2021年01月31日

一人一人に対して真心で接していかれる真の父母様 100匹の羊 《9年前の礼拝説教》



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今年は、東日本大震災から10年が経ちます。

その翌年に語られた礼拝説教より、
【人の子は滅びる者のために来られる】
を紹介します。

聖書拝読:マタイによる福音書18章11〜14節
 
「人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。あなたがたはどう思うか。ある人に100匹の羊があり、その中の1匹が迷い出たとすれば、99匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる99匹のためよりも、むしろその1匹のために喜ぶであろう。そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない」

 
昨年(2011年)3月11日に東日本大震災が起きて、
死者・行方不明者が2万人近くに上りました。
津波によって一瞬で2万人もの人の命が失われたのです。

こうしたことや、今の世界や国内の情勢を通して、
多くの人が私たち以上に何かしらの
不安感や恐怖感を抱いているといいます。

仏教でいう末法、キリスト教では終末、
世の終わりを感じさせられる出来事が次々と起こっています。

正に終末の中の終末。
原理で言われるサタン主権と神主権が交差する時に来ているのです。

サタン主権の世界が終わり、神主権の時代が始まります。
主権交代、これが終末の本質的な意味です。


今年の愛勝日に真のお父様は、
私たちが真の父母様に似た者となっていないことに対して
激しく叱られました。

これからの時代、神様を中心とした意識、生活に
変えていかなければなりません。
私たち自身も変わらなければなりません。
しかし、人格を一気に変えるということは容易なことではありません。

キリスト教の土台をつくった人物に、パウロという人がいます。
彼はキリスト教徒を弾圧し、迫害した人物でした。
そのようなパウロがイエス様と霊的に出会うことによって回心し、
熱烈なクリスチャンになりました。

パウロほど著しく人間性が変わった人はいません。
キリスト教徒を激しく弾圧していた人物が、
誰よりも熱心なキリスト教徒になったのです。

今年は、私たちもパウロのように
大きく変わらなければならない年となるでしょう。


自分を変えるのは簡単なことではありませんが、
それにはポイントがあります。

苦手なこと、嫌いなことを行うのです。
苦手なこと、嫌いなことを行うことで、堕落性を脱ぐことができるのです。

北谷教区長(当時)は、「生活チェック表を使って、
毎日生活チェックを行ったらいい」と指導されています。

妻であれば、どこを変えたらよいかを
夫に聞いてみたらいいと言うのですね。

挨拶一つでもいいのです。
掃除をしながら、道行く人に声を掛ける。
地味な実践です。
生活のなかで、心を込めて相手のことを思って実践するのです。


真のお父様は、ダンベリー刑務所の中でも
囚人たちを伝道されました。

お父様は、「先生はみ言では伝道しなかったよ」と言われました。
生活を通して伝道されたのです。
囚人たちはお父様の生活姿勢を見て感動し、伝道されたのです。

私たちもみ言を伝える前に、生活の中で
行動を示していくことが大切です。
真のお父様が「私に似なさい」と言われるのは、
そういうことではないかと思います。

真のお父様は、「人生で最高の実績を立てよう」
と語られました。
今年は自覚を持って出発していただきたいと思います。


私はこれまで、多くの青年を指導してきました。
青年を指導する時にとりわけ意識してきたことがあります。
それは、必ず伝道対象者をつくるということです。

青年たちに、自分の伝道対象者がどのような人なのかを聞くのです。
そして、対象者を成長させるにはどのようにしたらよいかを話します。

対象者に真心で尽くしていくうちに、
自分が変わっていくのです。
成長していくのですね。

自分が変わるためには、自分にとって接しやすい人は
あまり良くありません。
堕落性を脱ぐことができません。

気の合う人とだけ付き合っていても、
人格を磨いたりすることはできないのです。
蕩減という言葉の意味が分からないと、
このことは理解できないと思います。


最初に拝読した聖句は、マタイ福音書18章11〜14節です。
100匹の羊がいて、その中の1匹が迷っていなくなったとすれば、
残りの99匹を置いておいても、迷っていなくなった
1匹の羊を捜しに行かれる方が真の父母様なのです。

真のお父様は、生涯をかけて築き上げた基盤を全て失い、
私たちには考えられないほどのご苦労をされました。
それゆえに、人が大切であるということを
誰よりもご存じで、
一人一人に対しては真心で接していかれる方です。

会合などで全員が集まっているにもかかわらず、
誰か一人が来ていなかったことがあって、
「先生が怒った彼は、今どうしているのか尋ねてきなさい」
と言われたことがありました。

一人を心配されるのが真のお父様なのです。
苦しくつらい時でも先生についてきた食口を忘れることができず、
離れてしまった食口に似た食口が入ってくれば、
その食口を愛されたように愛されるのがお父様なのです。


私は40年にわたる信仰生活の中で感じたことがあります。
それは人間の見方と神様の見方は違うということです。

この人は良い人だなあと思う人と、
神様が信頼する人は必ずしも一致しないということです。
人間的な目で判断すると、間違いを犯してしまう
可能性があるということです。

ですから、どんな人でも分け隔てなく
大切にしなければなりません。


皆さんをこの道に導いたのは神様です。

今年は天一国創建に向かって最後の峠を越えていく時です。
自分なんて必要ではないのではないか。
そんな思いを持っている人がいるとすれば、
実はそういう人のために真の父母様はおられるのです。

「小さい者のひとりが滅びることは、
天にいますあなたがたの父のみこころではない」

と聖書にあるように、神様が私を信頼して
責任を持ってくださっていることに
気づいていただけたらと思います。

今年一年、私を見つめてくださっている神様を意識して
生活していただきたいと思います。

人の子は滅びる者のために来られる
愛澤俊男
 <2012 夏季 牧会者説教集 P.129〜132>
説教ブログより
一部割愛、文責:ten1ko2


10年近く前の説教でありますが、
今の私たちにも必要なものだと思い、
紹介させていただきました。

この時は、まだお父様はご健在でしたので、
礼拝の説教でも当然のように
お父様の最近のみ言が語られています。
懐かしいですね。

さて、100匹の羊の一匹が大切であるように、
義人はどこにいるのか、
人間の目で見てもなかなかわかりません。

パウロが導かれた、ということは、
キリスト教の出発において、
あまりにも大きな存在でありました。

彼は、霊的にイエス様と出会い、回心しました。
私たちにあっても、愛する闘いをする中で、
真の父母様と同じ心情圏に行き着くことで、
霊的に真の父母様に出会い、
回心していくことができるのだ、と感じました。

愛の限界を超えるためには、
愛の実践をしなければなりません。
み言を訓読し、祈りを捧げるだけでは、
真なる人になることができないということです。

コロナ禍で、難しい状況ではありますが、
お母様が「希望前進大会」を継続されながら、
困難を乗り越えていかれるように、
私たちも希望をもって、
前進していきたいと思うのです。




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2021年01月30日

自粛での明暗 コロナ離婚と「48年ぶりの新婚生活」 《浅川先生》



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浅川先生の「『平和の母』から学ぶ人生の道しるべ 」
今回は、『幸せな家庭を築く上で
最も大切な要素が真の愛です』。


新型コロナウイルスが猛威を振るい、
自宅で仕事する夫たちが増えました。
政府によるコロナ対策の結果でもあります。

コロナにはある程度対応できましたが、
新たなる本質的な問題が噴出しました。
家庭内暴力、DV(ドメスティック・バイオレンス)です。

国家の基盤は家庭です。
政府が国家の方針として外出を規制し、家庭待機させる事態は、
家族円満、夫婦円満の絶好のチャンスともいえました。
だからこそ、仕事や家事、子育てなどの忙しさを理由に、
曖昧にしてきた夫婦関係を見つめ直す時だったのです。

“コロナ離婚”や、家庭に居場所を失った
“コロナ難民”などの言葉が流布される中で、
「コロナ円満」という夫婦が多数現れなければなりませんでした。

酒場やパチンコに出歩かず、夫婦の愛を
殺菌消毒する環境浄化の時でもありました。


「私は今、48年ぶりで新婚生活を味わっています。
毎日、幸せ満杯です」
と語るのは、結婚以来、家庭にいることが少なく、
日本全国はもちろん世界を回って、
生涯の大半を仕事に費やしたある壮年のかたです。

子供はすでに結婚しており、孫もおり、
現在は、妻と二人暮らし。

新婚以来、二人だけの生活はほとんどありませんでした。
ところがコロナのために生活は一変して、
彼は毎日家にいることに…。

感染を防ぐために、妻は毎日、夫の下着や寝具を洗濯しました。
布団も数日ごとに干しました。
そのため、太陽の暖かさと妻の愛がコラボして、
いい香りと豊かさが家の中に溢れました。

毎日、朝、昼、晩と、夫婦は同じ食卓に着いて
向かい合って食事をしました。
全て妻の手料理でした。

コロナの前は、彼は仕事の故にいつも外食でした。
豪華なレストランで接待されることもあれば、
吉野家や松屋で牛丼を食べることもありました。

しかし最上のレストランの料理も、
妻の料理にはかなわないと、つくづく夫は思ったのです。
愛とは不思議な食材です。
ご飯とふりかけ、キュウリと豆腐だけで、
極上の料理に昇華するのですから…。

ふと振り向くと、そこに妻がいます。
一生懸命針仕事をしている、その姿を見るだけで、もう十分なのです。
いかなる観光地の大自然であっても、
これより美しい光景は地球上に存在しないでしょう。
エプロンをした妻の姿こそ、絶景です。

彼は思わずつぶやきました。
「48年ぶりの新婚生活だね」
妻はにっこりとうなずきました。

夫婦が愛で一つになれば「災い転じて福となす」。

 
世界平和のために、比類のない夫婦愛を完成させた
韓鶴子夫人は語っています。

「夫婦が愛の神聖さを信じ、責任を果たすとき、
 幸せが宿る家庭が築かれます。

 …幸せな家庭を築く上で
 最も重要な要素が、真の愛です」


韓鶴子総裁自叙伝
『人類の涙をぬぐう平和の母』274ページ

『平和の母』から学ぶ13の人生の道しるべ 7
幸せな家庭を築く上で最も大切な要素が真の愛です
浅川 勇男


素敵なご夫婦、素晴らしい証しですね。。。

わが教会の婦人代表のご主人も、
テレワークになり、いつもご自宅におられます。

もともとご夫婦仲がいいのですが、
ご主人は、役職をされていることもあり、
今までは、深夜帰りが多かったそうです。

ところが、今は、いつも家にいてくれるので、
家事も手伝ってくれるし、
宅配の荷物も受け取ってくれるし、
いろんな意味で助かる、と婦人代表の弁。

婦人代表の表情も、
なんとなく穏やかな感じがします。

唯一、とも言ってもいい悩み事は、
「夫のお腹周りが大きくなった
ことでしょうか(笑)」

コロナ禍での生活には、
家庭の重要性を教えてくれる、
貴重なメッセージがあるのかもしれませんね。




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2021年01月29日

反抗期は親がつくっている?! 子供に愛が届いていなかった 《家庭力up↑講座》



210129.jpg


子育て、というのは、
子どもが大きくなってからも、
いや、大きくなったからこそ、
親としての在り方が問われている、と感じます。

以前、多田先生の「家庭力アップ講座」を紹介しましたが、
もう一度見直して、勉強しようと思うので、
再度、紹介させていただこうと思います。


教育は、育つ環境を作ることが大切になります。
一つの例を紹介します。
私の子供が、保育園に通っている時に、
ある先生を保育園に招いて、
父母の為の勉強会が開かれました。

昔の話になってしまいますが、
その時のお話がとても印象的でしたので紹介します。

「中学2年の男の子の家が『下駄屋』でした。
夕食にお母さんが、川魚の煮物を出してくれました。

男の子は、魚が嫌いで『魚は嫌いだ。
他のおかずがほしい』とわがままを言うのです。
母親は、『はいはい』と言って、立ちあがろうとすると、
父親は『魚を食べなさい』と強く息子に言いました。

息子は、ふてくされて夕食を食べずに自分の部屋に行ってしまいました。
息子の心が収まらず『くそう、親父め』と心がイライラしたまま、
ごろんと横になって天井を見上げていました。

すると父親が、朝の4時半から起きて、
一生懸命下駄を作る様子が浮かんできたのです。
左右の下駄が、しっかりと対になるように、
履きやすいようにと一生懸命に働く父親の後ろ姿が、
息子の心に浮かんできました。
いつも見ていた父親の後ろ姿を思い出したのです。

その時、息子は、夕食の時の『わがまま』を言ったことが
申し訳なかったと、心が痛みました。
そして、息子は台所に行き、嫌いだった川魚を思い切って食べたのです」


(1)子供の反抗期は親がつくる

子供の成長過程には、反抗期というものがあります。

「うちは反抗期のまっただ中です。反抗して大変なんです」
と思春期を迎えた親からよく聞きます。
また反対に「反抗期はありませんでした」などというケースもありますが、
子供は反抗したくて反抗しているわけではありません。

むしろ、親が反抗期をつくりだしている場合もあるのです。

人間は自由意思と自由行動によって責任分担を果たすようになっています。
小学生、中学生、高校生と、成長とともに
自由意思と自由行動の世界が拡大していくのです。

幼児のころは全面的に親に頼っていた子供も、
成長するに伴い、自立心が芽生えてきます。
自分でやってみたい、自分で考えてみたいという心が
芽生えているのに、小さいころと同じように扱うと、
子供の自立心を妨げてしまいます。

その結果、それをはねのけようとして子供が親に反発することを、
反抗期というのです。
ですから、反抗期と言うよりは、
「自立期」と言う方がいいのではないかと思います。

子供から大人へと心が成長していく大切な時です。
心が不安定になり、敏感になっていく時期です。
ですから、自分でも自分の心をコントロールできず、
ついカッとしたり、反発して親の心を傷つけたりする言葉を
吐いてしまうことになります。

親が子供の心の動きにアンテナを張っていれば、
子供の心の変化はいくらでも感じ取ることができるのに、
それをしないまま、今までと同じように子供と対応して、
それに対して子供が口答えをすると、
親は「親の言うことが聞けないのか」と決めつけ、
高圧的に怒ってしまうわけです。

また、「うちの子は全く反抗しません。問題ありません」
という家庭はもっと深刻です。

なぜなら、反抗すらもできない子供に育ったということは、
自立期を通過しているかをよく見てあげなければなりません。
いろいろと我慢して自分の心の中にため込んでいる可能性があります。

そのような子は、下手をすると主体性がなくなり、
自信を持てなくなる可能性すらあるのです。

私達は生涯、子供の「人生の応援団長」でありたいものです。
いいことがあれば一緒に喜んであげたいし、
悲しいことがあれば一緒に悲しみを分かちあってあげたいと願います。

しかし、子供が大きくなるにしたがって
だんだんと子供の心が理解できなくなってしまいます。
そんな時、子供の行動が、次第に受け入れられなくなってしまい、
子供の気持ちに共感できなくなっている自分を
発見することが多くなります。

そして、ついイライラして子供の行動だけを変えたいと思ってしまいます。


(2)親の愛、子供に届くには

両親は、「やる気」と「思いやりの心」「感謝の心」が育つ、
真の愛情に包まれた教育環境を整えることが大切です。

「やる気」のある子供は自分で考え、行動しようとするので、
頼もしいのですが、その「やる気」には
「正常な心」が働いていなければなりません。

「正常な心」とは、うれしいときにはうれしいと表現できる心、
親の愛情を素直に受け止め、家庭の大切さを理解し、
家庭のために貢献できる素直な心のことです。

親の喜びや悲しみ、うれしい思いを
素直に感じ取れる心をもっている人は、
自然に「やる気」が育ってくるのです。

真に「やる気」のある子になるためには、
親の「真の愛」が必要です。

ここで言う「真の愛」とは、
子供に正しく届いている愛のことをいいます。
相手を「愛する」ことは重要ですが、その愛が、
きちんと「相手に届いて」いなければならないというのです。

子供を愛していない親はいませんが、
長男や次男、長女といった個々の子供が、
親の言うことを聞かなかったり、反抗したりしたとき、
私達は「本当に自分はこの子を愛しているんだろうか」
と自問することもあるでしょう。

あまりよい思い出がない場合、例えば、
子供から暴力を振るわれたりしていたら、
親は子供に拒否反応を覚えることも、なくはありません。

それでも親は子供を愛しているわけですが、そのような時は、
親の愛情が子供に届いていない場合があるのです。

親が子供を愛することと、愛する気持ちを子供に伝えることは別なのです。
日本人はどちらかというと、親として
子供に対する愛情表現が下手な人が多いようです。

どうしたら親の愛情が子供に届くのかということについて確認し、
勉強しなければいけません。

私たちは、そのように「相手に届く」ように愛することを
訓練しながら生活化していくわけです。

家庭力アップ講座 2
第1章 序論(1)

(APTF『真の家庭』201号[7月]より)
家庭教育アドバイザー
多田 聡夫


子供を育てながら、
「親というのは、無力だな・・」
つくづく思わされます。

干渉しすぎても、良くないし、
放っておいても、ダメなんですよね。。

先日、娘の三者面談がありました。
翌日、担任の先生から、
「お父さん、優しそうだね」と言われ、
「まぁ、でも、気まぐれです」
そんな風に答えたらしいです(笑)

ちゃんと見ているんだな、と思わされたし、
素直に話してくれたことだけでも、
信頼されているんだな、とも思いました。

本当に、毎日が修錬です。
愛をしっかり届けないと、ですね。




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