私の目に映った先生の姿は、
この世の人間の姿ではなかった。
神様が人の形となり
人間を救うため生まれた
メシヤだった
この世の人間の姿ではなかった。
神様が人の形となり
人間を救うため生まれた
メシヤだった
☆
今日は、36家庭の大先輩であり、
『統一思想』と『勝共理論』を執筆された
李相憲(イ サンホン)先生の証しです。
☆
私は儒教の家庭に生まれ、
1956年に43歳で入教しました。
その当時の新聞を見ると
統一教会の評判は良い方ではありませんでした。
評判が悪い時に私は統一教会に入ってきたのです。
私は新聞を見る時、噂が問題ではなく、
教え自体が真理か否かということが問題だという考えでした。
私を導いた人に引かれ、統一教会本部に案内され、
劉孝元(ユウ ヒョウウォン)協会長から原理を聞くようになりました。
私は学生の頃、共産主義運動に加わったことがあって
共産主義の唯物史観を知っていたため、
復帰原理を聞いたとき、これが統一原理の歴史観であることを悟り、
入会を決心したのです。
☆
私は統一教会に入教してから普段抱いていた
色んな疑問の骨格は解決していきましたが、
依然として細かい問題は原理だけでは
すっきりと解決されないままでした。
そこで先生に直接お会いし質問をしました。
先生は部屋に数名いる時は
全体に向かってみ言を語られましたが、
その内容は私の質問に対する
回答の内容である時が度々ありました。
思想的なみ言だったので一般の食口は
その意味を分かってはいませんでしたが、
私はきちんと理解できていました。
私が質問すれば、その質問に関して
ある時は単独で細かく説明して下さったりもしました。
☆
私が感激したことは、人生の難問題を
完璧に明快に解決して下さっただけでなく、
民族と人類に対し、また歴史上の多くの聖賢と義人と預言者に対し、
限りない憐憫の愛を抱いておられるということでした。
私の目に映った先生の姿は、
この世の人間の姿ではありませんでした。
この方は無限の知恵の宝庫を持っておられ、
無限の憐憫の愛を抱いておられる聖者であり、
神様が人の形となり人間を救うため生まれた
メシヤだったということです。
☆
私は心の奥深くで、とあることを誓ったことがあります。
それはこの方の思想を体系化させ、世界に広めようというものです。
まずこの方を全人類の前で
メシヤとして証しすることでした。
その理由として、私のように悩んでいた人間が、
この世界にいくらでもいるはずなので、
そのような人々を早く救ってあげなければならないと考えました。
☆
統一教会の草創期に感じた様々な事柄がありましたが、
そのうちの一つは、先生は絶対に個人に対し
命令はされないということです。
これは非常に印象的でした。
金誰々、李誰々に命令したいことがあれば
集会や礼拝の時に皆に向かって
「統一食口はこのようにしなければならない」
と一括して語られました。
なぜそうされたのかと言えば、直接命じられることは
直接主管を意味するからです。
実際、直接命令したとしても
その人がその命令通りに動けばよいのですが、
もしそう動かなければ、それが条件として引っかかるからです。
すなわち天の命令に従わなかったという条件が立てられ、
一生消えないという意味です。
未来において悔い改めて良くなったとしても、
その霊的履歴書には天の命令に服従しなかったという
汚点を残すようになるのです。
したがって、本人のためにも
直接命令をされないということを悟りました。
☆
直接命じたいときにどうされるかと言えば、
象徴的な表現を使われたのです。
その一例を取り上げてみましょう。
ある大学教授が入教し、自分の素晴らしさを
表したくて偉ぶっていました。
ある日の夜、先生はガラスのコップを小麦粉で一杯にし、
その上から水を注がれました。
当然水は全部溢れて流れました。
全員「何故先生はあのような事をされるのだろうか?」
と変に思っていたのです。
器というのは、その中に何かが入っていれば、
他のものはそこに入りません。
同じように真理を受け入れたいのならば、
心を全て空っぽにしなければなりません。
心を空にしないで、知識をそのまま備えているだけでは、
いくら偉大な天の真理だとしても入ってはいかないのです。
このことを直接み言で語られる時
そのまま聞き入れれば良いのですが、
聞き入れられないのならば条件に引っかかるため、
象徴的に、比喩的に、そのように
ガラスのコップを小麦粉で満たし、
その上から水を注ぐ方法で
悟る者だけが分かるようにされたのです。
☆
また仮説的、未来的な表現も良く使われました。
もし誰々がこのようにすればこのようになるという表現法、
英語でいえば「If」に当たります。
例えば金という者がいて、先生がその者に命じる時、
「もし金誰々が伝道に出るとすれば
立派な伝道をしてくるだろう」
と語られるのです。
それは命令ではありませんでした。
後に私はその人に会ったとき、
先生がどうしてそのような表現をされたのか
分からないと言うと、彼曰く、
それは「伝道せよ」という命令なのだということでした。
その時私も悟ったのです。
このように象徴的、可能的、未来的に語られることで、
「今後このようになるからこれに対し準備せよ!」
という意味を伝えておられたのです。
私が何故このような例を語るのかと言えば、
統一思想に関しても、
このような未来的表現で命令されていたことを、
私も最初はわからなかったということを明かすためです。
文責:ten1ko2
☆
私たちは直接お父様に接したことはありませんので、
とても貴重な証しであると思います。
李相憲先生の思想的な深い質問を
お父様が全体のみ言の中で
語っていかれる、そのやり取りを想像したとき、
李相憲先生も感銘を受けたでしょうが、
対するお父様がどれほど感激しながら
み言を語っておられたことでしょうか。
そのようにして、李相憲先生を
訓練していかれたのだと思います。
また、真のお父様が人を立てるためには
おそらく初期の頃は、命令するというのではなく
その人自身が自発的に決意した条件を立たせるため、
悟らせることが多かったのだと感じさせていただきました。
それが、人を愛していくこと
導いていくことの基本のありかたなのかと思います。
子どもにも、命令しても心は動かず、絶対にやりませんから。
とても根気がいりますが、お父様はすべてに
責任をもってくださりながら、
私たちを、育てつつ、摂理を進めて来られたのだと思います。
統一原理はお父様が原理原本を土台として
解明されたものでありますが、
原理講論は劉孝元先生が書かれました。
また、李相憲先生がまとめられた勝共理論、
統一思想もお父様のみ言を中心としたものです。
しかし、お父様ご自身でなく、
弟子が書いた条件を立てさせないといけなかったのだと思います。
皆様も聞いたことがあると思いますが、
原理講論には、間違っている部分がいくつかある、と言います。
しかし、お父様は「それでいいんだ」と語られました。
100%完璧なみ言であったら、
原理講論を否定し、批判した人は、
審判を受ける、といいます。
また、弟子が書いたものですから、
不信しても蕩減を受けることはないのです。
独り息子として来られた、
真のお父様の深い配慮があることを、
心から感謝していきたいと思うのです。。。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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