真のお父様が、著されたという
原理原本。
それを基に原理講論が出版されましたが、
そこでは明かさずに残された
真理の神髄がありました。
史吉子(サ キルジャ)先生の証し、
「お母様を通して現れた『原理原本』」を紹介します。
☆
私が真のお母様のおそばに
侍るようになったのは、
孝進様をお生みになった時
(1962年12月)からです。
ある時、お母様が学生時代に読まれたという
アルベール・カミュの「異邦人」について、
1時間以上にわたって
話してくださったことがありました。
何年も前に読まれた小説なのに、
ストーリーも、それぞれの場面も
実によく記憶しておられ、
詳述してくださるのです。
筋が通っていて、無駄がないお話に
私は酔いしれました。
登場人物やその周辺の様子が
絵のように浮かんでくるのでした。
☆
お母様は聖貞(ソンジョン)女子中学校(現・善正中学校)3年の時、
朝礼で校長先生の訓示と伝達事項に続いて、
お話しをされたとのことですが、
大勢の生徒の前に立っても、
全く震えなかったそうです。
お母様は、
「本来、私は話が上手なのよ。
でも、お父様がお話が上手で
素晴らしいお方なので、
私はその陰に隠れているのよ」
そして、冗談交じりに
「弁舌の能力を発揮する機会がない」
ともおっしゃいました。
☆
お母様が話し上手でいらっしゃることを知ったのは、
1984年、アメリカで真のお父様が、
ダンベリーに入られた時でした。
お母様はお見送りの時、とても泣かれました。
ところが戻ってこられたときは、
「いつ泣いておられたのか」と思われるほど、
毅然とした態度で、こう語られたのです。
「このような時こそ、
気を引き締め、み旨の前に一糸乱れず、
しっかりと歩んでいかなければなりません」
感動的に、情熱的に、理論的に語られる、
お母様のお姿を拝見して、
私たちは新しい感動と決意に満たされ、
お母様への信頼感と尊敬心が湧いてきたのです。
☆
お母様はその後、全世界を
巡回講演されるようになりました。
1996年お母様が講演された
「救援摂理史の原理観」というみ言で、
イエス様の血統が明らかにされました。
私はこのみ言を聞いて、
「ああ、お父様は、お母様を通して
『原理原本』の一部を、
少しずつ出しておられるのだ」
と悟った瞬間がありました。
『原理講論」は、お父様からのご指示で、
私の夫(劉孝元)が、
原理原本を体系化したものです。
『原理原本」は、
霊的な内容なので、非常に難解で
ただ読んだだけでは理解できません。
それで、万人が分かるように
体系化する必要があったのです。
「原理原本」においては、
イエス様の母であるマリヤの問題が、
一番深刻でした。
それで私は、その内容が
明らかになる日を今か今かと待っていたのです。
その後もお父様は
「真の家庭と私」
「宇宙の根本を探して」
「真の愛を中心とした真のなる家庭と真なる宇宙」
などのみ言を発表され、
心と体の問題、良心の問題などを
明らかにしていかれました。
このようにして、
お父様の『原理原本』は、
お母様を通して、地上に現れてきたのです。
☆
見かけはおとなしく見えますが、
度胸があるのです。
(真のお父様)
度胸があるのです。
(真のお父様)
光言社刊・真のお母様、感謝します
(心を打つ、50の証し)より
(心を打つ、50の証し)より
☆
お母様が学生時代に
全校生徒の前で演説をされた部分は、
自叙伝「平和の母」にも掲載されています。
いつもお父様の陰におられたお母様でしたが、
今のお母様が堂々と万民の前に立たれます。
その素質は、
もともと持っておられたものだったのですね。。。
☆
原理原本が「難解である」と史吉子先生が語られています。
原理原本は、出版していないので写本として残されていますが、
手に入ったとしても韓国語なので、
なかなか読みこなせないかもしれません。
うちの教会長は、韓国語ができるのですが、
アメリカのUTSにおられた頃
この原理原本を手にし、読まれたことがあるとのこと。
やはり「非常に霊的なもので、
啓示を受けて書かれたもの」という印象だということです。
「簡単に言えば、創造原理の中に、
堕落論が入っていたり、復活論が書かれていたり、
とにかく複雑で難しい」
そのように話されていました。
その書物を体系的に書かれた、
劉孝元先生も素晴らしいと改めて思いました。
その時も、お父様が事細かく指示されたとのことですが
(やはり史吉子先生が証されています。)
さらに、その真理の神髄を
お母様に語らせたお父様の知恵というか策略は
見事としか言いようがないですね。
貴重な証しをしてくださった
史吉子先生に感謝いたします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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