2020年06月30日

真っ先に仲良くなるべきなのは、夫婦、親子、それとも…?! 《橘先生》



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橘先生のエッセイ、
今回は、「仲良くなる順番」です。


本欄で連載中のエッセイが、おかげさまで一冊の本になりました。
アトランダムにつづったものがテーマごとにまとめられています。

編集作業を始めた時点で書いたエッセイは80本を越えていましたが、
その中で私が躊躇(ちゅうちょ)せずタイトルに選び、
その後も迷うことがなかったのが
『いちばん大切な人と仲良くなれました』です。

読まれたかたは意味するところをご存じと思いますが、
タイトルだけ聞けば「一番大切な人」は人によって違う、
自分にとっては誰だろう、などと思われるかもしれません。

親にとっては子供は自分よりも大切ですし、
配偶者もそうだという人もいるでしょう。

でも本書では、「まず仲良くなるべき大切な人」
という視点でお話ししています。
仲良くなる順番があるのです。


先日、友人が電話で「私の周りには
自分が嫌いな人が案外多いかもしれない。
家庭集会で“自分を愛しましょう”と言っても
ピンとこないみたい」と話していました。

信仰熱心な年配の婦人でも
「自分のことが嫌いです」と言っていたそうです。


恵まれた環境に感謝することはあったとしても、
自分が嫌いな人は「私、幸せ!」と
心から言えないのではないでしょうか?

嫌いになった理由はさまざまあると思いますが、
嫌いになったら仲直りしないといけませんね。

天の父母様を知り、自分がその子女であることを知ったなら、
そんな貴い自分を否定的に見るのはNGです。


真のお母様もこう言われています。

「…誰であっても、自分自身を
 取るに足らないものとして扱ってはなりません。

 宇宙の聖なる作用によって生まれた
 貴い存在であることを、
 心の底から悟るべきなのです。」


(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』64頁)


貴い存在は貴く扱わなければいけません。

前著『夫婦愛を育む魔法の法則』でも触れましたが、
真のお父様も

「自分を愛さない人は
 神を愛することができません」


(『世界経典U』177頁)と言われました。


とはいえ、既に身に付いた思考のクセが、
自分をつい否定してしまうこともあるでしょう。

そのクセを理解し修正し自分をポジティブに見るようにする
地道な作業が大切なのですが、それは一朝一夕ではなりません。
本書がその作業の助けになればと願っています。

創造原理で、人は個性完成して、夫婦となり、
親となっていくとあるように、
自分と仲良くすることが夫婦関係を良くする土台であり、
良い夫婦関係が親子関係の改善にもつながるのです。

順番の最初にあるものを後回しにしないようにしましょう。
大切な、全ての人と仲良くなれますように。

夫婦愛を育む 121
仲良くなる順番
ナビゲーター:橘 幸世


橘先生、書籍の出版、おめでとうございます。
普段、BlessedLifeに紹介されている
エッセイを読んでいます。

日常のちょっとした話題を題材として、
とてもわかりやすく語られているので、
たまにブログでも、こうして
紹介させていただいています。

タイトルの『いちばん大切な人と仲良くなれました』
真の父母様が語られているように、
一番貴く思わなければならないのは、私自身である、
これが究極の答えなのです。

自分自身を本当に愛する人は、
身近な人、周りの人を愛することができる
ということなのかと思います。

逆に言えば、自己中心的で、
ために生きることができない人は、
本当の意味で、自分を愛していない、
ということになるでしょう。

自己牧会プログラムにも通じることですね。
自分の本心に働く神様を見出すべく、
今日も一日歩んでいきたいと思います。






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posted by ten1ko2 at 07:44 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月29日

「悔い改め」て再決意しただけで、満足していませんか?! 《金元弼先生》



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金元弼(キム ウォンピル)先生のみ言、
「悔い改めは出発の時と同じ」より
「恵みと試練」です。


アブラハムは祭物で失敗しました。
しかし、二番目にイサクを通じて勝利しました。
これは祭物をささげていない立場と同じだというのです。

一敗して一勝した、ヤコブを通じてもう一勝した、
そういうところに立って、初めて
祭物の献祭に勝利した立場に立ったというのです。


私たちが神の前で約束したということは、
一つの祭物をささげるのと同じことなのです。

私たちはこういうことが分からないので、
悔い改めてそれで勝利したと思っていますが、
本当は勝利ではありません。

五年、七年、十年たっても、結局行っているところは
元の点でしかないのです。
ですから常にサタンは、執拗に
私たちを神の前に帰そうとしないというのです。


あるAという人と仲が悪いとします。
そういう人を勝利していかなければならない私であると
教えられているのですが、なかなか和合ができません。

和合ができないから“あっ、それは悪かった、
仲良くしていかねばならない”と悔い改めます。
悔い改めた時は、勝利したような気持ちです。

ところが相手に会うと、
お祈りの中で心に決めたようにはなかなかうまくいきません。
それでまた駄目になってしまいます。

その原因を追求し、分析し、そしてその原因をとらえて、
悔い改め決意します。

そうすると同じことがまた再現されます。
再現された時に勝利して初めて、
その人と必ず和合してみせると決意したことが
成就していくというのです。


何にでも同じことがいえます。

ですから私たちは、普通こういう集会を通じて心霊が上がります。
その状態というのは悔い改めて決意したのですから、
勝負をつける資格を獲得した時点だというのです。


相撲して一敗したとします。

それからすぐには勝負しないでしょう。
まずその人の一番の長所を知って、
これに対して私はどうすればいいかということを考え、
そして練習します。

鍛えてその次に、二番目の勝負をつけるわけです。
そして勝った時になって初めて
最後の勝負をつける資格を獲得したというのです。

例にとって話したのですが、信仰でもそういうことがあります。
その点を十分に考え知っていかねばならないと思います。

 
ですから、恵みがあった後に
サタンの試験があるということはそういうことなのです。

恵みの後に、必ずサタンの試験があるということは、
恵みがある前に私は負けていたということです。
だから恵みが必要な人間であったということなのです。

恵みを受けた立場は、先ほど話したように、
象徴的に勝利しうる条件にしかならないのです。

そしてそのことが必ず再現されます。

そこで勝利して、勝負をつける資格を
得ることができるというのです。


ですから、恵みを受けてから試験を勝利した時に、
その恵みがそのまま自分のものにはなりません。

その恵みが本当に自分のものになるには、
もう一度試験に勝利しなければなりません。

大抵は恵みの後の試練に勝利した時点で、
その恵みが自分のものになったような気分になりますが、
皆さんは、今説明したことをまず頭に入れておいてください。


悔い改めたり、感激したという時は、心が非常に盛り上がります。

そうなれば信仰が一段高くなったように考えやすいのですが、
高くなったのではなく、高くなる象徴的条件となるのです。
それを考え違いをしている人が多いのです。

だから、そういう恵みを得ると、そこで満足しやすいというのです。
そこで満足してはいけないのです。
自分のものにはまだなっていないのですから。

(「悔い改めは出発の時と同じ」 
1975年11月2日 川崎・楚麗邑)


恵みと試練。。。

昨日紹介した徳野会長のみ言、
「小さい山の頂点に到達して、
次の大きな山に登るとき、
一度は山を降りなければならない」
そのみ言と通じるものがあると思いました。

私たちはロープウェイのごとく、
すぐに次の山に到達できると思ってしまいます。
しかし、一度降りなければならないのです。

真のお母様も今回、基元節7周年を中心として、
一つの節目を立てられました。

しかし、新たなる7年路程に向かって、
また一歩一歩踏みしめておられます。

私たちもそんなお母様に倣い、
新しい出発をする立場であると思うのです。






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2020年06月28日

新7年路程、更なる山を目指すためには  *信仰暦50年の徳野会長からのメッセージ 



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徳野会長のビデオメッセージ
最新版を紹介いたします。(要約)
題目は、「信仰の原点に返ろう!」です。


2027年までの新たな7年路程の出発に当たり、
私たちは今こそ、過去の7年路程を謙虚に悔い改め、
信仰の原点に立ち返る時であると思います。

そのために必要な信仰姿勢を、以下の3つのポイントでお伝えします。


[T]愛の減少感を超え父母の心情圏に立つ

1971年に入教した私は、信仰歴が50年になろうとしています。
振り返ってみると、この期間、多くの先輩、同輩、後輩が、
さまざまな試練を超えることができずに去っていきました。

その試練のほとんどが、「愛の減少感」に
端を発したものであったと私は思っています。
この試練は、どれほど偉大なリーダーであっても、
乗り越えるのは決して簡単ではないということです。


かつて真のお父様は、

「人事異動は人を成長させる。
 小さな山のてっぺんに立っている責任者が、
 さらに、内的にも外的にも
 より高い山に登ろうとすれば、
 一旦谷底に下りて、もう一度、
 登り直さなければならない」


と語られました。

高い山であればあるほど、その谷は深いのです。
より高い目標を掲げて勝利しようとすれば、
より深い谷底に一旦下りる、つまり謙虚になって
ゼロから出発しなければならないということです。


天使長ルーシェルがそうであったように、
愛の減少感は「比較」することから始まります。

もちろん、「比較」そのものは善でも悪でもありませんが、
比較することで傲慢になったり、自分を卑下したり、
人を恨んだりすることがあるならば、
それは信仰生活にとってマイナスです。

愛の減少感を感じたときほど、私たちは
天の父母様(神様)と真の父母様の心情圏、
すなわち父母の心情圏に立つよう努力しなければなりません。

そうしてこそ初めて、人の成功や幸せを心から共に喜ぶ、
あるいは不幸な人、失敗した人、試練の中にある人を
心から心配し、寄り添うことができるようになります。

愛の減少感の試練に勝利するには、
父母の心情圏に立つ、究極的にはこれ以外にないと思われます。


[U]真の父母様を愛した分だけ赦される

ルカによる福音書(7・36〜50)に、あるパリサイ人の家で、
一人の罪の女≠ェイエス様の足に接吻して
高価な香油を塗ったという話が出てきます。

その罪の女≠フすることを黙って許しているイエス様に
不信を抱いたパリサイ人のシモンに対して、
イエス様は「多く愛した者が多くの罪を赦される」と語られました。

多く赦されたと思う、その救いの実感の度合いに応じて、
より多くメシヤを愛するようになるという意味です。
私は、この聖句が信仰の一つの核心を示していると理解しています


私たちは真の父母様によって祝福を受け、
その恩恵によって罪を赦された立場です。

そのことに対する感謝、救いの実感の度合いが深ければ深いほど、
真の父母様に対する感謝の思いはより強く、深くなるでしょう。
その結果、真の父母様をより多く愛するようになるのです。

新たな7年路程の出発を迎えた今こそ、
「自分は、このみ旨の道に来て、救われたという実感を
どの程度、持っているのか。どれほど感謝しているのか」
を吟味し、自らの心の世界を総点検して整理する
絶好のチャンスであると思います。

改めて、このみ旨の道に来て得た救いの恩恵をかみしめ、
真の父母様を心から愛する私たちとなっていきましょう。


[V]み言を愛し、天寶入籍勝利家庭を目指す

では、「真の父母様を愛する」とはどういうことでしょうか。

1つ目は、「み言を愛する」ことです。

真の父母様の血と汗と涙の結晶であり、
サタンとの壮絶な闘いの戦勝記録と言われるみ言は、
私たちが神様に至るための命の道であり、
正しい本然の道を進んでいく道しるべです。

そのみ言を学ぶことが、真の父母様を愛することになるのです。

特に力を入れて学んでいただきたいみ言として、
私は、天一国三大経典、真のお母様の最新のみ言、
お母様の自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』の3つの教材を推薦します。

真のお母様の自叙伝については、
私たちが天の独り娘であるお母様をより深く、
より正しく理解するにおいても、また正しい真の父母観を
自らの中に確立するにおいても、非常に大切です。

最低、3回の精読をお勧めします。


2つ目は、「伝道する」ことです。

ヨハネによる福音書(21・15〜19)には、
イエス様がシモン・ペテロに
「あなたは私を愛するか」と3度問うシーンがあります。

シモン・ペテロがそのたびに「はい、愛します」と答えると、
イエス様は、私を愛するなら
「私の羊を養いなさい」と言われました。

この聖句からも分かるように、真の父母様を愛するということは、
真の父母様の羊を養う、つまり「伝道する」、
すなわち「信仰の子女を立てる」ということです。

これが天の父母様と真の父母様の、私たちに対する切実な願いなのです。

 
神日本家庭連合においては今、真のお母様の自叙伝を
1家庭が43冊配布することを奨励しています。

お母様の自叙伝は、伝道における最高の天の武器です。
最大限に活用して、神氏族メシヤ活動における
430家庭の中の核心的な基台としての43家庭を、
一刻も早く立てていきましょう。

現時点で、日本における天寶入籍勝利家庭は200家庭です。
真のお母様の日本に対する第1段階としての願いでさえ2000家庭ですから、
あまりにも申し訳ない実績ではありますが、
着実に2000家庭に向かって全国で頑張っています。

どうぞ、真の父母様の願いをしっかりと受け止めて、
伝道を爆発的に勝利し、一刻も早く2倍化、3倍化していきましょう。

そして、神日本において揺るぎない救国救世の基盤を築いていきたいと思います。
改めて信仰の原点に返って、共に頑張ってまいりましょう! 

(中和新聞)


50年の信仰歴を持たれる徳野会長が、
ご自身が経験された中で、
感じてこられたエキスをアドバイスしてくださいました。

その中心が「愛の減少感を超える」ということです。
徳野会長も多くの責任分担を通過され、
恩恵ある立場にあると思いますが、
それだけ多くの困難も経験してこられたことでしょう。

「愛の減少感」は人類の共通の課題だとも言えます。
人間関係に起きる様々な問題も
究極的には、ここにつきるのではないでしょうか。

そして、この課題を克服する究極の答えは、
「父母の心情圏」に立つ、と語られています。

真の父母様が「愛の減少感」の真の勝利者です。
ですから、真の父母様とともに乗り越えることを通して、
より真の父母様に近づくことができると思います。

時代的な勝利圏は拡大していても、
私自身の信仰の壁を克服するのは、
持続しています。

真のお母様も大きな山を登り切られ、
新たな山を目指しておられます。
そして、私たちも共に行くことを
願ってくださっています。

生涯現役の信仰の道。
信仰を重ね、年を重ねても、
すべてを捨てて、謙虚に、感謝していくためには
真の父母様と一つとなるしかありません。

真の父母様をしっかりと見つめ、
乗り越えていきたいと思うのです。








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posted by ten1ko2 at 12:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする