神明先生のエッセイ、今回は、
『二人の主人に仕えざるをえない状況に置かれて』です。
☆
聖書には「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない」
(マタイ6・24)とありますが、
UTS教授時代に二人の主人に仕えざるをえない状況に
置かれたことがありました。
UTSで教鞭を執り始めてから4年弱が過ぎた、
1988年の12月のことです。
突然、真のお父様から私個人に対する直接人事がありました。
教会の仕事をするようにということだったのですが、
それは、当時の米国教会の最高指導者である
韓国人のP先生(430家庭)のトップ補佐役として、
伝道その他の教会活動を指導するフルタイムの仕事でした。
ところが、その頃までに私はUTS総長(韓国人、36家庭)から
大きな信頼を受けるようになっていたようでした。
私がUTSになくてはならない存在だという理由で、
総長は絶対に私のそのような教会人事はあってはならない、
と真のお父様に強く訴えたのです。
しかし、いったん人事の決断を下された真のお父様はそれ以上は干渉されず、
結局、私は二つの違ったフルタイムの仕事を、
二人の違った主人の下でやることになってしまったのです。
教会のP先生からは一週間に少なくとも5日は
ニューヨークで教会の仕事をするように言われ、
UTS総長からも一週間に5日はUTSで働くように言われるという、
物理的には考えられないような状況に置かれました。
それで、車で2時間はかかる、ニューヨークと
UTSのあるベリータウンの間を、行ったり来たりしました。
一日に2往復することもありました。
二人の主人は強烈な性格の方々で、
お二人で打ち合わせのための交流は、何もしていませんでした。
ある日のことです。
総長を中心として重要な決定をする朝食時の会合が、
UTSで開かれることになりました。
ところが、急にニューヨークで、
P先生を中心とした超重要な教会指導者の会合が、
同じ朝に開かれることになったのです。
両者を比較すると、摂理的にはどうしても
ニューヨークの会合のほうが重要だと思われたので、
ニューヨークに行くことにしました。
私は、早起きの総長に午前3時半頃、電話をして、失礼ながら、
UTSの朝食会合には出席できない旨をお伝えしました。
すると、総長は気分を害されたせいか、
問答無用ということで、
電話をガチャっと切ってしまわれたのです。
こんなに懸命にやろうとしているのに
総長から冷たくあしらわれた私は傷つきながら、
朝早く、ベリータウンからニューヨークまでの列車に乗りました。
暗闇を走る列車の中の薄明るい電灯の下で席にうずくまりながら、
今度はニューヨークに行ったら、
ニューヨークで完全に投入できないがゆえに、
P先生からも同じように責められることを知っているので、
惨めな自分の運命に泣きそうになりました。
そのときです。
突然、神様が私を訪ねてこられたのを感じました。
それは言葉では表せない不思議な体験でした。
神様が私を慰めるために来られたのか、
それとも神様ご自身の困難な事情を私に知らせるために来られたのか、
そのどちらであったのかは分かりません。
多分、その両方であったのだと思います。
私は自分の胸から頭にかけて、
更には頭を超えた所に神様が立っておられるように感じて、
畏敬の念から身をかがめながら次のような祈りを口にしました。
「私はどんなことがあっても、やはり頑張りたいです」と。
そして、さらに次のように祈りました。
「苦労してこられた神様! 確かにこの身の体は一つしかありませんが、
二つの違った場所に時空を超えて魂ででも飛んでいって
必ずや責任を果たしますから、どうかご安心して、見ていてください」と。
そのような固い決意を捧げたとき、
神様との強烈な心情的スパークを感じ、
しばらくのあいだ大粒の涙を流して泣きました。
不思議なことに、そのときの涙の味は神様から来る慰めの愛の味でもありました。
それは、二人の主人に叱責されたとしても、
もはや問題ではない、と思わせて余りあるものでした。
列車は、そのような私を乗せて、レールを走り続けました。
レールを走るときに出るゴトゴトという音が子守歌のように快く聞こえました。
そのときの神様との出会いは、誰にも言わずに、秘密としてしまっておきました。
もちろん、父母様に対しても秘密でした。
しかし、その後、折に触れて、真のお父様から声をかけられるようになるのです。
信仰エッセー:UTS時代の神体験
神明忠昭
神明忠昭
☆
「2人の主人に兼ね仕える」
アダム家庭を思い出しますが、しかし、神明先生の場合は、
「主人」が同じ神側の人物であります。
私自身も直接のアベルは、教会長ですが、
総務部長と伝道教育部長を兼任しているので、
それぞれ、教区の部長もおられて、
その方の指示も受けたりします。
でも、基本的には、教会長の指示が優先であり、
そのことは二人の部長も理解しています。
神明先生の立場は、どちらを優先していいか、わからないような、
本当に大変だったろうな、と思います。
ある意味、純粋で真っ直ぐな心情と信仰をお持ちの
神明先生であるがゆえに、適当にやり過ごさなかった・・・
だから、お父様から何かしら、声をかけられたのでしょう。
その答えは、なんだったのでしょうね。
残念ながら、次回のお楽しみです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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