2021年02月01日

寝ずに礼拝を準備された再臨の主 受ける側の備えも 《平壌開拓 金元弼先生》



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金元弼(キム ウォンピル)先生の「伝統の源流」
今回は、『礼拝とその準備』です。


先生が礼拝をどのようになさったか、
その(平壌開拓の)時の様子をお話ししたら、
もっとよく分かるだろうと思いますので、
そのことをお話ししましょう。

まず、先生は牧会を通じて新しい生命を
求めてきた人たちを、どのように復活、修正、
よみがえらせるかということです。

今死にかかっている患者をこれからどのように生かすか
という深刻な立場に立って、
取り組んでおられるということが分かりました。

それはちょうど死にかかっている人をいかに生かすか
という立場のお医者さんのような深刻な立場だと思えば、
皆様は理解しやすいと思います。

そういうことですので、先生は礼拝の前日は、
一晩中休むことができないで、
礼拝に参加する人々のためにお祈りをされました

み言を受ける人も自己を分別して、
先生のみ言がすぐ受け入れられるように準備をしました。
先生が私たちにお話ししてくださったように、
一時間のみ言を語るためには
その三倍のお祈りをしなければいけません。

先生は日曜日のみ言を語るのに、神様のために
ずーっとその夜をお祈りで過ごされたのです。


亡くなった劉孝元協会長は、先生とは違って
常に準備して全部原稿に書いてお話をする方でした。

しかし先生はいつも劉協会長に、
「語る言葉の準備に三倍のお祈りをしなさい」と語って、
先生御自身のことをお話ししてくださいました。
「食口のためにお祈りしなさい」と。

 
その(平壌開拓)当時、先生は一つの小さな部屋を持っていました。
冬は非常に寒い部屋でした。

そういう所で先生はお祈りをされるのですけれども、
そのころは朝の十時に礼拝を始めました。

先生は十時になると、先生の部屋、
そこはお祈りの部屋を兼ねていますけれども、
そこからおいでになられて直接礼拝の司会をなさいました。

先生の部屋といっても、礼拝をする部屋の
ただ一つのふすまを開ければそこが先生の部屋になっていました。


先生は死んだ人を生かすという
手術をするドクターのような立場ですので、
礼拝は非常に熱烈極まるものでした。

先生は自ら賛美歌を歌いましたけれど、
賛美歌を歌いながら多くの涙を流されました。
賛美歌を歌う時から、祈る時、そして説教する時にも
相当の涙を流されました。

先生は最初から最後まで礼拝を主管され、
そこに集まっていた食口たちも全員涙でいっぱいでした。

そういう礼拝の雰囲気に入ってくると、
賛美歌を歌ううちに、あるいはお祈りしているうちに、
たくさんの霊的現象が起こりました。

もちろん霊能者が多いということもありますけれども、
そうでない人もそういう雰囲気に入ると、
新しい霊的体験をしました。


ある人が準備しないで参加したり、
あるいは疑う心を持っていると
霊能者が様々なかたちで働きかけました。

それゆえにその当時礼拝に参加する人たちは、
お祈りの準備をして来たのです。

先生は霊的な現象があっても全然止めませんでした。
けれども今はそれを全部止めておられます。

ですから、私たちがベルベディアの礼拝に参加する時には、
そういう準備をしなくても済むかもしれませんが、
もし最初の時にそうであったならば
大変うるさいことがたくさん起こったと思います。


礼拝に参加する時に、神が喜ばない心をもっていると、
非常に怖いといった感じも受けました。

教会のことを好奇心から調べたい、知りたい、
尋ねたいということで、いろいろな人が
礼拝の時に訪ねてきました。

そういう時には、心霊がいい状態ではないのです。
そういう人はほとんど礼拝のために準備をしていない人たちです。

そうすると、今まで祈っていた霊能者の一人が、
目も開けずに立ち上がって、その人の肩を強く打ちました。
そういうことが起こってきます。

そうすると反対するよりもかえって、
すぐに涙を流しながら自分の誤った心を
悔い改めるという現象が起こりました。


そして、ある日曜日の朝のことです。

いつも聖日礼拝の前日には、いく人かが来て
お祈りをして泊まりました。

ちょうど朝四時ごろに、その時は眠っていたのですけれども、
ある霊能者が霊に導かれて教会へ入ってきました。

寝ている所、真っ暗な所へ入ってきて、
「今このような時なのに、こんなに遅くまで眠っているのか」
ということで全員が起こされて、
お祈りをしたこともありました。


礼拝が十時からだとしますと、礼拝に参加するために
前日から、あるいはいくら遅くとも二時間前には
教会に来てお祈りして準備をするのが常識のようになっていました。

幾人かではなく、全部の食口たちが前日に来るか、
あるいは朝二時間前には来て、礼拝に臨みました。

なぜならば、み言、天の恵みを受け入れる心の準備をしていないと、
霊能者に言われるし打たれるので、
誰が何と言おうとも早く来るようになりました。

食口たちがお祈りをして十時になると、
先生がその部屋から礼拝室に入って礼拝をされます。

ですから礼拝の時には、心の状態は非常に授受しやすい、
そういう立場に立ちますので、
その礼拝はスムーズに進み、大変熱気にあふれました。

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
礼拝とその準備


この頃の、映像、写真など、
残っていたらよかったのに。。。
そう思わせられるような、
とても貴重な証しです。

霊的共鳴現象とでも言うのでしょうか。
お父さまと食口たちが、本当にひとつになり、
涙と霊的恩恵、また、役事の起きる、
素晴らしい礼拝だったのだな、
そのように感じました。

『1時間み言を語るのに、3時間祈る』
これは、お父様が語られたみ言として、
ご存じの方も多いと思いますが、
お父様は、実際には、『3時間』でなく、
『徹夜祈祷』だったのですね。

さらに言うならば、
説教を語るお父様だけでなく、
食口自体も2時間前に祈って
備えていた、というのです。

『神霊と真理に満ちた教会』
これを本当に実現させていくならば、
誰がどうのこうの、ではなく、
私たち一人一人の心構えにある、
そのことを願われていると感じます。




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posted by ten1ko2 at 07:32 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする