奈田寿美子先生の「父母と共なる生活」
今回は、『罪の自覚』です。
☆
今まで述べてきたように、メシヤに会うためには、
まず、罪を自覚しなければなりません。
罪を自覚するためには、
サタンの存在を知らなければならないのです。
私はそれを説明するために、ヨブ記の例をよく挙げます。
サタンは、見るからにサタン的な人には積極的に近づきません。
それはもうすでにその人の中にサタンが入ってしまっているからです。
ですから、特に「自分は大丈夫だ、自分は一生懸命やっている」
と思っている教会員に対して、このヨブ記を例にして話すのです。
これを研究すると、神とサタンが
どのようにして人間を奪っていくかという内容がよく分かります。
☆
ヨブは本当にまじめで立派な人で、
砂漠地帯の族長であったといわれます。
その当時で言えば、ちょっとした王様のような立場の人です。
財産はあるし、人々に対しては温情があるし、
みんなから尊敬を受けています。
ところが次々と災いが降りかかってくるのです。
家畜が焼き殺され、下僕が打ち殺され、
息子や娘たちまでが死に、最後には自分までが癩病に犯されます。
☆
それはサタンが神に向かって、
「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか」
とささやいたためなのです。
この「いたずらに」という言葉がとても意味が深いのです。
人は何か見返りがあるから神を信じているのではないかというのです。
この考え方は、先に話したニーチェのように、
何か得があるから神にすがっているだけの話だというもので、
こういう考え方が昔からあります。
そこから、信仰者は卑怯だとか、
弱虫だという論理が出てくるのです。
そういうところから巧みに唯物論が分かれて出てきたのです。
ヨブがたどってきた路程を見ると、
最後には悔い改めに至り、神様は再び許しと恵みを与えられるのです。
☆
ここで罪とはどういうものかを考えてみましょう。
一般には大体、罪を性的なもの、男女の情欲に結びつけがちですが、
そうではなくて、自分が神から離れていること、
いかに自分が神から遠いかということがまず第一の罪であり、
罪に陥った姿だといいます。
神を知らない、霊界を知らないことが
情をもてあそばれる原因となるのです。
☆
とくに今は、フリー・セックスの時代といわれ、
何かしら心に引っ掛かるような問題を持っている人が多いと思います。
それで最初に罪の問題を突きつけられると、
ぐっとのど元を締めつけられてしまい、
苦しくて前に進んでいくことができないのです。
それがずっと引っ掛かって
仕事に手がつかないということにもなりかねません。
そうではなく、罪が自然に分かるという方向で、
罪の自覚が生じてくるようでなければならないのです。
そうでなければ、本当の悔い改めにも至ることはできません。
奈田壽美子
「父母と共なる生活
信仰生活の真髄をつかむ」
第一章メシヤ観
三 罪の自覚
「父母と共なる生活
信仰生活の真髄をつかむ」
第一章メシヤ観
三 罪の自覚
☆
聖書にあるヨブ記は難解な書であるとされています。
ヨブは、サタンから試練を受けた時、
妻から「こんな大変な目にあったのだから、
あなたは神を恨んで死になさい」と言われます。
しかし、聖書には、
「ヨブはそのくちびるをもって
罪を犯さなかった」とあるように、
口と行動で罪を犯しませんでした。
恵みを受けるために信仰をする、
よく言われる「ご利益信仰」
この信仰を続けると、サタンが讒訴した時、
足元をすくわれてしまいます。
試練にあった時だけでなく、常に
私たちのすぐそばにいるのが、サタンです。
ヨブのように普段から感謝の生活をし、
神様から離れない、それが大切なのではないでしょうか。
男女の性的問題が罪として引っかかるのではなく、
その前に、神様から離れてしまっていることが
問題だと奈田先生も言われています。
いいときには喜び、何かあると不満をいい、
神様とは関係なく、自分勝手に生きていることが
いかに天の悲しみであり、罪なのか。。。
いつも神様と共に、父母様と共に生活する、
そのような感謝の生活の積み重ねの中で、
人が試練ということが来た時にも、ヨブのように
神様を恨むことなく、むしろ感謝して
乗り越えていくことができると思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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