2020年05月25日

敬拝の勧め 敬拝は、宗教儀式ではなかった?!  《氏族伝道の心理学》



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大知先生の【氏族伝道の心理学】
今回は、「親への敬拝について」です。


私が、最初に親に対して行ったらいいと考えている方法は、
「큰절(クンヂョル)」です。

韓国語で、「大きな挨拶」という意味で、
教会で言う敬拝(キョンベ)です。

私は、親に侍ることの第一歩として、
自分自身の親に敬拝することを勧めている、ということです。

私たちは日本人、いえ韓国人以外の人たちは、
統一教会に来て初めて敬拝するという人がほとんどだろうと思います。
ですから、私たちは敬拝を宗教行事だと思いがちです。

敬拝の時間がきたら、真の父母様の写真に向かって行う
宗教行事として敬拝しています。

これは、イスラームが、メッカのカアバ神殿の方角に、一日五回、
決まった時間に礼拝(サラーもしくはサラートと呼ばれる)を捧げるのと
同じ感覚なのではないでしょうか。


韓国の人たちにとっての敬拝は、私たちとは全く違うものです。
韓国人にとっては、敬拝は自分の親にするものであり、
自分の血統の上の人たちに侍る心情を表現する手段なのです。

韓国の人は、統一教会に来る前から親や祖父母、
親族やご先祖様に対して敬拝をしています。

ですから、韓国人が神様や真の父母様に敬拝をするのは、
神様や文(ムン)先生ご夫妻が親だとわかったからです。
神様や文先生ご夫妻が親だから敬拝するのです。
この点が、韓国人と私たちの決定的な違いです。

 
敬拝は偉大な人に捧げるのではありません。
韓国ドラマを見ればわかると思います。
ある歴史ドラマの中で、その国の王子が、
国王に対して敬拝を捧げる場面がありました。
その時、王子と一緒にいた家臣は、敬拝をしませんでした。

王子は、国王だから敬拝をしたわけではなく、
自分の親だから敬拝を捧げたのです。
そして、家臣たちは、国王が親ではないから、敬拝をしなかったのです。
その家臣たちも、自分の家に帰れば、自身の親に敬拝を捧げることでしょう。

敬拝とは、そういうものです。
偉大な方だから敬拝を捧げるのではなく、
自分の親だから敬拝を捧げるのです。

もちろん、家臣が国王に敬拝をするときはあります。
それは、国の親として立っている国王に対して、
子供として侍る心情をもち、それを表現するために敬拝をするのです。
ですから、敬拝は子が親に対してするのが基本なのです。

ですから、韓国人にとっては、神様は創造主で、
文先生は再臨のメシヤで偉大な方だから敬拝をするのではなく、
神様は創造主で、文先生は偉大な方だというのは知っていたが、
親だということがわかった、だから敬拝をしよう、と考えるのです。

 
韓国人にとって、親というのは特別な存在です。
ですから、お父様も、神様が親だとわかったということが、
天倫の秘密を解く鍵だったとおっしゃるのです。

神様が親だということがどうしてそんなに重要なのか、
それは、韓国人の心情をもたなければわからない世界なのでしょう。
 
敬拝の意味がわかっていただけたでしょうか。

 
もう一つ、私の友人のある日韓家庭のエピソードを紹介します。

その家庭のご主人(日本人)は、ある時、
奥さん(韓国人)の実家に行ったそうです。

その日、奥さんの弟が、軍隊に行ってから初めての休暇で
実家に戻ってくるというのです。
せっかく久しぶりに軍隊から帰ってくるのだから、
家族皆で迎えようということになり、奥さんの実家に夫婦で行ったそうです。

その弟は、軍隊に行く前、いわゆる不良息子で、
あまり家にも寄りつかず、親を困らせてばかりいたそうです。
その弟が軍隊に行ってどうなったかも、興味があったと言います。

弟が、帰ってきた時、軍服を着て、髪の毛も短くしており、
それ以前ととても印象が違っていたそうです。

そして、その弟が、帰ってきて最初に言った言葉は、
「お父さん、お母さん、私は軍隊に行ってとても変わりました。
私が変わった姿をお父さんとお母さんに見ていただきたいです」
というものだったそうです。

そして、その弟はご両親に対して敬拝を捧げたそうです。
私の友人は、その敬拝を捧げる姿を見て感動し、
敬拝の意味を改めて感じることができたと言っていました。

 
きっと、その弟は軍隊に行く前は親に反抗的で、
敬拝などしていなかったのだろうと思います。
そして、軍隊に行って変化した自分自身の気持ちを表現するために敬拝を捧げました。
敬拝とは、本来、そうしたものです。

こうした敬拝の真の意味を理解し、体恤するためには、
実際に親に敬拝を捧げるしかありません。

そして、親に敬拝を捧げるということは、
親を絶対的に受け入れ、肯定することです。
親を肯定的に受け入れることができれば、
自分自身を肯定的に受け入れることができます。

ですから、私は、相談に来る方に対して、
自分の親に敬拝を捧げることを勧めているのです。

(一部割愛 文責:ten1ko2)

大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第3章 氏族的メシヤ勝利と心の問題解決
親への敬拝について


親に敬拝を捧げる・・・

確かに大知先生の言われるように、
日本人の私たちにとって、
敬拝をするのは、「一つの儀式」という認識であり、
親への挨拶、という概念は薄いと思います。

先日も、祝福を受けたけれど、み言をほとんど知らない、
信仰二世の男性に礼典生活の講義をしたのですが、
敬礼式に対して、「それって土下座ですか?」
そのような回答が来ました。

心情が伴っていないと、
そのようなとらえ方しかできないし、
一般の人たちの家庭連合に対する認識も、
そのようなものだと思います。

何よりも「親に侍る」という立場で、
敬礼式に対して、改めて
見つめなおさなければ、と思います。

韓国でも、お寺で、日本でいう
お百度参りのように、
何千拝も敬拝を捧げる場合もあるようですが、
それでも根底に親に捧げるという
孝情があるのかと思います。

親孝行したいと思うときには
親はなしと言いますが、
すでに亡くなっている父母、
あるいは、遠方の父母に対してどうしたらいいのか、
次回にお伝えします。






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2020年05月24日

(祝福の証)父母様は地球の反対側までわかる?! 人知を超えた天のカップル・777の場合



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倉本正彦先生の講話
「祝福家庭を愛される真の父母様」
〜「意識すれば、その人のことが分かる」とお父様〜
を紹介します。


私たち(777双のメンバー)が集合すると、
真のお父様はそれぞれのカップルを眺められます。

カップルを見れば二人の関係や状況がお分かりになるようです。
関係が難しそうなカップルを見つけると、立たせて、報告させます。

そこでお父様は、「あなたには、なぜこういう女性がふさわしいのか」
「この女性にはこの男でなくちゃいけないんだよ」
「この男にはこういういいところがあるんだよ」
等々、解説してくださいます。


ある時、首をかしげながら私と隣の女性に立つように言われたことがあります。
私が立ち上がって「相対はこちらです」と妻を指すと、
「あ、それならいい」とおっしゃり、そのまま座らせました。

お父様は、組んだ相手を覚えておられます。
このカップルは組んだはずがないと感じて立たせたようでした。


私が渡米する前の1975年夏に、お父様は私の妻に
「夫は新聞やっているの?」と聞かれたそうです。

ちょうどその時期、76 年3月に渡米するまでの約10か月間、
私は「思想新聞」の編集長をしていましたが、
お父様はそのことをご存じなかったはずです。

普通なら、「あんたの夫は何してるの?」と尋ねるのではないでしょうか。
私は「お父様はそんなことまでお分かりになるのか」と驚きました。


こんなみ言を伺ったことがあります。
「先生は地球の反対側にいる人でも
関心をもてば分かるんだよ」

「その人を見れば、その人の性格や置かれた状況ばかりか、
その人の両親がどんな状態でその人を身ごもったかまで分かるのだよ」

お父様は霊界に通じておられるので、関心をもって投入されたら、
あらゆることを見抜かれるのではないかと思います。

そこまで一家庭一家庭に関心をもって接してくださっていることを知り、
とてもうれしかったことを覚えています。


ところで、真の父母様が自分たちカップルをなぜ組まれたのか、
誰でも関心のあるところです。

特に女性たちは関心が強いようで、お父様から指名されてもいないのに、
積極的に「私たちのカップルはどうですか?」などと質問しました。
私の妻もお父様にお伺いしました。

お父様は、それぞれのカップルの質問に応えて説明してくださいました。

とても難しいあるカップルに対しては、
「どうしても嫌なら、先生は今からカップルを組み替えることもできるよ。
どうする?」と問われたこともありました。
さすがにそれを願い出る者は誰もいませんでした。

これもお父様の作戦だったのかもしれませんが、
交流を避けていたカップルも改めて向き合うようになりました。

こうして、真の父母様が一組一組に介入してくださることを通して、
一組一組がお父様との強い因縁を結ばせていただくようになり、
相対間の葛藤を越えたカップルも多いと思います。

『祝福家庭』93号(2019年 夏季号)


お父様がその人を見当てる妙味というものは、
神業としか言いようがないものですね。

私たち夫婦もお父様に
「私たちのカップルはどうですか?」
そんな質問をしてみたかったな、と思いますが、
霊界に行ってからの楽しみの一つにしようと思います。

今は、真の父母様がマッチングをされる時代ではありません。
万民が祝福を受ける時を迎えています。
それでも祝福結婚は、人知を超えた中でのものだというのは、
未来永劫変わらないと思います。

多くの人たちに祝福の恩恵を感じていただけるように、
これからも取り組んでいきたいと思うのです。







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2020年05月23日

真の愛のウィルスになろう! コロナに学ぶこと 《田中地区長》後



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STAY HOME!☆☆☆
新型コロナウィルスの
終息を心からお祈りします☆


長く続いた自粛生活。
かつてない事態を生んだコロナ・ウィルス。
ここで私たちが悟らなければならない
ポイントを、田中地区長(副会長)が語ってくださいました。

これは、たとえコロナが終息に向かっても、
忘れてはいけない大切なことだと思います。

我欲を捨て一つになる
責任のある行動をする
隣人・家族を愛する
為に生きる

そして、もう一つ加えるとしたら・・・
真のお父様とお母様のみ言を
交えてのお話(後編)です。


もしかしたら自分の命が奪われるかもしれない中で
この状況下で、ほんとに誰よりも
為に生きる戦いに向かって挑戦している、
医療関係者の皆さんに、心からエールを送りたいと思います。

そして何よりも、私たち天一国の主人に向かって
(コロナウィルスが)
訴えてきているメッセージがあると私は感じております。
これは私の感覚ですが。

タイトルは、真の愛のウィルスになりなさい!

たった一人から2か月3か月で爆発的に世界に感染していきました。

このように私たちが真の愛のウィルスとなって、
爆発的に世界に感染させていきなさいという
強烈なメッセージを垣間見ているようです。

自分から周辺に向かって真の愛のクラスターを作り上げて
クラスターの拡大の中で、
とうとう非常事態宣言が発動される。
それでも止められない。
都市ロックダウン
それでも止められない。

世界に向かって爆発的感染、愛のパンデミックといったらいいか、
こういう風に一挙に真の愛を感染していく、
感染という言葉が抵抗あるなら拡大ですね、
こういう私たちになりなさいという
天の叫びのようなことも改めて感じます。

コロナウィルスに学ぶように、
たった一人から世界をここまで席巻する力があるんだということを
私たちから示していかなければならない、
特に真のお母様ご在命の時に
していかなければならないのではないでしょうか。


為に生きる生活哲学を
私たちは真のお父様お母様から学んできました。
たとえば…


私の生活哲学は
「為に生きる」です。


真のお母様



幸福は人のために生きる
人生の中にあります。
…幸福は、「為に生きる」人生を
生きる時にこそ
発見できるのです。


真のお父様


お二方も人生「為に生きる」その一語で貫いていかれました。

まさに為に生きる人生観を改めて私たちは問われていますし、
これを万民に向かって拡大していく、
そこにこそ幸福があるんだという考え方を
拡大していくそんな力を私たちに求められていると、感じております。


為に生きることはもちろんですが、
でもこの言葉も忘れてはいけません。


為に生きる人生を生きる
ということは
時として
個人の犠牲を前提とします。


真のお父様



自分のためではなく、
他のために生きる人生というのは、
犠牲と奉仕を前提にしない限り、
考えることすらできません。


真のお母様


このように私たちが人のために生きようとすれば、
自分の持っている時間をあげなければいけないかもしれない、
持っているお金をあげなければならないかもしれない。。。

いずれにしろ自分の持っている能力を
最大限に誰のために使うのか、
あるいはどのレベルで使っていくかということは
常に私たちはそれと幸福観というのは結びついて
物事を考えていかなければならないということになります。

ですから横から見れば犠牲に見えるかもしれないけれど
自分にとってみたらそこにこそ幸福がある、
この私たちの人生観、価値観をしっかりと
構築していかなければならないとあらためて感じます。


お母様の自叙伝にこうありました。


『私は神様のために何を犠牲にするのか』
この問いかけが、私の人生を
根底から変えていきました。
  (p102)


犠牲という言葉は重く聞こえますが、
でもその向こうにある福は犠牲が深ければ深いほど
幸福観はより深まり高まる。

こんな私たちの真実の価値観を
より万民に向かって拡大していけるような
そういう一人一人となっていくために、
あらためてコロナウィルスを通じながらですね、
私たちは悟らせていかなければならないと感じています。


多くの悲劇をもたらすコロナウィルスでありますが、
危機を機会に私たちが転換するならば
こういう考え方をしっかりもって
爆発的にこの価値観を蔓延させていくことのできる
発信源となれるように、
今週もまた頑張っていきたいというように思っております。

ぜひ家族の皆さまと向き合い、その中で自分のできる、
為に生きる行為、実践を通じて、その力こそが
世界を平和に結びつけていく力となることを信じていきましょう。



最悪を最善に変える歩みをしていかれた、
真のお父様の歩みを思い起こします。

コロナ禍の状況も
ようやく収まってきて、
しばらくは元に戻ることはできないとしても、
新しい生活様式で、
日常生活を送れる道筋が見えてきました。

だからこそ、以前の生活、
そのままに戻るのではなく、
この機会を生かして、新しい出発をする、
そのような者になっていきたいと思います。

真の愛のウィルス、
それは真の父母様ではないでしょうか。

人類は一組の父母、アダムとエバから始まったように、
真の愛の血統を持った、真の父母様を通じて、
人類は一つになっていく、
いよいよ、そういう時を迎えたと思うのです。







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