2020年04月21日

結婚指輪は誰のもとに?! 父母様はケチなのか、豪快なのか・・ 《小山田先生》



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1992年に一年間かけて、
世界130ヵ所で講演を行いました。
韓国を発つとき、それぞれの国や気候にふさわしい服を
何着も準備して行ったのですが、
帰って来た時には、一着も残っていませんでした。

ほぼ一年ぶりに家に帰ると、
文総裁が『御苦労様」と言いながら、ふと尋ねました。
「ところで結婚指輪はどこに行ったの?」


『自叙伝 人類の涙をぬぐう 平和の母』より
p185


小山田先生の自叙伝から、
「心を見抜かれる真の父母様」を紹介します。


真の父母様が、「希望の日」晩餐会の会場である
帝国ホテルに入られたときのことです。

会場に向かって久保木修己・初代会長を先頭に、
真のお父様、真のお母様が続いて廊下を歩いて来られました。

そのときお母様は、素敵な洋服を身に着けておられたのです。

それを拝見した私は、ふと「あの洋服を、
私の家内(妻・儀子)に着せられたら…」と思ってしまいました。
次の瞬間、「とんでもない、無礼なことを…」
と、心の中で否定したのです。

ところが真の父母様が帰国されるときに、お母様が
「この服を儀子にあげなさい」とおっしゃったのです。

私は「これはまずい。
こういう考えをしてはならない…」と思いました。
しかし、後の祭りです。

 
このように真の父母様は、私たちが何を考えているかを
瞬時に見抜いておられるのです。
父母だから“子供”の心がお分かりになるのだと思います。
お父様もそうですが、お母様もそうです。

お父様がお母様のために、宝石で指輪を作り、
贈られたことがあります。

お母様は無欲のお方です。
あとになってお父様が、「オンマー、
あの指輪、どうしたのか?」とお尋ねになると、
「私よりも必要な人がいたので、あげました」
とお答えになるのです。


真のお父様もそうです。
かわいそうな人がいると、その人に
持っていた財布をそのままあげてしまわれるのです。
それは父母だからです。

次のようなことがありました。
お父様が鞄を持ってアメリカから来られたことがあります。
ところが、その鞄が壊れていたので、
私は渋谷の百貨店で鞄を買い求めて差し上げたのです。
お父様は、その鞄を長く使っておられました。

革靴についても、一足の革靴をずっと履き続けられます。
そのようなお父様です。

個人を見ると“大変な節約家”であり、
公のためには“大盤振る舞い”をなさる方なのです。
それは、神様がそのようなお方であるからだと思います。

小山田秀生先生の自叙伝
「真の父母様の御跡を慕って」
日本の著名人に対する初の講演
〜父母として“子供”の心を瞬時に見抜かれる〜
『祝福家庭』93号(2019年 夏季号)


お母様は霊的に本当に敏感なのですね。
小山田先生が、「妻に服を着せられたらいいな」
その思いを持っていることを、
先生のほんの一瞬の表情の変化で、
何かしら見抜かれていたのだと思います。

また、大事な結婚指輪をあげてしまう、という証し。
お母様の自叙伝にも掲載されていましたので、
最初の文章にあげさせていただきました。

それにしても、あげてしまうことも凄いことですが、
誰にあげたことも覚えていない、というのは、
ちょっと私たちには考えられないことですね。

さらにすごいのは、その結婚指輪をプレゼントした、
真のお父様です。
お父様ご自身も、「どこに行ったの?」とは聞かれても、
それ以上は詰問しない、というか、
お父様もお母様の行ったことに対して、
感服しておられる、というのです。

まさに、ご夫婦そろって、
「愛は与えて忘れなさい」
というみ言を実践されておられるのです。

本当にために生きる、利他の心情が、
体に染みついておられるのだな、と感じます。





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