2020年12月26日

「神明という名前なので、総長になることになっていた」 《UTS時代の神体験》



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神明(しんみょう)先生のエッセイ。
今回は、「総長になるまでの試練の10年間」です。


1984年の春に博士号を取得してから半年間の紆余曲折を経て、
辛うじて1985年1月からUTSで、
パートタイムの、しかも助教授ではなく講師として
教鞭を執り始めるようになりました。

そのとき私は、非キリスト教国家である日本出身の者にとっては
大変な道が待っていると予見したので、
次のように祈りました。

「どうか、これから少なくとも10年間は
どんな試練や苦労があったとしても、
愛と忍耐で全てを受け入れて消化できる人間にならせてください。
その後に何が起こるかは全て神様にお任せしますから」と。

すると、不思議にも、ちょうど10年後の
1994年5月にUTS第2代総長に任命されることとなったのです。


ところが、どんな試練や苦労でも受け入れます
という祈りが聞かれたせいか、
その10年間は正にそのような期間となりました。

例えば、神学の科目を教えると、
なぜ日本人が教えるのかという批判の目で見られたりしました。

また、カイン・アベルの問題などで悩んでいる
学生やスタッフがいると、
直ぐに飛んでいって面倒を見てあげましたが、
点数稼ぎのためにそれをやっているのではないかと
讒訴する人もいました。

(ある人は)私のところにやってきて、
「今後一切、学生の面倒は見ないで欲しい」とさえ言いました。

また、伝道の重要性などを訴えると、
日本出身の教授から出た
傲慢な言葉にすぎないと一蹴されたりもしました。

さらに、私よりも後輩である米国人食口教授が
いろいろな面で優遇されました。

そのような状況を受け入れて耐えながら歩んでいると、
真のお父様がイーストガーデンでの指導者会議のときなどに、
私は(そういう立場ではないので)不在にもかかわらず、
突然「神明」とか「神明はいるか」と何回か言われたそうなのです。

しかし、そのようなことがあると、逆に陰で、
私をUTSから追い出そうとする画策さえなされるようになりました。

幸いにも、そのころには総長が
私を心から信頼するようになっておられたので、
その画策は総長の特権で否定されましたが。


そのような中で、1990年に起きた事件は忘れることができません。

私が教えることになっていた得意分野の
「三位一体論とキリスト論」というキリスト教神学の科目が、
直前になって一方的にキャンセルされてしまったのです。

そのきっかけはというと、外部から来ている
年配のカトリック系の哲学教授が、
「ドクター・シンミョウは日本人であるし、
彼の博士号はプロテスタント系神学校からのものにすぎないので
教える資格がない」という一言でした。

それを当時のUTS当局は即座に受け入れてしまうのです。
本来なら、いったん教えることに決まった科目を
キャンセルするには、教授会の適正な手続きを経なければなりません。

さすがの私も傷つき、悔し涙を流しました。

そのときは、日本人であることを少し悲しみましたが、
そのような暗黒の中からでも、
「二千年前のイエス様のように、また現在の真の父母様のように、
怨讐を愛し抱いて、乗り越えていかせてください」
と決意の祈りを捧げました。

すると、彼らを包んであげたいという不思議な愛の思いが湧いてきて、
悔し涙がなくなり、それが愛の涙に変わりました。

そして逆に、日本人であるからこそ、
このように身を低くさせられて、
かえって深い霊的体験ができるようになるという恵みに感謝しました。


いよいよ1994年になって、そのような私は、
UTSの学生として学び始められた、ある真のご子女様の目に留まりました。
そのご子女様は、悪というものへの
私の対処のしかたに感動されたようです。

それをすぐに真の父母様に報告されたのが
一つの大きな原因となって、
その年の5月に突然、私がUTS第2代総長に任命されたのです

(その経緯は「こちら」で紹介しています)

UTSの次期総長は韓国人であると皆が思っていました。
有力な韓国人候補者が二人ほどおられたので、
日本人の私が総長になったことは大きな驚きでした。

しかし、そのころ訪米されていた統一思想の李相憲先生は、
「これからは、韓国人でなくとも実力があれば、
組織の責任者になれるんだね。おめでとう」
と祝福の言葉を下さいました。

「実力」なんてとんでもない、
私はただ愛と忍耐をもって困難に対処してきただけだ、
というのが私の正直な感想でした。

真のお父様はその後、私に向かって
「神明という名前なので、
 UTSの総長になることになっていた」

とおっしゃいましたが、それ以上は説明されませんでした。


ここで思い出されるのが、
16世紀に宗教改革を起こしたマルチン・ルターのことです。

彼は、自分の体験から、
人間が救われ難いほどに罪深いことを知っていました。

しかし、そのような罪人が人間的な自己主張をするのではなく、
神様の前に自分の全てを捨てたときに、
神様もご自身の全てを自己否定されて、
罪人のレベルまで降りてきて愛してくださる、
とルターは認識するようになったのです。

ここに、罪と恩寵という、一見、
矛盾する二つのものが共存するルター独特の神学が成立しました。

私たち日本人も、罪深い民族であると言われて
差別されることがあるかもしれません。

しかし、自己主張するのではなく、
全てを捨てて神様と共に他人を愛したときに、
神様の無限の恩寵が降りてきて、
周りが復興してくるのではないでしょうか。

それが、日本が最終的には神側のエバ国家、
母の国として選ばれるようになった
一つの理由でないかと思います。

(一部割愛させていただきました
文責:ten1ko2)

信仰エッセー:UTS時代の神体験
神明忠昭
(*ただいま「世界家庭」に連載中です)


神明先生、貴重な証しありがとうございました。

日本に住んでいる者としては、
日本人というレッテルで差別されることはないわけで
「鵜の中の蛙」とか、「温室育ち」
という状態なのかもしれません。

逆に、日本にいると、海外から日本に来た人たちの、
文化・習慣や考え方の違いを理解できず、
疎外してしまっていることがあるかもしれません。

国の外に出て初めてわかることもあるでしょう。
海外で歩む方たちは本当に大変だろうな、と思います。

しかし、私たちの一挙手一投足が
過去の歴史の蕩減復帰の道であることを思うと、
海外での歩みがどれほど貴いでしょうか。

若いころ、自分が本当に幼く、罪深いと考え、
「試練を感謝して受けるので、与えてください」
と祈った時がありました。

その期間は本当に苦しいことが多かったのですが、
乗り越えていく中で、一つの壁を突破したように、
心情的な飛躍を実感したことがありました。

やはり、試練のあとは恵みがくることは、
間違いありません。

神明先生のように、
目の前の人をただ愛することに
投入していく
そういうことが貴重だと思うのです。




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