「世界の教会員を教育した世界的講師」として
blessed lifeに寄せられていた
周藤先生の証しより抜粋して紹介します。
☆
「神様を見せてくれたら教会に行こう」
大学生の時、クリスチャンの友人が
一生懸命に教会へ来るよう誘ってきた。
「いいよ。でもその前に神様を見せてくれよ。
そうすれば一緒に行くよ」と周藤氏が言うと、
彼は無言になってしまった。
それから1カ月もたたないうちに周藤氏は
慢性腎炎を患い、大学を休学して
一年以上も床に就かざるを得なくなった。
☆
「ざんげ」に導かれ頬を伝う悔いの涙
そんなある日、神の癒やしについて書かれた本と出合った。
そこには末期がんから救われたとか、結核が治ったとか、
深刻な家庭問題が信仰によってきれいに解決したとか、
そのような奇跡の証しが載っていた。
最初は「こんなことがあってたまるものか」と
考えもしたが、繰り返し読んでいくうちに、
あることが分かった。
奇跡、神癒(しんゆ)の前には「ざんげ」があったのだ。
そして自分の中に悪と不純なものがあまりにも多くあり、
今まで真の意味において誰も愛してこなかったことに気が付いた。
悔いの涙が頬を伝い、枕に落ちていった。
☆
初めての祈りに応えられた神様
7日7晩、周藤氏の寝床と枕は涙でぐしょぐしょにぬれていたが、
自分の中の不正なものや不純なものが
悔い改めの涙によって洗い流されていくのを感じた。
7日目の晩、一冊の本を読みながら、
手を合わせて生まれて初めて神に祈った。
次の瞬間、冷水を浴びせられたような、
滝つぼにでも入ったような感覚になった。
そして右斜め上から白金色の光が差し込み、
全てを包み込むやいなや真っ赤な炎が脳天を貫いた。
何が起こったか分からず、周藤氏は
しばらくの間、呆然(ぼうぜん)としていた。
背中の所が何かおかしいので手を当ててみると、
腎臓の部分が振動していて、「癒やされた」と実感した。
そして次の日には病気がすっかり治っていたのだ。
☆
洗礼を受けてクリスチャンに
復学後、下宿部屋に聞こえてくる美しい讃美歌の響きに引かれ、
それを聞きに教会に通うようになり、
その後、洗礼を受けてクリスチャンになった。
☆
イエス様との出会いと、食い違う教え
あるイースターの日の朝、
半分起きて半分寝ているような状態の中で
不思議な体験をした。
朝日が差し込む杉の森で周藤氏が
一人祈っていると、声が聞こえてきた。
「目覚めよ、われ復活せり」
誰だ? きょうはイースターだ。
イエス様ではないか。
それからイエス様との交流が始まったのである。
イエス様からのメッセージは、
直接イエス様から来る場合と霊媒を通じての場合があり、
その記録はノート3冊分にもなった。
そこで問題が生じるようになる。
イエス様が語る内容と牧師の説教の内容が合わなくなったのだ。
悩んだ周藤氏は断崖絶壁や滝に打たれて大きな声で祈ったり、
ある時は生駒山(奈良県と大阪府との県境にある山)の中腹に登って
一晩夜を徹して祈ってみたりもしたが、答えは見つからなかった。
☆
1962年の夏、統一教会と出合う
答えの見つからない日々を過ごしていたある日、
大阪駅の出口の所を歩いていると、向かい側にいる女性が
のぼりを立てて「六千年の悪の世界が消えて
新しい神の光が差す時が来た!」と叫んでいるのを見た。
1962年の夏のことであった。
このようにして周藤氏は統一教会と出合ったのである。
後にこの証しを聞かれた真のお父様は、
「最初の神体験は君の旧約だ。
クリスチャンとなって新約を経た。
そして成約の統一教会に来たんだね」とおっしゃった。
☆
初めての街頭演説
周藤氏が初めて原理講義を聞いた翌日、
ある先輩に「一緒に出掛けよう」と誘われた。
どこに行くのか分からないまま30、40分ほどバスに乗ると、
人通りが多くて有名な新宿駅に着いた。
「食事かな? それとも映画かな?」と思ったが、
そのどちらでもなかった。
その先輩は最も人通りの多い交差点へ行って
街頭演説用の看板を取り出すと、
身震いするほどの大声を出して、
腕を振り上げながら演説を始めた。
そんな先輩の姿を、「街頭演説の仕方を
見せようとしているのだ」と気楽に見ていた。
しかし演説をやめ汗びっしょりになりながら、
「さあ、今度は君がやりなさい」と言ってきた。
周藤氏は驚きのあまり「このまま走って逃げてしまいたい」
「こんなことをするくらいなら教会を辞めたい」と思った。
完全に窮地に立たされたのだ。
死んだも同然の思いで恐る恐るその場所に立ち、
その先輩が演説したのと同じように叫んだ。
「親愛なる新宿の兄弟姉妹の皆さま!」
驚いたことに、考えてもいなかった言葉が
口からすらすらと流れ出てきた。
自分でも何を言っているのか分からなかったが、
「これはすごいことだ」と自分が感じているということは分かった。
とても幸せを感じて、その日以来
ほとんど毎日、街頭演説をするようになったのだ。
☆
立正佼成会会長秘書の原理講義を担当する
1962年8月、当時立正佼成会で会長秘書をしていた
久保木修己氏(日本統一教会初代会長)が初めて教会を訪れた。
久保木氏への原理講義の担当に周藤氏が選ばれたが、
周藤氏は当時、二人の婦人と女子学生に講義をした以外には
誰にも講義をしたことがなかった。
そのような中で行った原理講義だったが、
久保木氏は驚くほどの純粋な心で、
幼子のようにほとんど全てを受け入れた。
講義をしていると、久保木氏の心は
まるで白い紙のようで、そこに周藤氏が
原理を書いているかのように感じた。
その目はキラキラと輝いていた。
☆
決死の覚悟で挑戦した英語による講義
1974年、教会を強化して第3次7年路程(1975〜1981)を
勝利するため、アメリカの全食口を
再教育することを目的とした修練会が行われた。
アメリカ全土からリーダーと食口(統一教会員)を集め、
全面的に教育をした。
周藤先生は真のお父様の指示により、
その修練会の講師を担当するようになる。
言葉の問題がある中で、
「とにかく始めなければ始まらない。
良い悪いは第二、第三。
やることが第一だ」と決意を固め、
断崖絶壁から飛び降りるような思いで
英語による講義に挑戦した。
☆
死ぬつもりで飛び込んでみると…
アメリカでの初めての講義。
アメリカの食口たちは、どんな人が来るのかと
怪訝(けげん)そうな顔で見ていた。
そんな食口たちとの霊的な壁を
何とかして破らなければと考えた周藤先生は、
あるあいさつを始めた。
「Can you hear me?(私の声は聞こえますか?)」
と尋ねて食口たちが答えた後にもう一つ付け加えて、
背の低い周藤先生は
「Can you see me?(私が見えますか?)」と言ったのだ。
そうすると大笑いが起き、
互いの間にあった霊的な壁がぶち破れた。
急に殻が破れて、心配していたことが
ボロボロと消えていく雰囲気を感じたのだ。
「大変だと思い死ぬつもりで飛び込んだが、
飛び込んでみれば案外楽だった」と、
後に周藤先生は語っている。
(参考:中和新聞、
U-ONE TV「周藤健先生自叙伝 真の父母と共に歩んだ人生」)
日本統一運動史〜人物伝 4
「世界の教会員を教育した世界的講師」
(blessed lifeより抜粋)
経歴、講義した主な修練会一覧は下記
U-ONE TV「周藤健先生自叙伝 真の父母と共に歩んだ人生」)
日本統一運動史〜人物伝 4
「世界の教会員を教育した世界的講師」
(blessed lifeより抜粋)
経歴、講義した主な修練会一覧は下記
☆
旧約、新約、成約の道を歩まれた周藤先生。。。
下記参照の通り、講義を通じて、日本だけでなく、
海外においても多くの人を生かしてこられました。
ウェスタンのメンバーに講義をしている写真、
よく見ると、演台の後ろに段を二つ置いていますね(笑)。
私も1990年代、済州島修錬会で
2週間、講義を受ける恩恵に預かりました。
そこで受けた珠玉のみ言は、
今も自分自身の講義に活かされています。
しかし、そこでの感動、魂の波動は、
どれだけ相続できているか、と考えると
足りないばかりです。
お父様が「周藤!」と呼ばれると、
「はい!」と対される周藤先生のお姿は、
まるで本当の息子のようでしたね。
U-ONE TVに先生の証しが網羅されています。
文字起こしは大変ではありますが、
機会を見て、紹介させていただきます。
周藤健(すどう・けん)先生は、2001年から2013年まで日本の世界基督教統一神霊協会(現・世界平和統一家庭連合/以下日本統一教会)副会長を務められました。
1960年代は日本国内で行われる修練会で講師を務められ、1973年に日本宣教師の一人として渡米して以降は、世界の教会員の教育に責任を持たれました。
ニクソン政権時代、カーター政権時代、レーガン政権時代のアメリカで真の父母様と共に歩まれ、1974年〜1976年には十字軍の責任者を歴任されました。
アメリカで歩んだ時代においては講義やみ言の教育に没頭し、メンバーからは「寝ない人」というあだ名を付けられたほどでした。
2020年に天寶入籍勝利家庭となられました。
以下は、周藤先生が講師を務めた主な修練会の名称である。
・1962年12月10日〜1963年1月20日、40日修練会
・1963年3月1日〜4月10日、第1期特別修練会(30期まで運営と講師を担当)
・1975年、日本で行われた宣教師の修練会
・1990年ごろ〜、世界の約40カ国で原理講義
・1992年4月21日〜1993年12月1日、日本統一教会氏族的メシヤ修練会(韓国・中央修錬院)
・1992年6月18日〜、日本教会員修練会(韓国・済州国際研修院)
・1993年6月7日〜、アラスカ女性修練会
・1993年10月6日〜12月22日、5万名日本女性幹部特別修練会(韓国・済州国際研修院)
・1994年3月10日〜11月20日、日本女性幹部特別修練会(韓国・中央修錬院)
・4200名北・中・南米ボランティア派遣の日本女性に対する特別修練会(韓国・済州国際研修院)
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)