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新型コロナウィルスの
終息を心からお祈りします☆
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入山部長の地域化講座、
今回は、「カインの祭物」です。
☆
アダムとエバ(父母)が摂理の中心に立てなかったがゆえに、
代わりにカインとアベル(子女)を立てる摂理が始まりました。
それは、「善悪の母体」となったアダムとエバの立場を
二つに分けて一つにする、
「善悪分立摂理」を行う必要が生じたためでした。
アベルはアダムを身代わりし、
カインは天使長ルーシェルを身代わりして、
その関係の蕩減(とうげん)を清算するようになりました。
それで、アベルとカインの二人は同じ父母から生まれた
兄弟でありながら、それぞれ
「善の表示体」と「悪の表示体」という
「役割」を背負うことになったのです。
「表示体」とは役割のことです。
ですから、アベル=善人、
カイン=悪人ということではありません。
あくまで蕩減的に負わされた、
「役割」であり、ポジションなのです。
☆
映画やドラマの世界にも悪役がいます。
「悪役商会」という、悪役を演じる
俳優さんたちのグループがあります。
彼らは、見た瞬間に「悪人」と分かるほどの
悪人の形相をしていますが、
本人が本当に悪人かどうかは分かりません。
実際は人のいいおじさんたちなのかもしれません。
彼らはあくまでも、「役割」を演じているだけなのですから。
☆
「アベルの祭物」は神様に受け取られ、
祝福されましたが、それはアベルの精誠条件とともに、
その「役割」、すなわち
蕩減復帰摂理上の立場ゆえだったのです。
一方、「カインの祭物」は受け取られませんでした。
それもまた、摂理的な「役割」のためだったのです。
「アベルの祭物を受け取られた神様の立場と、
カインの祭物を受け取られなかった神様の立場が、
互いに異なるもののようですが、
そうではなかったことを知らなければなりません」
(天一国経典『天聖経』1046ページ)
☆
ここには、複雑な事情を抱えた、「神様のこころ」が現れています。
神様は、アベルの供え物は受け取り、
カインの供え物は受け取りませんでした。
つまり二人に対する態度が違っていたわけです。
普通に考えれば、態度は感情を表しますから、
好き嫌いや、愛しているか愛していないかという、
心の表れであるはずです。
つまり、態度だけを見れば、神様は、
アベルは好きで愛していて、
カインは嫌いで愛していないということになります。
しかし、み言(ことば)によれば、そうではないというのです。
神様の態度は違っていても、心すなわち
愛する想(おも)いは同じだったのです。
神様はカインの供え物は受け取られなかったけれども、
カインを愛していたのです。
☆
それは、復帰摂理を始められた
最初の「神様のこころ」が分かれば理解できるでしょう。
悪に近いからといって、その子供を捨てる神様ではありません。
「カインに、天の立場を身代わりしていた
アベルを通そうという思いが
少しでもあったならば、
神様はカインの祭物を取られたでしょう」
(天一国経典『天聖経』1046ページ)
☆
(蕩減)条件のない復帰はない──というのが、復帰の原理です。
したがって神様は、無条件に供え物を受け取ることはできません。
しかし、ある条件さえ成立すれば、
「カインの祭物」を受け取りたかった、
祝福してあげたかった、つまり救いたかったのです。
神様はアベルの祭物を受け取りながら、
その目は、「カインの祭物」にも
熱く注がれていたのではないかと思うのです。
そして、いつの日か、「カインの祭物」を
受け取れる日が来ることを待望されたに違いありません。
カインの供え物を受け取ってあげたくても
受け取れなかった神様のこころは、いかばかりだったでしょうか。
『地域化講座〜地域づくりは国づくり〜天一国時代の伝道論』(4)
入山聖基・著
第一章 カインの祭物
カインの祭物
入山聖基・著
第一章 カインの祭物
カインの祭物
☆
「表示体」とは役割のことであり、
「アベルは善人、カインは悪人ではない」
なるほど、本当にそうですよね。
しかし、アベルは、「神様から愛されている」
そのように思って傲慢になり、
カインは、「神様から愛されていない」
そう思って、怨みの人生を送ってしまいました。
それが人類歴史であり、
私自身の中にある、課題となってしまったのです。
私たちはみな、アベルの立場でもあり
カインの立場でもあります。
ともに神様の心情に立って
物事をとらえていかなければならない、と思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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