2020年05月19日

「昨日、筋トレさぼったよね」と良心に言われて… 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラム、
今回は、「良心は一つになるように導く」です。

 
先輩から、引っ越しの手伝いを頼まれました。

「はい、分かりました」と口では言いましたが、
重い荷物を運ぶんだろうなあ、半日つぶれるなあと、
ちょっと憂鬱(ゆううつ)になっていました。

でも、せっかく手伝うのだから、
そんな気持ちではいけないと思い、
待ち合わせ場所で先輩を待つ間に
「心の目で見る」ワークをしました。

「真の愛を中心として、今のこの状況を正しく見させてください」
 
こう、良心に投げかけていると、こんな声を感じました。
 
「お前、昨日、筋トレさぼったよね」

一見何の関係もないような言葉ですが、
私にはその意味がよく分かりました。

実は私は毎日、筋トレに励んでいます。
毎日続けることを自分に課していながら、
たまたま前日はサボっていました。

それがちょっぴり負債になっていたのですが、
見事にそのことを突かれたのです。

「ああ、そうか。
重たい荷物を運ぶことで筋トレ代わりになるし、
昨日サボったことも帳消しになるのだな!」
こう考えて、すっきりしました。

 
ところが、それも束の間、またまた嫌な気持ちに襲われ始めました。
私に手伝いを頼んだ先輩が、時間になっても来ないのです。

「自分だって、暇じゃないんだよな」と、
先輩を責める気持ちになりかけたので、
もう一度、「真の愛を中心として、今のこの状況を
正しく見させてください」と良心に投げかけてみました。

すると良心が今度は、「お前は
追い込まれたほうが集中できるタイプだよね」と言ってきたのです。

これにも、びっくりしました。
私は、例えば夏休みの宿題などコツコツできないタイプで、
夏休みの終わり間近になってガーッと集中力を発揮していたのです。

良心は私のことをよく分かっているなと思うと、
われ知らず笑みが湧いてきて、いつの間にか、
「よし、得意の集中力で頑張るぞ」という
前向きな気持に転換されていました。

 
「良心を感じ取る」ワークの解説には、

「良心は、許し、愛し、一つになり、
感謝する方向に導きます」
とあります(130ページ)。

これが良心の最大の特徴であるといえます。

そしてその導き方も、私の気持ちに寄り添いながら、
納得できるように導いてくれるのです。

これからも、私の最高の友である良心の声に耳を傾けながら、
分裂ではなく一つになる道を選択していきたいと思います。

私の心の中にいる神様 17
良心は一つになるように導く
(男性 30代)



良心のささやきって、本当に素晴らしいですね。

一番の問題は、何かというと、
自分が感情的になった時に
良心の声に耳を傾ける、
その意識を持つかどうかです。

さらには、良心がささやきかけた時、
その声に従って、実践するかどうか、
これが重要だと思います。

肝心な時、良心の声を聴く、
意識の切り替えを常に持っていきたいものです。。。





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2020年05月18日

日本は世界に奉仕する運命?! 「お父様は日本を信じる、なぜか?」 《小山田先生》



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小山田秀生先生の自叙伝
「真の父母様の御跡を慕って」より、
1973年のご来日のみ言を中心とするお話です。


1973年、真の父母様は3回、日本を訪ねてくださり、
たくさんのみ言を語られました。

私の印象に残っているのは、7月8日に
「復帰路程における日本の使命と理想世界」との題目で語られたみ言です。


「日本の使命は、エバ国の使命です。
 自分が飢えても、アジア民族に経済援助、
 心情的援助をすることのできる国にならなければ、
 日本の将来はありません。
 それは当然の話です。

 『統一思想』を受け入れれば、
 日本民族は世界的な民族になることができます。
 日本は世界の先頭に立つ民族になるでしょう。

 新婦がお嫁に行ってよく尽くす場合、
 家の全ての支持が集中する主人になるのと同じです」



このようにお父様は、「日本の行くべき道」として、
「日本の使命はエバ国の使命である」と強調されました。
日本には、善なる実績をもって世界に奉仕していく使命があるというのです。


第二次世界大戦をはさんで、日本を取り巻く周辺国家、
特にソ連や中国、北朝鮮といった共産主義の国々は、
何とか日本を乗っ取ろうと狙ってきました。
それは今も変わりません。

かつて日本がアジアに対して侵略行為をしたことは事実です。
その不名誉な立場を脱しなければなりません。

内外に援助して貢献し、アジアの発展のために
尽くさなければ、日本の将来はないのです。
そのためにも、国民を「統一思想」で啓蒙し、
世界的な民族となることが求められています。
 
お父様は、日本を「20世紀のイギリス」と見ておられます。


1973年から「国際指導者セミナー」が開催され、
日本とイギリス、アメリカの優秀な大学生や大学院生たちがたくさん参加しました。
 

「先生はアメリカに行って韓国と日本、アメリカの
 3ヵ国を一体化させるのです。
 日本は過去を悔い改めて、
 アジアと世界のために生きなさい。
 そのためには統一教会を中心とするしか
 道がありません」



というわけです。

1972年から74年まで世界的な3年路程です。
そのためにお父様は、“アメリカで天の作戦を組む”というのです。


「日本の使命と理想世界は何でしょうか。
 神の愛によって超民族的な国家編成をし、
 母の慈愛で進めていくことが、
 何よりも日本にとって重要なことです。
 だから歴史にない苦労をしましょう。
 アメリカ人に尊敬されるように奉仕しなさい」


「お父様は日本を信じます。
 なぜでしょうか。
 日本人は去っていきません。
 任せたら責任を果たすのが日本です。
 だから感謝していきましょう」



これらが、日本に対するメッセージのポイントです。

『祝福家庭』91号(2018年 冬季号)
小山田秀生先生の自叙伝
「真の父母様の御跡を慕って」
日本の行くべき道とは
〜日本にはエバ国の使命がある〜


第2次世界大戦において敗戦しながらも、
これほどまでに、経済大国として発展してきた日本。
人間の力だけでは理解できない
「天運」というものがありました。

ですから、真のお父様も
「アジアと世界のために生きなさい」
と語られているのだと思います。

過去に語られたみ言だとしても、
現在に通じるものだと思います。

世界のために生きることを通して、
世界から歓迎され、祝福される日本になるのです。
「使命がある」というのは、
ありがたいことだと思います。

「任せたら責任を果たすのが日本です」
お父様は日本の勤勉さ、責任感、真面目さ、
そういったものをご存じだと思います。

今回のコロナ禍においても、
緊急事態宣言による自粛は、
義務、強制ではなく、
一人一人に任せられた内容でした。

今、感染者が縮小されつつある状況も
日本の国民性に由来するものがあると思います。

責任を果たす私たちでありたいと思います。

1973年7月8日
「復帰路程における日本の使命と理想世界」
のみ言の一部を下に添付しました






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御言『復帰路程における日本の使命と理想世界』(7. 8)
「今から50年後には日本はどこへ行く? 
…国策において移民政策 をするには、日本民族を歓迎するような、おとなしい国はない。日本は、善なる実績を世界に積んで奉仕していないよ。これは遠からずアジアにおいて、50年以後において必ず侵略国家の体制を整えざるを得 ないというのが政治をやっている者の一般的判断だ。こうみれば、日本人かわいそうだ。 日本は加工産業国家だろう。日本民族の運命はアジアにおきましては、大陸を慕っている。そのはしごであり、橋頭堡は韓半島しかない。ここにおいて、ソビエトが待っている。中共が待っている。…金日成も毛沢東も、コスイギンもブレジネフも日本を自分の懐に入れた 場合にはアジアがやられる番だ。
… 日本の使命はエバ国の使命である。…自分が飢えてもアジア民族に 経済援助、心情的援助を成し得る国にならなければ日本の将来はな い。それは当然の話だよ。そのことを統一思想によってかなえる。もしもこの思想を受け入れた場合には、日本民族は世界的な民族になるんだね。日本は先頭に立つ民族になる。お嫁に行ってよく仕えた場合 には、その家のすべての世論を集中する主人になるだろう。だから日本は、先生と天において忠誠を尽くせ。それしかない。尽くした場合には日本は滅びません。もしもそれが74年まで果たすべき基準を乗り越 えなかった場合には、カナダが先生の行く時に援助した条件があって、日本のエバ国家の運命をイギリスが再び迎える時が来る。」(抜粋)



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2020年05月17日

私はなくてはならない存在?! 一人のために、家庭が生き、あるいは死ぬ 《ヨハネ先生》



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李ヨハネ(イ ヨハン)先生のみ言、
今回は、『一人の人』です。


聖書のローマ人への手紙五章12節から15節までを見ると、
アダム一人のために多くの人が死んだが、
イエス・キリスト一人のために多くの人が豊かな恩恵を
ただで受けるようになるという聖句があります。

この聖句の中に「アダムー人のために……」
「イエス一人のために……」という言葉がありますが、
今日は正にこの「一人の人」という題目で考えてみようと思います。

自分の肢体を見てみると、足一つ、手一つ、
またどこか肢体の部位一つのために不具になれば、
全身が異常な人として扱われます。

手一つが不具になれば、全身が異常な人として扱われます。
手一つが不具になることによって全身が不具の体になるのです。

このように解釈すると、本文を理解するのに助けになると思います。


      一人の人の価値

一人の人のために家庭が不幸になったというのは、
その一人の人がなくてはならない人であるときです。

アダム家庭を見ると、
神の全創造目的がアダムー人にあったということが、
アダムー人のために
すべての人が死ぬようになった事実から分かります。

アダムー人によって、神の創造目的が完全に失敗してしまいました。
そのアダムー人のために神と関係のない後孫になってしまいました。

神とイエス様との関係を見るとき、
イエス様はその関係において絶対的に
本来のアダムの位置にいなければならない立場にあったわけです。

そうであってこそ、それがイエス様一人によって
全体が無罪となって解放され、
神と父子の関係を結ぶことができる絶対的な理由になるのです。


このような原則を踏まえて見るとき、
私たちは自分自身が家庭の中でなくてはならない存在であり、
各自が与えられた責任の中で「一人」としての
役目を果たさなければならないことが分かるわけですが、
それはどのような関係ゆえにそうなのかということを問うようになります。

自分の肢体の構造を見ても、手はなくてはならない手、
指もなくてはならない指であるように、ある一つの存在というものは、
一つだけれども全体を代身した一つであり、
全体と関係を結んだ一つであるということを知らなければなりません。

 
このような関係を見ると、なくてはならない自分にならないかぎり、
人との関係で、その人のゆえにこうなったとか、
ああなったとか言えないわけです。

人との関係の中でなくてはならない人ではなく、
いてもいなくてもいい人であり、
無視される人だとすれば、それは迷惑をかける人です。

このようになるときには、かえっていないほうがいいと思いませんか。


イエス様は十二弟子を、なくてはならない存在として選んだのですが、
イスカリオテのユダに対しては
「あなたは生まれなかった方がよかったであろう」と言われました。

彼は心配をかける存在だったということです。
存在は存在ですが、必要と感じられない存在だったということです。

それゆえに、人は皆必要とされる人に
ならなければならないということに間違いはありません。

いかなる分野であろうと、なくてはならない自分になろうということは、
一瞬一瞬の生活の中でたゆまず責任を持って、
二人としての役目を果たそうということです。

生活の中の心情復活 李耀翰
「一人の人」
一人の人の価値
1984年4月3日(火)統一神学校
(この説教はチャペルの時間に語られたもの)


やはり、人間というのは、類的存在
有機体である、ということです。
人は決して一人では生きることはできないのです。
関わり合いの中でいきるしかないのです。

以前にもお伝えしたかと思いますが、
今の新型コロナウイルスも、たった一人から
世界的な感染拡大になりました。

一人の影響力というのは、
脅威であるのです。
なので、「私は関係ない」
ということは不可能なことです。
だからこそ、「ために生きる」
ということになるのだと思います。

余談ですが、
最後の文、「二人」となっていますが、
これだと意味が繋がらない感じもするので、
正式な文章を
あとで確認させていただきます。





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posted by ten1ko2 at 07:58 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする