教理研究院の
「独り子のみ言と、独り娘のみ言について」
から抜粋して紹介します。
☆
今回は「真理≠ニは何か」について
真のお父様のみ言から考察してみます。
独り子(文鮮明総裁)が語られるみ言と、
独り娘(韓鶴子総裁)が語られるみ言は、
いずれも神から出てきているみ言であり、矛盾はありません。
しかしながら、矛盾しているのではないか≠ニ考える人もいることから、
以下、この問題について論じてみることにします。
☆
復帰摂理の中で、神のみ言が最初に授けられたとき、
モーセの十戒のみ言は二枚の石板≠ノ記されたのでした。
「み言によって創造されたアダムとエバは、
完成したならば、み言の『完成実体』となるはずであった。
……み言を記録した二つの石板は、
復帰したアダムとエバとの象徴体であって、
将来、み言の実体として来られるイエスと聖霊とを象徴した」
(『原理講論』372ページ)
☆
二枚の石板は、将来の「実体み言」であられる天地人真の父母様、
すなわち「真の父」(独り子)と「真の母」(独り娘)のおふたりを表しており、
両者から神のみ言が語られることを示しています。
その場合、神が顕現されるときに男性的に現れることもあれば、
女性的に現れることもあるように、
み言が語られるときも男性的に語られることがあれば、
女性的に語られることもあるのです。
表現のしかたが異なるのです。
ただし、唯一なる神から出てくるため、そこに矛盾はありません。
真のお父様は、男性と女性との違いについて、
次のように語っておられます。
☆
男性と女性は、そもそも
合うようにはなっていないのです。
愛しながら合うようになっているのであって
……それが原則なのです。
見てみなさい。(男性と女性は)顔をみても違うし、
身体をみても違うし、食べるのをみても違います。
……みんな違います。
それを男性と女性が合うと考えるのがいけません。
……合うのはむずかしいのです。
愛することによって合うのです。
……それが神の創造の傑作です。
完全に合わないようになっているのが、
完全にひとつになるようになるのは、
愛することによってです。
……そうでしょう。
夫婦になるには、愛がなければなりません。
愛した夫婦で通じるのです。
(『祝福』1976年秋季号32ページ)
☆
私たちは、独り子(男性)のみ言、
および独り娘(女性)のみ言と対するとき、
それらに真摯に接し、相和合させて捉えていかなければなりません。
すなわち、言葉(み言)それ自体が真理ではありません。
どこまでも「最終一体」となられた真の父母様こそが真理なのです。
したがって、言葉の揚げ足取りをするかのように、
その語られたみ言を批判的に捉えようとしてはなりません。
私たちは、表面的な言葉にとらわれすぎてはならず、
その本質的な意味を「原理」に照らし合わせて酌み取る
努力をしなければなりません。
真のお父様は「天地人真の父母定着完了」を天宙に宣布するとき、
「あなた方も批評をせず、
『この言葉どおりに一度生きてみたい』と考える人が、
福を受けて生きることができる」
(「KMS中和新聞」2012年4月27日号)
と語っておられます。
私たちは、このお父様の忠告に従って、
両者の真理である「実体み言」に侍って生きようとする
謙虚さを持つ必要があるのです。
☆
私たちは、二千年前にイエス様が語られたみ言につまずいた
ユダヤ教指導者のようであってはなりません。
彼らは、イエス様のみ言の本質を見ず、
言葉尻ばかりを捕らえようとしたのでした。
「律法学者たちや祭司長たちはイエスに手をかけようと
……機会をうかがい、義人を装うまわし者どもを送って、
イエスを総督の支配と権威とに引き渡すため、
その言葉じりを捕(とら)えさせようとした」
(ルカによる福音書二〇章19〜20節)
彼らのように言葉尻を捕らえ、批評ばかりするなら、
永遠の命に至ることはできないでしょう。
なお、これらの内容を総合的に理解し把握するためには、
「真の父母様宣布文サイト」の掲載文や映像をごらんください。
http://trueparents.jp/
抜粋編集、文責:ten1ko2
教理研究院
四、真理のみ言は、「真の父」と「真の母」から出てくる
(2)独り子(男性)のみ言と、独り娘(女性)のみ言について
※『世界家庭』(天一国7年天暦12月)2020年2月号より転載
(Blessed Lifeより)
教理研究院
四、真理のみ言は、「真の父」と「真の母」から出てくる
(2)独り子(男性)のみ言と、独り娘(女性)のみ言について
※『世界家庭』(天一国7年天暦12月)2020年2月号より転載
(Blessed Lifeより)
☆
お父様のみ言って深いですよね。
「男と女は合うようにはなっていない。
愛することによって合うようになっている」
もともと一つだったのですから、
それが分かれただけなのです。
そういう意味では、神様のもう一つの部分を
表現してくださる、独り娘、お母様が
み言を示してくださっていることが感謝です。
私たちはみ言を通して、
この世界は地上世界だけではなく、
永遠の世界、霊界があることを知りました。
霊界を知らなかったら、どんな人生だったか、
そのことを考えると空恐ろしいです。
霊界と地上世界、二つが合わさって
天宙であるように、
真のお父様のみ言と、真のお母様のみ言は、
二つで一つの真理を表わしています。
壮大な真理を表わすために
み言があるわけですが、
み言の一部、一面だけ見ていたら、
地上の現実世界しか見ずに
永生の世界を知ろうとしないのと同じように、
真理の全面を見ることができないでしょう。
真のお母様を通して、
もう一つの石板(み言)が現れたというのは、
本当に素晴らしい時代が来た、ということを
私たちははっきりと知らなければならないと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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