氏族伝道の心理学
「親への敬拝について」の続き
実際に敬拝すると、
このような、驚くような結果が──
二つの証しです。
☆
以前、ある方からメールを頂いたことがありました。
その方は教会で献身的に歩んでいた方でしたが、気持ちがとても不安定で大変だ、
というので、私のところに相談に来ました。
その方にこの成約牧会カウンセリングの内容を伝えたところ、
「私の心は不安と怒りでいっぱいです」と言いました。
そして、「親子関係の問題であることもよくわかっています」とも言いました。
その方は、小さい頃に両親が離婚し、母親に引き取られました。
そして、母親と祖母と一緒に住んでいたそうです。
そして、その母親と祖母から、いつも父親の悪口を聞かされていたといいます。
それで、「父親のことが嫌いで憎んでいたし、
同時に悪口を言う母親や祖母のことも嫌いで憎んでいました」と言いました。
私は、その人に、父母と先祖に敬拝をするよう伝えました。
そして、それを実行したそうです。
その後しばらくして、その人から一通のメールを頂いたのです。
それをご紹介します。
(私信なので、内容を一部割愛しています)
☆
お久しぶりです。
ばあちゃんと母に敬拝を捧げさせていただいたときに感じたのが、
過去の出来事や現在の心情はどうあれ
『祖父母に、親に、敬拝を捧げる』という行為を通して、
親に侍る(過去に対する許しとか、親としての絶対的な肯定とか、敬う)
ことができるんだなぁと感じました。
そして、祖父母を、父母を肯定すると、
自己肯定にもつながるんだなぁと、
なんとなくですが、実感しています。
実の親に敬拝を捧げさせていただいてから、
大知先生が言われていた、「宗教儀式としての敬拝」と
「真の親に敬拝を捧げる」ことに差があると感じるようになりました。
真の父母様に敬拝をさせていただくときの心情が、
少しずつですが、親に敬拝させていただいている感覚に
なってきているように感じていまして、驚きの変化です。
今までは、真の父母様を親だと思っていいんだろうかと、
よく思っていたのですが、敬拝という行為を通して、
親子関係という動かし難い事実があるように感じています。
父母に敬拝→心情一体になること、というような内容も、
聞いてはいたのですが、実感していなかったなぁと思っています。
敬拝という文化を通して、
父母様を父母だと思えるようになるのが驚きですし、
とても不足な息子ですが、真の親に
敬拝を捧げることができるようになれるんだ、と思いました。
よく考えると、○○家の先祖の中で、
親に敬拝を捧げることができたのは僕が最初だなぁと思いながら、
長い歴史の中で、真の親がいなかったんだなぁと、
改めて感じさせていただいたり、父母の尊さを感じさせていただいております。
次は、父親に敬拝を捧げられるように、計画していきます。
本当にありがとうございます。
☆
もう一つ紹介します。
これを書かれた方は、拉致監禁被害者の方で、
米国に在住の日本人です。
米国での私の講演を聴き、
父母に敬拝を捧げたことを証してくれました。(一部略)
☆
実は私も親に対する恨みが解けた、
ということで証したいことがあります。
アンビリーバボな体験です。
私はシカゴで講義を受けたんです。
私の場合、親に対して、恨みと恐怖が入り混じって
これを解決なんて、霊界に行くまで無理、
拉致問題以前に親子関係は頭の痛い課題でした。
大知先生は、
「親はたとえ殺人を犯した親であっても敬う対象である。
まず、敬拝をしなさい。写真でも結構です」と言われました。
実体の親になんてとても、できないけど、写真でいいのか……。
とだまされたつもりで敬拝をしました。
二十年以上会っていない親ですが、
捜したら両親の写真が奇跡的に一枚、見つかって、
それに向かって毎日、敬拝をしました。
形だけでもいいと先生は言っていましたから。
……それで、ある日、気がついたことは、親とのいい思い出や、
親のいいところがいっぱい思い出されて懐かしくなってきたんです。
不思議にも、親とはこんなにも有り難いものなんだとさえ思えるようになり、
自分自身も受け入れることができるようになりました。
その後、やることなすことなんでもうまくいくようになり、
怒らなくなってきました。
先生は「決して怒ってはいけません」などと不可能なことを言っておられます。
しかし、これは自分が親との信頼関係を取り戻すと、
自然にあらゆることを受け入れやすくなるということです。
自分が随分、楽観的な人間になったみたいで、
つまらないことで、いらいらせず、何を見ても感謝、
ありがたいと思えるのが不思議です。
☆
宇宙は、本来、発展するようにできているので、
どんなことが起こっても、それは過程にすぎないんですね。
霊的秩序を立てる(儒教精神でも親子は絶対)、
たったこれだけのことがどれほど重要かということ、
また、韓国の文化を相続することが天国生活の基本だということを知りました。
自分の父母に敬拝を捧げることにより、親子関係が変わり、
そして自分自身の心の問題が解決していくこと。
さらに自分の親子関係が変わっていけば、
真の父母様と私との関係も変化していくことが理解していただけると思います。
ですから、ご自身の両親やご先祖様に敬拝を捧げてみてください。
まずは両親の写真に敬拝を捧げることから始められたらいいと思います。
そして、次の帰省の時には、ぜひご両親に、そして先祖のお墓に敬拝を捧げてください。
そして、敬拝を捧げることを第一歩として、親に侍る生活を始めてください。
大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第3章 氏族的メシヤ勝利と心の問題解決
親への敬拝について
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第3章 氏族的メシヤ勝利と心の問題解決
親への敬拝について
☆
二つの証し、素晴らしいですね。
しかも、後者の証しは、
実体ではなく、写真に向かって敬拝を捧げました。
もちろん、実体が一番いいでしょうが、
写真に向かって捧げることを通して、
心情が復帰されるのだ、と思います。
遠く離れた両親や、
もう他界した親や先祖にも
敬拝を通して孝行をし、
さらに自らの心情を深めていくことができる、
敬拝がここまでに素晴らしいものだったとは・・・
改めて、にはなりますが、
真の父母様に捧げる敬拝も、
お写真に向かって捧げています。
しかし、このことも実体に捧げるのと、
同じ意味があるのだということになります。
敬拝に対する意識を変えて、
取り組んでいきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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