2020年12月28日

(証し)「自叙伝は平和の武器」 感動が感動を呼び、43冊を種に大きく拡散!



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真のお母様の自叙伝が出版されてから、
もうすぐ10ヵ月、
日本語版が出てから9ヵ月となります。

多くの方が、まず43冊を目標に配布しようと
頑張ってこられたことでしょう。
そんな中、驚くような証しの報告がありました。


Y婦人はCIGメンバーとして
週2回は前線にも出られて歩んでいます。

聖和8周年に向けて「声をかける人の顔を
思い浮かぶようにさせて下さい。
そして今まで私が出来なかった事、
しなかった事も出来るようにして下さい」
と必死に祈る中、
「43冊は全うしたい」という決意が固まり、
友人の知り合いの方にも自叙伝の紹介をお願いしながら
8月中に43冊を配りきることが出来ました。

ところがその後、思いもしない出来事が起こったのです。


43冊配布の取り組みをしている中、
孫にあげる本を買うために偶々立ち寄った書店で、
書籍関係の仕事をされている方に出会いました。

すぐさま「自叙伝を置いて欲しい」とお願いしたのですが、
「これは統一教会の本だね」と難色を示し、
その場では良い返事をもらえませんでした。

ところが43冊を勝利した後、その書店の店主から連絡が入り、
渡した自叙伝を読んで下さって
「この本ならお店に置いても良いですよ」と言われ、
5冊を書店で買い取ってくれることになりました。

自叙伝を書店にお届けに行くと快く本棚に並べて下さいました。

すると、丁度その場にいたお客さんが
自叙伝を1冊購入されたのです。

すぐに声をかけお礼を言うと元食口の方でした。
連絡先などは聞けませんでしたが、
Y婦人は霊界の協助を強く感じたそうです。


続いて9月末には、自叙伝を渡した別の友人からも連絡が入り、
Y婦人の必死な姿に
「あんなに一生懸命なYさんの姿を見たのは初めてだから、
協力してあげて欲しい」とご本人の弟さんに頼んで下さり、
その弟さんの仕事関係の方、
また友人の職場の同僚の方を含めて
計59冊の自叙伝を購入して下さるという連絡が入りました。


更にそれだけで終わらず、また別に配布した知人に
自叙伝の感想を聞いたところ
「上に立つ人は強くないと、特に韓国の人はついて来ないわよね」
と真のお母様の芯の強さを感じると言われました。

Y婦人はまだ真のお母様の事を知らない人も多いので、
「1人でも2人でも読んでもらえる人がいないか
聞いてもらえないでしょうか?」とお願いすると、
その知人が取りまとめをしている趣味サークルの
上役の方に自叙伝を紹介して下さいました。

その方は自叙伝を読まれて非常に感銘を受けられ、
時期的にサークル会の年会費の残金を会員に戻すところでしたが、
残金の額が丁度自叙伝程度の金額だったこともあり、
会員に戻す会費の一部をこの本にしても良いかという
案内をネットを通じて流してくれたところ、
全国に約500人程度いる会員のうち380名の方から
了解を得られたとのことでした。

他の配布物と一緒に送る準備が整い次第、
発送されるとのことで連絡待ちの状況ではありますが、
43冊を種として書店に5冊、友人に59冊、
知人に380冊、計443冊の
自叙伝の購入をして頂けることになりました。

「自叙伝は武器だ」と真のお母様は言われましたが、
まさに自叙伝のもつ天運と
真のお母様と一つになることの尊さを、
改めて実感させて頂きました。

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本当に素晴らしい証しですね。。。

43冊を種として、多くの実りができたことも素晴らしいですが、
この婦人は、一歩先へとチャレンジしていますね。

配って満足しているのではなく、
「紹介してもらえないか」と
手渡した人に「伝道」してもらっているのです。

善なる人、というのは、紹介を願われると、
その如くにしてくださる、という利点があると思われます。

真のお母様は、
「この自叙伝で日本を生み変えなさい。
日本全体に大きな天の影響を与えるために
自叙伝を大いに活用するのです」
と私たちを激励して下さっています。

今年は、コロナの影響で、
年末年始に帰省できない方が多いと思います。
その代わりに、自叙伝を送るとか、
配布することを通じて、
私たちも奇跡を起こしていきたいですね。




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2020年12月27日

メシヤ26歳、18歳の金元弼先生との運命的な出会い! 《教会創立以前の道》  



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金元弼先生のみ言、一度し終えたので、
もう一度紹介しようと思います。

李ヨハネ先生の『信仰と生活』第1集とともに、
元弼先生の第2集伝統の生活化を
記憶している方も多いと思いますが、
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
として、再発行されています。

今日は、「平壌開拓の日々」より、
「先生との出会い」です。


文鮮明先生がソウルから北韓の平壌へ来られたのは、
1946年6月6日でした。

私が先生に出会ったのは、その年の7月17日でした。
46年といいますと皆様も御存じのとおり、
第2次大戦が終わった明くる年になるわけです。

その当時、先生は26歳の若さでありましたけれども、
私は、若いというような感じは全く受けませんでした。

私は18歳で、ちょうど高等学校(平壌師範学校)を
卒業して間もない時でした。
おば(金仁珠女史)はその年の6月11日に
先生と出会ったのでした。

先生は、天宙復帰という
歴史的に特別な摂理のためにやって来られました。

その時、先生はお生まれになったばかりのお子様を後にして、
み旨を慕って来られたということを知っていた者は
一人もおりませんでした。

先生は食物を得るために田舎に行かれたのですが、
その途中で「北韓に行ってみ言を伝えなさい」
という神様の指示を受けて、それに従ってその場からすぐ、
困難に耐えながら38度線を越えて来られたのです。


私が先生に平壌で出会うようになったきっかけは、
学校を出て自分の将来のことを相談するためにおばに会った時に、
文先生のことを話してくれたことからでした。

おばは私の将来のことよりも、
先生のことについて話してくれたのです。
というのは、先生に出会うことによって、
私の将来が運命づけられることを、
分かっていたからだと思います。

先生は、私がお会いする約40日前に、韓国の首都である
ソウルから平壌に上がってこられたばかりでした。

私のおばは、私よりも先に先生にお会いしていて
大きな恵みの中にあり、
その時は先生に関するお話がすべてでした。

おばは、平素から大変熱心な
キリスト教信者の家庭で育てられた人でした。
教会へ行ってはいましたが、
なかなか解決できないいろいろな問題を抱えていました。

そんな時に、先生を通してその問題についての
非常に根底的、根本的な解決を得ました。

それと同時に霊界からの様々な啓示によって、
先生に対する信仰を傷つけることなく信じてきたのです。

おばは、「南から上がってきた青年の先生がいますが、
この先生は神霊と真理によって礼拝し牧会している」
と、しきりに私に話してくれました。


その日は平日でした。

当時、「真理と神霊で礼拝する南韓から来られた若い先生がいる」
といううわさはたちまちのうちに広まりました。
真理を求めて霊能者あるいは求道者が
しきりに先生を訪ねてくるという時でした。

私は何も分からない幼い時でしたので、
先生に何も聞けませんでした。
質問することは全然ありませんし、
言われることを聞くだけでした。

それは何も分かっていなかったので、
質問することができなかったということです。


私を見て先生が最初にお話をしてくださったひと言が
今でも忘れられません。

先生は、「お前は非常によく瞑想するだろう。
 しかし瞑想するに当たって、
 その中心を求めて瞑想するようにしなさい」

とひと言、話してくださいました。

私は事実、たくさんのことを瞑想あるいは考えたりしました。
瞑想する時にその中心性を求めていくということに気が付かなかったし、
先生が教えてくださったことは、本当にそのとおりでした。

全然気が付かないでいる私を、
最初に行ったその時に先生は御存じでいたのです。
どうして先生はそのように私のことを分かって
話してくださったのだろうかと思います。

先生との出会い

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々


お父様が北韓に行かれたのは、
南での摂理が失敗したからでした。

神様は北韓の地において、
金仁珠先生、そして、金元弼先生。
貴い方たちを準備しておられたのでした。

霊的にあまりにも鋭いお父様は、
元弼先生が瞑想されていることに
「中心性を求めていく」ことを指摘され、
元弼先生の心を惹きつけられました。

18歳の金元弼先生。
その時のお父様は、26歳でした。

まだ、教会の名前も何もない時に、
歴史的な出会いをされ、
ここから、統一教会の道が開かれていったのです。

お若いころのお二人のやり取りを
改めて伺い知る中で、
今の私たちにも多く学ぶことがあると思います。

これから少しずつ、
過去の歴史をたどっていきたいと思います。






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金元弼先生

文鮮明師の第一弟子であり、3家庭の長として、
36家庭の祝福を受けられる。
韓国・統一教会初代理事長(1963年)、
日本・全国祝福家庭総連合会総会長(1991年〜94年)、
ノルウェー国家的メシヤ(1996年〜)などを歴任。
統一教会創立以前の平壌時代から
文師のそばで教会の発展に尽力され、
2010年4月7日(陽暦)に聖和されました(享年81)。
「祝福家庭長兄 天情奉身者」


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posted by ten1ko2 at 08:32 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月26日

「神明という名前なので、総長になることになっていた」 《UTS時代の神体験》



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神明(しんみょう)先生のエッセイ。
今回は、「総長になるまでの試練の10年間」です。


1984年の春に博士号を取得してから半年間の紆余曲折を経て、
辛うじて1985年1月からUTSで、
パートタイムの、しかも助教授ではなく講師として
教鞭を執り始めるようになりました。

そのとき私は、非キリスト教国家である日本出身の者にとっては
大変な道が待っていると予見したので、
次のように祈りました。

「どうか、これから少なくとも10年間は
どんな試練や苦労があったとしても、
愛と忍耐で全てを受け入れて消化できる人間にならせてください。
その後に何が起こるかは全て神様にお任せしますから」と。

すると、不思議にも、ちょうど10年後の
1994年5月にUTS第2代総長に任命されることとなったのです。


ところが、どんな試練や苦労でも受け入れます
という祈りが聞かれたせいか、
その10年間は正にそのような期間となりました。

例えば、神学の科目を教えると、
なぜ日本人が教えるのかという批判の目で見られたりしました。

また、カイン・アベルの問題などで悩んでいる
学生やスタッフがいると、
直ぐに飛んでいって面倒を見てあげましたが、
点数稼ぎのためにそれをやっているのではないかと
讒訴する人もいました。

(ある人は)私のところにやってきて、
「今後一切、学生の面倒は見ないで欲しい」とさえ言いました。

また、伝道の重要性などを訴えると、
日本出身の教授から出た
傲慢な言葉にすぎないと一蹴されたりもしました。

さらに、私よりも後輩である米国人食口教授が
いろいろな面で優遇されました。

そのような状況を受け入れて耐えながら歩んでいると、
真のお父様がイーストガーデンでの指導者会議のときなどに、
私は(そういう立場ではないので)不在にもかかわらず、
突然「神明」とか「神明はいるか」と何回か言われたそうなのです。

しかし、そのようなことがあると、逆に陰で、
私をUTSから追い出そうとする画策さえなされるようになりました。

幸いにも、そのころには総長が
私を心から信頼するようになっておられたので、
その画策は総長の特権で否定されましたが。


そのような中で、1990年に起きた事件は忘れることができません。

私が教えることになっていた得意分野の
「三位一体論とキリスト論」というキリスト教神学の科目が、
直前になって一方的にキャンセルされてしまったのです。

そのきっかけはというと、外部から来ている
年配のカトリック系の哲学教授が、
「ドクター・シンミョウは日本人であるし、
彼の博士号はプロテスタント系神学校からのものにすぎないので
教える資格がない」という一言でした。

それを当時のUTS当局は即座に受け入れてしまうのです。
本来なら、いったん教えることに決まった科目を
キャンセルするには、教授会の適正な手続きを経なければなりません。

さすがの私も傷つき、悔し涙を流しました。

そのときは、日本人であることを少し悲しみましたが、
そのような暗黒の中からでも、
「二千年前のイエス様のように、また現在の真の父母様のように、
怨讐を愛し抱いて、乗り越えていかせてください」
と決意の祈りを捧げました。

すると、彼らを包んであげたいという不思議な愛の思いが湧いてきて、
悔し涙がなくなり、それが愛の涙に変わりました。

そして逆に、日本人であるからこそ、
このように身を低くさせられて、
かえって深い霊的体験ができるようになるという恵みに感謝しました。


いよいよ1994年になって、そのような私は、
UTSの学生として学び始められた、ある真のご子女様の目に留まりました。
そのご子女様は、悪というものへの
私の対処のしかたに感動されたようです。

それをすぐに真の父母様に報告されたのが
一つの大きな原因となって、
その年の5月に突然、私がUTS第2代総長に任命されたのです

(その経緯は「こちら」で紹介しています)

UTSの次期総長は韓国人であると皆が思っていました。
有力な韓国人候補者が二人ほどおられたので、
日本人の私が総長になったことは大きな驚きでした。

しかし、そのころ訪米されていた統一思想の李相憲先生は、
「これからは、韓国人でなくとも実力があれば、
組織の責任者になれるんだね。おめでとう」
と祝福の言葉を下さいました。

「実力」なんてとんでもない、
私はただ愛と忍耐をもって困難に対処してきただけだ、
というのが私の正直な感想でした。

真のお父様はその後、私に向かって
「神明という名前なので、
 UTSの総長になることになっていた」

とおっしゃいましたが、それ以上は説明されませんでした。


ここで思い出されるのが、
16世紀に宗教改革を起こしたマルチン・ルターのことです。

彼は、自分の体験から、
人間が救われ難いほどに罪深いことを知っていました。

しかし、そのような罪人が人間的な自己主張をするのではなく、
神様の前に自分の全てを捨てたときに、
神様もご自身の全てを自己否定されて、
罪人のレベルまで降りてきて愛してくださる、
とルターは認識するようになったのです。

ここに、罪と恩寵という、一見、
矛盾する二つのものが共存するルター独特の神学が成立しました。

私たち日本人も、罪深い民族であると言われて
差別されることがあるかもしれません。

しかし、自己主張するのではなく、
全てを捨てて神様と共に他人を愛したときに、
神様の無限の恩寵が降りてきて、
周りが復興してくるのではないでしょうか。

それが、日本が最終的には神側のエバ国家、
母の国として選ばれるようになった
一つの理由でないかと思います。

(一部割愛させていただきました
文責:ten1ko2)

信仰エッセー:UTS時代の神体験
神明忠昭
(*ただいま「世界家庭」に連載中です)


神明先生、貴重な証しありがとうございました。

日本に住んでいる者としては、
日本人というレッテルで差別されることはないわけで
「鵜の中の蛙」とか、「温室育ち」
という状態なのかもしれません。

逆に、日本にいると、海外から日本に来た人たちの、
文化・習慣や考え方の違いを理解できず、
疎外してしまっていることがあるかもしれません。

国の外に出て初めてわかることもあるでしょう。
海外で歩む方たちは本当に大変だろうな、と思います。

しかし、私たちの一挙手一投足が
過去の歴史の蕩減復帰の道であることを思うと、
海外での歩みがどれほど貴いでしょうか。

若いころ、自分が本当に幼く、罪深いと考え、
「試練を感謝して受けるので、与えてください」
と祈った時がありました。

その期間は本当に苦しいことが多かったのですが、
乗り越えていく中で、一つの壁を突破したように、
心情的な飛躍を実感したことがありました。

やはり、試練のあとは恵みがくることは、
間違いありません。

神明先生のように、
目の前の人をただ愛することに
投入していく
そういうことが貴重だと思うのです。




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