新型コロナウィルス対策としての3要素、
「マスク」「手洗い」「うがい」そして、
いわゆる「3密」を避けるということがいわれています。
今日紹介するのは、もしかしたらそれ以上に
効果があるかもしれない、
心のコロナ対策ともいうべき、
生活の3要素です。
田中富広地区長(副会長)の激励メッセージより、
「こんな時こそ、基本に帰ろう!」
3要素シリーズでお伝えします。
☆
4月度新しい年度の出発、始まりですが、
世界を席巻する新型コロナウィルスによって
不安や恐怖を覚えておられる方もおられるかもしれません。
あらためて私たちはこのときであるからこそ、
天の父母様と真の父母様を思いながら
摂理に向かっていかなればならないと感じております。
試練は悪いことばかりではありませんし、
我々の受け止め方次第であるというふうにも感じております。
ちょうど岸辺のこちらの岸からあちらの岸に渡ろうとするときに、
小舟で渡る時に、もし川がなければ向こう岸にたどり着けません。
また、もし、舟に穴が一つ空いていれば、
それは恐怖に変わります。
このように、私たちもいろんな試練に遭遇した時に、
むしろ私たち自身の中に穴があいていないかどうか、
しっかり確認しておかねばなりません。
今日私が皆さんに贈りたいメッセージは、
「こんな時こそ、基本に帰ろう!」
これが今日のメッセージであります。
☆
たとえば私たちの人間生活においても、
最も基本的なことに、「健康生活の3要素」というのがあります。
「食事」、「運動」、「睡眠」、この3つは
私たちの健康維持にはとても大切な3要素であります。
食事はもちろん言うまでもありません。
ただ、食事を食べすぎれば、食事はむしろ害になりますし、
また健康を害することもあります。
また、適度な運動をしなければ、食べたものも栄養に変わっていきませんし、
適度な運動を通して、いわゆる熟睡といいましょうか、
よりよい睡眠も与えられます。
そしてよく眠ることができれば、
朝から朝食もしっかり食べることができます。
このように私たちに食事、運動、睡眠という3要素があります。
☆
同じように信仰生活にも3要素があります。
それは一つが「み言」であり、
そして一つが「実践」であり、
そしてもう一つが「祈り」です。
「み言」は心の糧と言われますが、このみ言を私たちは得なければ
私たち自身が成長することができません。
また、天の願いも悟ることができないということになりますが、
み言も食べているだけでは、み言のメタボになります。
み言を通してみ言を確認する、
実践を通してみ言の実体になっていくということで、
「み言の目的は実体であり、実体の目的は心情である」
というみ言があるように、
私たちは必ずみ言を得たらその分、
行動に移さなければならない、実践が必要となります。
そして、実践があればあるだけ、
天の前に祈る気持ちが生まれてきますし、
祈りも具体的になります。
神様も私たちの祈りに耳を傾けてくださいますが、
祈りは具体的でなければならない。
まさに実践を通して神様の前に具体的な祈りを捧げ、
そしてまたみ言をいただいて、実践をしていく
と、このように信仰生活の3要素、
この基本を私たちが守っていれば、おそらく
心の中に侵入してくるウィルスには勝てるかというように思います。
不安、恐怖、こういうものも、
み言が弱かったり、実践が弱かったり、
祈りが弱いと芽生えてきます。
一日の生活で、なんか自分の心が不安定だなぁと思ったら
振り返っていただいて、
「あ、み言を最近読んでなかったな」、あるいは
「実践が足りなかったな」、あるいは
「ああ祈りが足りなかったな」と
何か自分に悟らせてくれるものがあります。
(*ブログ用に構成を組み変え
編集しています。
文責:ten1ko2)
第1地区 田中富広地区長 激励メッセージ
VOL4.(3月31日)
「こんな時こそ、基本に帰ろう!」 より
編集しています。
文責:ten1ko2)
第1地区 田中富広地区長 激励メッセージ
VOL4.(3月31日)
「こんな時こそ、基本に帰ろう!」 より
☆
新型コロナウィルスが収束するように、
日本の食口たちも祈りをささげています。
しかし、いつ収まるかわからない現実は、
不安でしかないですね。
歴史上最悪とも言うべき、困難なこの時に、
真のお母様が地上におられる、ということが
どれだけ有り難いことであり、
感謝であるかしれません。
地区長の語られているように、
信仰生活の3要素をしっかりと守って、
困難を乗り越えていきたいと思うのです。
このあとも、礼典生活の3要素、
礼拝の3要素など、
今のこの時期に特に大切で
参考になるお話が続きますので、
どうぞお楽しみに。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)