橘先生のエッセイ「夫婦愛を育む」
今回は、『幸せの基本を忘れずに』です。
☆
ラジオをオンにして食事の準備をしていると、
「褒める」をテーマにリスナーからの投稿が読まれていました。
中には思わずほほ笑まずにはいられないエピソードも。
娘さんが幼かった頃、パパが何かすると
「パパ、男前〜!」と言っていたそうです。
誰にそんなせりふを習ったのかは分かりませんが(想像はつきます)、
その一言でパパのやる気は120%アップ!
光景が目に浮かびますね。
男性にとって称賛は「命のパン」と例えられるほど
大切な活力の源です。
愛娘からのは格別でしょう。
が、鍵はやはり私たち妻からの称賛です。
関係が安定しているからと気を抜かないで、
改めて毎日おいしい「パン」を心掛けるよう、
神様から自分へのメッセージかなとも思いました。
☆
そんな折、主人の食欲が今一つとなりました(時々あります)。
「疲れた」と言いますが、体力的な疲労だけでないかもしれません。
仕事が大変なのかなと内心思っても、
一般的に男性が自分から悩みを話すことは滅多にありませんし、
あれこれ心配されてはうっとうしいでしょう。
妻にできることは、食事に気を配り、
自然体で接しながら感謝や称賛の言葉を織り交ぜ、
話をしてきたら上手に聞くように努めます
(講座でお話ししてきた基本ですね)。
☆
そして、もう一つ大事なポイントが。
先回ご紹介した“肝っ玉母さん”こと小澤静江さん*。
元受刑者たちの“母”としてだけではなく、
妻として女性として、私が「お見事」と思ったことがあります。
余命宣告された夫が自暴自棄となり愛人をつくります。
複雑な思いを抱えながら、静江さんは、
愛人と暮らす夫の様子を見に行きました。
そこで目にしたのは、食事や洗濯物など身の回りのことを
かいがいしく世話してもらっている夫の姿。
「ああ、自分は全くそういうことをやってこなかったなぁ」
と振り返ります。
客観的に見れば、忙しくてその暇がなかったのは
無理からぬことです。
刑務所を出た人たちを突然社員として連れてきて、
面倒を丸投げされた静江さんは、
手探りながらも必死で彼らの世話をしました。
ひたすら夫を支えてきたのです。
彼女に非があろうはずがありません。
けれど、一人の男として彼が求めていた
潤いや癒やしを与えてこれなかった事実に気付き、反省するのです。
☆
そして彼女は、普通の人は思いつかないような行動に出ます。
なんと、社交ダンスを習い始めるのです。
3カ月後の発表会に夫を呼んで、
奇麗にお化粧し、ドレスを着て、
若い男性パートナーと華麗に踊る自分の姿を見てもらいます。
見違える妻の姿を見た夫から出た言葉は……。
「うちの女房はチョウチョのようだった」
インタビューでうれしそうにそう語る静江さん。
改めて自分を女性として見てもらえて、
慰められたのではないでしょうか。
妻がそんなに素敵だったとは、と
「もったいなくなった」夫の心が少し戻り、
仲が改善したそうです。
感嘆するとともに、(できる範囲で)
奇麗でいることの大切さを再認識させられました。
家にいることの多い昨今、この点も反省です。
夫婦愛を育む 124
幸せの基本を忘れずに
ナビゲーター:橘 幸世
(◆Blessed Lifeで連載中
書籍化『いちばん大切な人と仲良くなれました』)
幸せの基本を忘れずに
ナビゲーター:橘 幸世
(◆Blessed Lifeで連載中
書籍化『いちばん大切な人と仲良くなれました』)
☆
二つのエピソード
とても微笑ましいです。。。
男性も女性も、褒められること、
相手を喜ばせるために努力すること、
どれだけうれしいことかしれません。
要求したらキリがないですが、
相手に求める前に、
相手を喜ばせる努力をすることが重要ですよね。
世界日報の43とも倶楽部(ヨミトモクラブ)
というのがあります。
記事を読んで、感想を言い合い、
そのコメントに対して、褒めあうのです。
今日、『夫婦43とも』『家族43とも』
これがとてもいい、と伝道教育ニュースで紹介していました。
私たちの教会でも
伝道メンバーと『43とも』を何度かしています。
やはり、褒めあう、というのはいいですよね。
当たり前のことではありますが、
近い人間関係ほど、
褒めあう関係、賛美しあう関係ですよね。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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