奈田壽美子先生
「聖書に見るメシヤ観」です。
☆
まず、聖書の中のイエス様と弟子たちとの関係から
考えてみましょう。
イエス様はガリラヤの伝道に送った弟子たちが皆帰ってきた後、
カイザリアの地方に弟子たちと共に回って歩かれました。
その時のイエス様と弟子たちの会話です。
イエス様が、
「それでは、あなた方は私をだれと思うか」
と尋ねられると、ペテロが
「あなたこそ、生ける神の子キリストです」
と答えるのです。
それがイエス様はとてもうれしかったのだと思います。
そこでペテロ(岩の意)という名を
シモンに与え(ていたのですが)、
ペテロの岩のような信仰を土台にして教会を造ろうと言われました。
これがペテロの信仰告白です。
☆
「あなたをキリストと認めます」
「あなたを私の救い主と認めます」
というのが信仰生活の核心ですから、
求道者をそこまで導いていってあげなければなりません。
罪に追い込むのではなく、
救い主に出会うように導くことがとても重要です。
イエス様に、ただ「出会った」、「分かった」
という段階から「キリストと共に生活する」ところまで、
導いていかなければならないのです。
自分が行くところはどこでも、そういうかたが
いつも一緒についていてくださるのだ
というように分かってくるのです。
☆
それから、一緒に生活しているという感覚が
もっと心の中に入ってくるのです。
内なるものとしてつかんでいかなければならない存在
という意味で、私はこれを
「キリストの内にある生活」と表現したいと思います。
世界にあるどんなものとも代えがたい、
何を失ってもこのかただけは失いたくないと思うようになり、
最後には、その中にこそ
神がいらっしゃるのだと確信するようになります。
☆
最初、人間にとって神というものは、
漠然とした一つの観念にしか過ぎません。
それがキリストという人物を通して、
すなわち完成した理想的な人物を通して、
その中に神の姿を見るのです。
これでもっと具体的になってくるのです。
☆
それを理解する土台として、創造原理の世界を
はっきりとつかんでおかなければなりません。
本当に完成した人間とはどんなものか、
自分もそのようになることができたら……と、
自分と結びつけて考えると本心が引き出されてきます。
その上で、あこがれの人間がキリストなのだと思えば、
このかただけは自分の命に代えても迎えなくてはならないと、
自分にとってなくてはならない切実な存在になってくるのです。
その際、単なるあこがれとして見るだけではなく、
自分の到達すべき現実的な目標として
とらえることが大切です。
自分の命と関係がなくなってしまったら何にもなりません。
奈田壽美子
「父母と共なる生活
信仰生活の真髄をつかむ」
第一章メシヤ観
二 聖書に見るメシヤ観
「父母と共なる生活
信仰生活の真髄をつかむ」
第一章メシヤ観
二 聖書に見るメシヤ観
☆
一部割愛・編集、文責:ten1ko
*ペテロの名を与えられたのは、
イエスに伝道された直後であり、
ペテロ(岩)の信仰を土台に教会を立てようと
いう話は、もっと後です。
*ペテロの名を与えられたのは、
イエスに伝道された直後であり、
ペテロ(岩)の信仰を土台に教会を立てようと
いう話は、もっと後です。
「あなたこそ、生ける神の子キリストです」
素晴らしい信仰告白をしたペテロ。
しかし、イエス様が十字架につかれる時、
「私はこの人を知らない」
と三回、イエス様を否定しました。
イエス様と出会い、復興しいていましたし、
イエス様を愛していたのですが、
捕まるのが怖くて、逃げてしまいました。
その後、復活したイエス様を通して、
心からの悔い改めと本当の救いを受けて、
殉教の道を歩んでいきました。
自分の命より大切なものを知り、
その大切なキリストを永遠に自分のものにしたのです。
私たちは真の父母様に出会いました。
生命よりも貴重な父母様とともに、
歩めることがどれだけ感謝でしょうか。
「真のお母様と共に歩める時が黄金期である」
と言われるこの時。
一方的な祝福と、天寳の恩恵を受けることができる私たち。
多くの人たちに、正しく、堂々と、
真の父母様を伝えていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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