秋の行楽シーズンを迎え、
山登りを楽しむ機会もあることでしょう。
人生は登山に例えられますが、
真の父母様は、人類歴史を背負っていかれました。
史吉子先生の「原理に関するみ言の証」と、
真の父母様のみ言を紹介します。
☆
ある日、私たち食口がお父様にお供して、
白雲台に登りました。
その時、お父様が杖を持って、
お父様が立っておられた所を中心に、
一回りぐるっと回りながら
円を描かれました。
そうしながら、
「先生もこの蕩減という枠の中から、
一歩も抜け出すことができない」
と言われました。
史吉子先生「原理に関するみ言の証」より
☆
真のお父様のみ言
「きょうあなた方は、
『蕩減』という言葉に対して、
お詫びをしなくてはなりません。
『蕩減さん、私はいつもあなたを軽蔑してきました。
私はあなたを嫌ってきました。
しかし、あなたは私の最良の友です』
と、あなた方は蕩減と仲直りしなくてはなりません」
(1980年7月1日)
☆
真のお母様のみ言
神様の摂理歴史は、蕩減を経ずしては
発展がありません。
それは皆様が『原理』のみ言を
きいた人ならよく分かるでしょう。
蕩減は悪いことばかりではありません。
未来を約束してくれるものでもあります。
蕩減復帰摂理は、簡単に来るものではありません。
大きく段階的に蕩減を払っていかなければ、
発展していくことができないのです。
☆
今日から教区のスタッフ研修があり、
明日には、登山も予定されています。
歩いて登る人、そしてケーブルカーで行く人もいます。
以前、みた夢を思い出しました。
修行している人たちが、白装束を着て、
勤行(ごんぎょう)を唱えながら、山を登っています。
そこをなぜだか、私は、新幹線に乗って、
山を登っているのです。
このような、ちょっと、不思議な夢です。
今、私たちは、真の父母様が、
荒れ地を開拓し、整理してくださったので、
困難な道も簡単に通ることができる。。。
また、かつては登っても登っても、見えなかった
山頂を見ることができる。。。
そのような時代に入っているということを
改めて、真の父母様に感謝していきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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