかります。
☆
このようにお父様は天の父母、神様をすえるときに
父母であることを、一番の教育の柱にしなければならないと語られました。
まさに天の父母は、地上における実体の父母が立つことを通して、
より神様が父母であることがわかるそのような時代を迎えているので、
力強く宣布されたといえます。
まさに、真の父母様が父母として勝利したからこそ言える
メッセージであって、
それなくしてはこのメッセージは
生まれてこなかったということは、言うまでもありません。
自分が父母である以上、真の父母の位置にある者と、
そして祝福を受けた子女たちは、
共に責任があるんだということですね。
☆
そのうえで「地上にいる間に
思想政治経済などを一つに束ねていく制度を作っていきたい」
と、このようにお母様は強い姿勢を示されて、
その上で出されたのが、今回の
「天の父母様教団」への名称変更のメッセージでありました。
まさに宗教が一つになれない理由は、神観が違う、
この神様は自分の神であるというのが基本でありますが、
その神が父母であるというとらえ方が今までできなかった、
あるいは言葉であったとしても、
そこに情まで父母であると思える情を、我々信仰を持つ側が啓発できなかった。
なぜか。それは実体の父母が立たなかったからです。
今は実体の父母が立ちました。
ですから私たちは、真の父母の前に自らの中に
子女としての情を生み育てていくことのできる環境圏ができた、
だからこそ私たちは今、力強い言葉で
まさに真の父母様は父母である、神様は父母である
ということを、実体の父母をもって
確信をもってメッセージを発信できる
そういう時代圏にあるのだということをあらためて感じています。
第1地区 田中富広地区長 激励メッセージ
VOL5.(4月6日) より
VOL5.(4月6日) より
☆
お母様も自叙伝の序文で語られていますが、
今まで歴史は男性中心の歴史でした。
それは神様が「父なる神」と認識されていたことが
一つの要因であったと思います。
また、西洋社会で女性解放運動、
ウーマンリブ運動が展開されてきましたが、
これもある意味では、男性支配に抵抗する、
怨みから出発した運動でした。
しかし、真の父母が勝利され、
真のお母様が独り娘を宣布されたがゆえに、
神様も本来の神様、すなわち
「天の父母様」と堂々と叫ぶことのできる、
歴史的転換の時にいるのだ、
そのことを知らなければならない、と思うのです。
(また近いうちに続きをご紹介します。)
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)