神明(しんみょう)先生の「UTS時代の神体験」より
『カインとアベルの関係における聖霊降臨の体験』
を紹介します。
☆
私は紆余曲折を経て、1985年からUTSで教鞭を執り始めましたが、
それからというものは当時の総長に心から侍ることによって、
3年以内には総長から絶大な信頼を受けるようになりました。
私は教授という立場上、学生たちに教えているだけでよかったのに、
総長は次第にUTSの組織上の問題、財政の問題、
スタッフの心霊問題、学生の問題といった全ての問題について、
まず私に相談をしてこられるようになりました。
それは実に光栄ではありましが、
そんなに簡単なものではありませんでした。
というのは、周りからは私にさまざまな抵抗が生じてきたからです。
同じ統一食口の間でこんなことが起こるのは残念なことですが、
私を失脚させ追放するための画策が、
当時のUTSのリーダーやスタッフの間で、
見えないところでなされたりしていました。
私は米国の旧敵の日本人として、どこに行っても
苦労が付きものなのかな、とも思いました。
☆
1990年代の初め頃に、あるスタッフの姉妹などは
総長に手紙を書いて、
「UTS内で最も危険な人物はドクター・シンミョウなので
気をつけてください。彼は問題がある所には必ず顔を出し、
その問題をかえって悪い方にこじらせた後、
自分の解決法を提示して点数を稼ごうとする悪人です」
などと讒訴したのです。
私を完全に信頼する総長はカンカンに怒って、
彼女を解雇し追放しようとされました。
それで、私は、私を讒訴する彼女の総長への手紙のことは
知らないふりをして、彼女と直接話してみることにしました。
彼女は私のオフィスに静かに入ってきましたが、
話しているうちに次第に
彼女の形相が見る見るうちに怒りと怨みに満ちてきたのです。
韓国や日本からやってたた東洋人が
教会のトップを占めていることに承服できない、
というのが彼女の一番の言い分でした。
彼女の毒々しい言葉を全部聴いてあげました。
それを聴いたら、普通だったら我慢できないような内容でした。
しかし不思議にも神様の働きのせいか、
私は彼女の怖い形相を見ながら、かえって愛の思いが
ふつふつと湧いてきて泣きそうになりました。
いよいよ彼女との話が終り、彼女が立ち去った後、
独りになった私は彼女に対する神様の無条件の愛を感じて、
机の上に顔を伏せてしばらく号泣しました。
そして私に対する彼女の個人攻撃の事実さえも
許して余りあるように感じました。
これも聖霊現象でなくて何でしょうか。
自分の力ではこんなことは絶対にできないはずです。
☆
それで私は総長に訴えました。
私が必ず彼女を面倒見るので、彼女をクビにしないでください、と。
面倒を見れる自信はありました。
なぜならば、神様がいらっしゃると感じたからです。
総長は私の訴えを聴いてくださり、彼女をクビにされませんでした。
その後も何度も、いわゆるカインの立場にある人達の苦情を
真心で聴いてあげて、同じような聖霊降臨の体験をしました。
私がUTSの総長になってからもそれを体験しました。
そのときは、本当に神様の愛が充満して、
怨讐はもういなくなってしまうのです。
全ての人を愛せるのです。
それこそ天国に入ったような気持ちでした。
これ以上の幸福はないと感じました。
☆
統一運動もこのような聖霊体験を基にして歩めれば、
どれほどよいでしょうか。
もちろん、組織とか経済などの外的な現実面を
無視するわけではありませんが、
現実面もこのような内的なものによって
支えられなければならないのではないか、とも思います。
要するに、カインとアベルの関係に
聖霊が降臨できるようになれば、いちばんよいと思います。
先生に確認の上
一部編集しています
文責:ten1ko2
「UTS時代の神体験:ドクター神明の信仰エッセー」
現在、『世界家庭』に連載中
一部編集しています
文責:ten1ko2
「UTS時代の神体験:ドクター神明の信仰エッセー」
現在、『世界家庭』に連載中
☆
先回は、神明先生が愛の減少感を感じる立場の証しでしたが、
今回は、逆の立場です。
アダム家庭においては、アベルは傲慢になり、
カインの怨みの思いは増幅して、アベルを殺害する結果になりました
彼女のために祈りを捧げました。
本当に素晴らしいな、と思います。
先生は、他にも様々な仕打ちを受けられたそうですが、
その試練を乗り越えられる中で、
神様の導きを実感されたといいます。
私たち、家庭連合には神様がともにあり、
しかもお母様の語られる、
本当の神様、天の父母様がともにおられます。
ですから、先生の語られる通り、
聖霊がともにある組織、統一運動が
実現可能であることを心から感じるのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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