2020年05月17日

私はなくてはならない存在?! 一人のために、家庭が生き、あるいは死ぬ 《ヨハネ先生》



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STAY HOME!☆☆☆
新型コロナウィルスの
終息を心からお祈りします☆


李ヨハネ(イ ヨハン)先生のみ言、
今回は、『一人の人』です。


聖書のローマ人への手紙五章12節から15節までを見ると、
アダム一人のために多くの人が死んだが、
イエス・キリスト一人のために多くの人が豊かな恩恵を
ただで受けるようになるという聖句があります。

この聖句の中に「アダムー人のために……」
「イエス一人のために……」という言葉がありますが、
今日は正にこの「一人の人」という題目で考えてみようと思います。

自分の肢体を見てみると、足一つ、手一つ、
またどこか肢体の部位一つのために不具になれば、
全身が異常な人として扱われます。

手一つが不具になれば、全身が異常な人として扱われます。
手一つが不具になることによって全身が不具の体になるのです。

このように解釈すると、本文を理解するのに助けになると思います。


      一人の人の価値

一人の人のために家庭が不幸になったというのは、
その一人の人がなくてはならない人であるときです。

アダム家庭を見ると、
神の全創造目的がアダムー人にあったということが、
アダムー人のために
すべての人が死ぬようになった事実から分かります。

アダムー人によって、神の創造目的が完全に失敗してしまいました。
そのアダムー人のために神と関係のない後孫になってしまいました。

神とイエス様との関係を見るとき、
イエス様はその関係において絶対的に
本来のアダムの位置にいなければならない立場にあったわけです。

そうであってこそ、それがイエス様一人によって
全体が無罪となって解放され、
神と父子の関係を結ぶことができる絶対的な理由になるのです。


このような原則を踏まえて見るとき、
私たちは自分自身が家庭の中でなくてはならない存在であり、
各自が与えられた責任の中で「一人」としての
役目を果たさなければならないことが分かるわけですが、
それはどのような関係ゆえにそうなのかということを問うようになります。

自分の肢体の構造を見ても、手はなくてはならない手、
指もなくてはならない指であるように、ある一つの存在というものは、
一つだけれども全体を代身した一つであり、
全体と関係を結んだ一つであるということを知らなければなりません。

 
このような関係を見ると、なくてはならない自分にならないかぎり、
人との関係で、その人のゆえにこうなったとか、
ああなったとか言えないわけです。

人との関係の中でなくてはならない人ではなく、
いてもいなくてもいい人であり、
無視される人だとすれば、それは迷惑をかける人です。

このようになるときには、かえっていないほうがいいと思いませんか。


イエス様は十二弟子を、なくてはならない存在として選んだのですが、
イスカリオテのユダに対しては
「あなたは生まれなかった方がよかったであろう」と言われました。

彼は心配をかける存在だったということです。
存在は存在ですが、必要と感じられない存在だったということです。

それゆえに、人は皆必要とされる人に
ならなければならないということに間違いはありません。

いかなる分野であろうと、なくてはならない自分になろうということは、
一瞬一瞬の生活の中でたゆまず責任を持って、
二人としての役目を果たそうということです。

生活の中の心情復活 李耀翰
「一人の人」
一人の人の価値
1984年4月3日(火)統一神学校
(この説教はチャペルの時間に語られたもの)


やはり、人間というのは、類的存在
有機体である、ということです。
人は決して一人では生きることはできないのです。
関わり合いの中でいきるしかないのです。

以前にもお伝えしたかと思いますが、
今の新型コロナウイルスも、たった一人から
世界的な感染拡大になりました。

一人の影響力というのは、
脅威であるのです。
なので、「私は関係ない」
ということは不可能なことです。
だからこそ、「ために生きる」
ということになるのだと思います。

余談ですが、
最後の文、「二人」となっていますが、
これだと意味が繋がらない感じもするので、
正式な文章を
あとで確認させていただきます。





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posted by ten1ko2 at 07:58 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする