2020年11月21日

平和を愛する世界人、釣りの世界でもNo1 になれた理由 《金元弼先生》





1976年に、日本で語られた
金元弼(キム・ウォンピル)先生のみ言
「神を慰める者となりましょう」より、
『誰が主人となるか』です。


昨年のことです。
海に出て、魚釣りをしたことがありました。

この魚釣りに関しては摂理的意義があったことは
御存じのことですので話しませんが、
ニューヨークの幹部の人たちを連れて出掛けられました。

もう本当に元気な人でもそれが十日、二十日と
何日も続きますと、先生が今釣っているのに
部屋の中に入ったり出たり、休んだりするのです。

この船の中で誰が最後まで残るのだろうか、
と心の中で思いながら、熱心に釣っていました。

ところが、その連れ立った者は全員くたびれて、
「海に行こう」と誘うと「何か用事がある」
と言って行かなかったり、行っても
疲れて休んだりしているというのです。

ずっと見つめてみたら、船長がいました。
その一人の人がいつも同じ顔ぶれなのです。
その人だけが残ったのです。

そこで先生は岸に着きました。
そうしたら彼は、まあこれで休むことになった、
と気を楽にしたらしいのです。

ところが先生は、陸に着いたらすぐにお食事を終わらせて、
すぐまた船に帰っていきました。
するとさすがのその人も、本当に疲れたということで、
もうよしましょう、ということになったというのです。


先生は、そういった人々に比べますと、
年を取っておられますが、
若者がいくら力を尽くしても耐えきれないという
その限界を超えるまでは、
御自分からはやめなかったというのです。

そのように、私たちから考えてみたら
くだらないことのように思うかもしれませんが、
先生は釣りをするにしても何をするにしても、
すべてのことに対して心を尽くし、
あるいは力を尽くされます。

誰にも耐えることのできない心をもって
尽くさなければならないと思われて対しておられるのです。


先生は、すべての国にたくさんの宣教師を送って、
命令だけをして黙っておられるのではありません。
先生は、世界の人々が心を尽くす以上の高い次元で、
休まず心を尽くしておられるのです。

家庭では誰が主人になるかといいますと、
主人は中心であり、親ですから、普通は親がなっています。

しかし、もし子供の中で、他の兄弟よりも親よりも
家庭を大切にし、家庭のために尽くす子供がいるとすれば、
その家庭の主人、その中心は、その子供になるわけです。
親があっても、親の責任を子供が果たしうるというのはそのことをいうのです。
幼い子供であっても、親がその家の中心になれずして、
あるいは兄さんがなれずして、末っ子の弟がなることがいくらでもあるのです。

同じように、み旨を知っている私たちは、
教会長だから教会の主人であると言います。
もちろん形状的にも性相的にも主人でしょう。
しかしもしその教会長が、中心でありながら、
その教会を大事にすることができなかったとします。
教会の人々も全部がそうであるとするならば、
その教会の主人は誰がなるでしょうか。
誰もなれません。
その主人は、サタンがなるというのです。

世の中でも、親兄弟がみんな家を大事にしないとしたら、
他の人がその家を大事にします。
下僕が大事にしたら、その家の主人は誰がなるのですか。
下僕がその家の主人になるというのです。
世の中には、そういうことがいくらでもあります。

教会長であるからこそ、誰よりもその教会を愛さなければいけません。
ところが、それをせずに、その教会を支えるために
教会長以上にその教会を愛し大事にする兄弟がいるとするならば、
その人によってその教会は支えられていくのです。

『伝統の源流−主と歩んだ教会創立以前の道』
金元弼
(「神を慰める者となりましょう」 
一九七六年四月四日東京教会)
※本書は、『信仰と生活第二集伝統の生活化』
を改題したもの


お父様の精誠の基準というものは、
本当に頭を下げざるを得ないものだと思います。

かつてアブラハムが象徴献祭に失敗したのは、
鳩を裂くのは、僕に任せたからだということでした。
牛や羊は裂いたのに、鳩は裂かなかった・・・
本当に小さなことをおろそかにした、というのです。

真の父母様は、大きな摂理を動かされる方ですが、
半面、コツコツと小さな精誠を積み重ねていかれました。

私たちも主人意識をもって、
精誠の積み重ねをなしながら
教会を愛するものになっていきたいと思います。




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posted by ten1ko2 at 07:14 | Comment(0) | お父様と海・釣り 自然・万物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする