2020年04月28日

悪くないのに反対されるとき── もっと尽くしなさい 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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天正宮に向かう桜並木☆


李ヨハネ(イ ヨハン)先生のみ言、
「何よりも神のものを愛す」より
「怨讐を愛する」です。


先生が牢屋におられた時、一週間もの間、
口にもすることもできないような食事が出たことがありました。

その穀物の名前はよく分からないのですが、
皆さんよく御存じの、麦の皮がついたままの食事でした。
韓国ではそばを作る時の材料ですけれども、
皮をむかないものは非常に固く、
刃物のように角張っているのです。
それを皮をむかないまま煮て揚げるのです。

今まで皆様にお話ししてきたように、非常にひもじかったので、
量が多いだけありがたいという心持ちで食べましたが、
非常に固いので胃に痛みを感じる日が七日間も続いたそうです。

その時に、先生はどういう気持ちで
それを受け取られたのかを話したいと思います。

先生は、たとえ看守たちが囚人を早く死なせるために
このような食べ物を出すとしても、それは
人間の先祖が神のおきてに背いた堕落の報いであり、
それがどんなに厳しいものかということを考えました。

先生としては、かえって感謝の心で本当に真剣に
み旨の道、復帰の道を勝利していかなければならない
という深い決意に燃えたそうです。


例えば、統一原理を人々に伝えていた時に、
反対してきたたくさんの牧師や政府の人たちに対して、
先生は何一つ弁明しようとされませんでした。

ある時、神様は先生に、
「牧師たちのお祈りを聞かせてあげよう」と言って、
スピーカーを先生の方に向けたそうです。

すると、「神様、どうか文を早く天にお呼びくださいませ。
早く死ぬようにしてくださいませ」
という祈りをするのを耳にしたのです。

先生は、彼らを恨むより、かえってこの人たちは
分からずにそうするのだから、
愛をもって伝えるみ言を牧師たちがたとえ聞き入れなくても、
その牧師の子供たちは神の方に帰ってくるだろう、
という強い決意をされたのです。

その当時、私たちは麦飯を食べることもできない
という困難の中にいました。
犬が残した物を食べるような状態でしたけれども、
先生はお金を全部かき集めて、
反対する牧師をホテルに呼び寄せて、
立派な食事でもてなし、立派な部屋に泊めて
統一原理のみ言を教えたのです。


このように先生は人を憎むのではなく、かえって
迎えて愛していくというやり方をされました。

先生がそこで私たちに教えてくださったことは、
「お前たちは反対された時に、弁明しようとするな。
逆にその人たちが反対することによって喜びがわき、
神にもっと近づくというならば、私たちは
彼らが反対するのを願わなければいけない」
と、このような気持ちでした。

弁明しようとせず、やることだけきちんとやって、
実績を立てていこうというのが、先生の強い決意でした。


先生がアメリカに来られた時、政府やキリスト教、
ユダヤ教がそろって反対しました。

先生は、「私が三十年前にここに来ていたら、
こういうことはなかったはずなのに、
遅れてきたのでこういう目に遭うのだ」と考えられました。

反対の声を、「なぜ早くこの国に
おいでにならなかったのですか」と聞き取ったのです。

そこで先生は、遅れた分までも、
この時間に全部やらなければいけないという気持ちで、
何倍以上もの心をささげられたのです。


私たちが、色々やっていますと、
自分としては悪くないと思っても、
私たちに反対する人がいます。

そういう時にでも、その声は私に対して
「あなたはもっと心を尽くして、
神のために実績を上げるようにしなさい」
と言っているように感じ取らなければいけないと思います。

兄弟から、三六〇軒の人から、街頭の人から
反対されるような時にも、もっと人のために尽くしなさい
という言葉として感謝して受け取って、
もっともっと尽くすならば、結局は反対する人をも
神に帰属させる大きな力となるだろうと思います。

普通、怨讐を憎しみや力で裁きますけれども、
私たちは反対に、神に人にもっと尽くすことによって、
裁いていくという点で異なるのです。

憎しみの代わりに愛で、恨みの代わりに神のため、
人のために尽くすことによって、
憎しみでいっぱいになっている世の中を
変えていかなければいけないと思います。

U 先生の道は我々の伝統
第7章 何よりも神のものを愛す
「怨讐を愛する」


お父様の愛の世界は深いですね。
「恩讐を愛する」という言葉に集約されますが、
口で言うほど簡単なことではありません。

お腹が空き、体が大変になれば、
それ以上自分を犠牲にしたり、
憎むものまでも愛す、ということはなかなかできません。

ヨハネ先生が話されているように
お父様は、本当に具体的に
実際的に乗り越えておられるのですね。

お父様の愛は強く、大きいので、
私たちなら到底向かっていけず、
避けて行ってしまうような所も、
お父様はストレートに向かっていくのだな、
そういう風に感じました。

よく、「真の愛は、直短距離」と言われますが、
神様に通じる垂直のその道は、
火の中、水の中、茨に覆われたその先にあるのかもしれません。

限界の、追い詰められた状況の中で、
それでも真実に生きることができるのか、
その人の本当の姿が現れるのだと思います。

どこまでも真の愛を貫かれる
真の父母様に敬服いたします。





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posted by ten1ko2 at 08:54 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする