2020年12月25日

「あの男は、かわいそうな男だったよ」 ☆クリスマスにイエス様の証し★



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クリスマスの今日は、
イエス様にまつわる以下の証しを紹介します。

草創期に導かれた777双
増田勝さんの証しです。
(一部、省略しています)


私がどのように真のお父様
に出会ったのかをお話ししましょう。

1965年1月に、真のお父様は日本に聖地を
決定されるために来日されました。
そのときが、私にとっての真のお父様との
最初の出会いでした。

真のお父様もうれしそうに、
元気にみ言を語り続けてくださいました。

満面に笑みを浮かべての説教でした。
一動作、一動作に
“こんなにもあなたたちを愛している”という、
真のお父様の世界を感じ取りました。


話が進んで、お父様が
「何か聴いてみたいことがある?」と、
私たちに問われました。

「UFOは存在しますか?」などと、
面白い質問が出ました。
中には、全くばかげた質問もありました。

そのとき、だれかが手を挙げて質問しました。
「イエス様はどういうかたでしたか?」。
この質問には深い意味が隠されていると思います。

そのときに、真のお父様がどのように答えられるか、
その答えが、私にとっては非常に大切な答えだったのです。

クリスチャンとしての私にとって、
イエス様は「救世主」です。
それは、統一教会に来てからも変わらないのです。
むしろ、既成教会にいたときよりも
大きな位置を私の中では占めていました。


そのとき、真のお父様は一瞬、天井を見られてから、
すぐに下を向かれました。

そのとき、答えはどのように発せられるのかと、
会場はシーンとなりました。

ボタボタと、水滴の落下する音がしました。
その後、再び真のお父様が真正面を向かれたとき、
それが、お父様の涙が床に落ちた音だと知ったのです。

そして、静かに語られました。

「あの男は、かわいそうな男だったよ」

この一言は、私と真のお父様との重要な出会いとなり、
絆を結ぶ言葉となりました。


しかし、この言葉は、
イエス・キリストを信じないで来た人、
その反対にイエス様を深く愛した
クリスチャンであるけれども、
「(統一)原理」を聴く機会を逃した者にとっては、
考えることのできない言葉です。

イエス様を「あの男」と言われたのです。
聞き方によっては、非常に乱暴な言葉でした。

でも、その言葉を聞いたとき、
震えるほどに私は感動したのです。
そして、“このかたはイエス様である”と思いました。

2000年の時を超えて、
“イエス様が、ここにお立ちになっておられる”
と思ったのです。

普通であれば、イエス様を三人称で呼ぶ場合、
「あのかたは…」と敬称をつけて言うでしょう。
ところが、真のお父様は「あの男」と言われたのです。
普通、会話で自称に敬語は使用しません。

真のお父様が、イエス様を「あの男」と言われたのは、
自称で言われたのです。

「あの男」と語られた真のお父様は、
イエス様を客観的に見詰めるのではなく、
十字架をご自分の痛みとして、
無念の心情を見詰めておられたのです。

だからこそ、「あの男は、かわいそうな男だった」
と言われたのです。

そのとき、時を超え、歴史を超えて、真のお父様は
イエス様を見詰めておられるからこそ、
私は“このおかたは、イエス様である”と思ったのです。

“イエス様の再臨として、目の前にお立ちになっている”
と思いました。

そのとき、名実共に、真のお父様はイエス様の再臨として、
私の心の中で合致したのです。

(一部編集、文責:ten1ko2)


改めて読み返しても、
お父様のイエス様に対する心情が偲ばれます。。。

お父様が初期のころに語られた説教は、
イエス様に関するみ言ばかりでした。
語れば涙、祈れば涙。。。

それなのに、お父様は、異端視扱いされ、
多くの迫害を受けました。
まさにイエス様と同じような道を行かれたのでした。。。

私たちもイエス様の心情を受け継ぎ、
真の父母様の心情を受け継ぐ者として、
正しく、そして堂々と証しをしていきたい、
そのように思わされるのです。






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2020年12月24日

☆クリスマスイヴに、イエス様とご父母様を愛した牧師の証し★ 《中村信一牧師》



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今日は、クリスマスイヴ。

私が学生部にいたころ、
学生部のクリスマス会に
中村信一先生(牧師)をお迎えしたことを思い出します。

先日も証しを紹介しましたが、
今日は、中村先生が家庭連合と出会った
経緯についての、興味深い内容です。



統一教会の青年たちとの出会い

超教派運動の実践として、わたしは朝食祈祷会(朝祷会)を始めました。
早朝、六時半から七時半まで、東京の青山会館で開いたのです。
その朝祷会は成功し、多いときは百人、
少ないときでも六十人は参加するまでに発展していきました。

ある日、その朝祷会に、不思議な団体の青年たちが参加するようになりました。
それが、統一教会の青年たちでした。

その青年たちは、一般のクリスチャンとはちょっと違った雰囲気を持っていましたが、
朝祷会の会長であったわたしは、参加したその青年たちを歓迎したのです。
それ以降、その青年たちの仲間が大勢、この会に参加するようになりました。

その後、小山田秀生先生や、松本道子婦人が参加し始めたとき、
参加者の中から「彼らは、物議を醸した統一教会のメンバーだ。
彼らには近づかないほうがいい」と言い出す人が現れました。

わたしはそのとき、参加者に次のように話したのです。
「何を言うか。キリスト教徒はそのような偏見を持って見てはいけない。
まじめな青年であれば、百人が参加しても歓迎しようではないか。
皆さん、彼らに拍手を送りましょう」

朝祷会に集まっていた人々は、統一教会の青年たちに拍手を送りました。
それから、さらに多くの統一教会の青年たちが、
朝祷会に出席するようになったのです。


統一教会の人たちの祈祷は、一種独特なものがありました。

熱心な祈り、時には壮絶とも言える祈りをささげるのです。
そこで、参加者の中からも、しだいに統一教会のメンバーが、
朝祷会に出てくることを敬遠する人が多くなっていきました。

「中村牧師、これはちょっと無理ではないか」。
「あまり統一教会の若者を歓迎しないでほしい」

このような声が、あるキリスト教の人たちを中心に上がるようになったのです。
そのときもわたしは、「超教派の精神に反する」と言って、
統一教会の青年たちの参加を認めました。

しかし、反対の声がさらに高まってきたため、
統一教会の青年たちとともに
別の朝祷会を開くようにしたのです。



「統一原理」に触れて


以後、統一教会員との交わりが深くなり、
わたしも教理に触れてみたいという思いになってきました。
統一教会でも、良き友を得たいという思いもあったことでしょう。

その両者の思いが重なり合ったとき、
渋谷の統一教会本部の二階で「統一原理」を聞くこととなったのです。

わたしは、二週間ほど本部に通って、勉強しました。

しかし講義を聞いても、キリスト教神学に慣れてきた者にとって
「統一原理」は、なかなか理解しにくいものでした。

ところで、これは後で聞いた話ですが、
講義をしてくださった方は、
スタッフとの雑談のなかで、
わたしのことを以下のように話しておられたそうです。

「この牧師は、無感動であって、
『キリスト教と違う』と言って怒るわけでもなく、
感心しているのか、反対しているのか分からない」


講師が、このような心情を抱いているなどとはつゆ知らず、
わたしは講義を聞いていました。

ところが、講義のなかの「終末論」のところで、
なぜか非常に感動したのです。

キリスト教の終末は、一般的に天変地異が起こることを意味しています。
ところが、「統一原理」での終末は、
“すべてのものが破壊されるのではなく、
新しい秩序がそのときから始まる”という内容でした。
それを聞いて、わたしは非常に感動したのです。

その後、家内もわたしもそれぞれ、場所と月日は異なりましたが、
統一教会の修練会に参加して「統一原理」を学びました。

わたしが参加した十四日間の修練会の講師は、
滝川さん(故、奈田壽美子夫人)でした。

この修練会を通して、統一教会に対してある程度、
理解することができるようになったのです。

「建者は破者を凌駕する」
中村信一牧師


そのクリスマス会の時、
中村先生を送迎させていただきました。

緊張していたし、昔のことなので、
どんな話をしたか覚えていないのですが、
ご自宅に送った時に、
おうちにあげてくださったのをよく覚えています。

お茶菓子を御馳走していただいた後、
色紙をプレゼントしていただきました。
今も大事に保管してありますが、
とても内外の器の大きい先生だと実感しました。

先生はみ言を聞いて、教会を受け入れてくださったのです。
そして、そのあと、お父様との出会いがありました。
また紹介いたします。





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 中村信一牧師略歴

1910年1月27日、新潟県北蒲原郡水原町に誕生。
1935年、同志社大学文学部神学科卒業。
その後、日本基督教団沼津教会、京都鴨東教会、弓町本郷教会で牧会。
終戦後、独立して超教派世田谷聖書教会を設立
(その後、日本基督和協教会に改称)
同教会主管牧師、日本超教派基督教協会会長、
彩墨創画会会長、文学博士、神学博士。
1997年11月4日、87歳で昇華(聖和)。

 

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2020年12月23日

平和の母の愛・・・頂いた服には、お母様の香りがした 《横井婦人の証し》



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光言社の書籍「真のお母様、感謝します」より
横井婦人の証し
『頂いたブレザーはお母様の香りがした』です。


1969年に祝福を受けてから十余年後、
真のお母様が来日され、
お母様に侍る機会がありました。

喫茶店に入ったときのことです。
私はお母様の真向かいに座りました。
すると、お母様が私の顔を見ながら、
「あなたの顔は男顔ね」とおっしゃるのです。

そして、「髪の両サイドとトップを
平べったくしないで、膨らませたほうがよい。
髪は短くしないで、耳の下に来るようにしなさい」
とアドバイスしてくださったのです。

30年以上、自分の顔とつき合ってきてようやく、
お母様がおっしゃるような結論を
自分なりに下したところでした。

私が30年以上かけてやっと出した内容を、
お母様は一瞬にして見抜かれたのです。
お母様の感覚の鋭さには脱帽するばかりです。


その後、真の父母様から、
日本の12人の地区婦人代表が
アメリカに招待されたことがありました。

そのとき私は、真のお父様のおそばにいながらも、
その場から消えてしまいたいというような、
惨めな心情になったのです。

それは、既成家庭の方たちがたどってこられた、
苦しい心情世界を体験したのだと思います。

そのような心情的な限界に陥ったとき、
お母様が突然、私を呼んでくださったのです。

イーストガーデン(ニューヨーク)のお母様のお部屋の前で、
「あなたは確か13号だから、きっと合うはずよ」と言われ、
冬物のブレザーを下さったのです。

お母様はそのブレザーを私に着せてくださいました。
お母様の香りがしました。

お母様は、霊的に明るく、すべてのことを
察知される方であることを実感しました。


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真のお母様、感謝します
心を打つ50の証し
「頂いたブレザーはお母様の香りがした」
横井捷子(12双(43双))


お母様の霊的な鋭さには脱帽ですね。。。
親の愛で見つめてくださるので、
心情をよく察知されるのでしょう。

先日、本部教会に所属している友人が
横井婦人について、こう証していました。

「日曜礼拝の時、誰よりも早く教会に来て、
祈りを捧げている。
やっぱり先輩家庭は違うな」

お母様が霊的に明るいとわかる、ということは、
横井婦人ご自身もそうなのでしょうが、
普段からの信仰の姿勢に表れていると思います。

神様、父母様を愛し慕うところから、
霊的にも明るくなっていくのかもしれません。

真の父母様に似る者になるべく、
霊的な感性をもっと磨き、
真のお母様の服のように
真の愛の香りがするような私たちに
なっていきたいと思うのです。






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